第66話 ある冒険の終焉
「試練と直接の関係は無いがの。この城には面白いものがあるぞ」
そう言ってラゼルフは立ち上がった。
付いて来いというのか。
動かなければ始まらないのも確かだ。
仕方なく後を追うことにするが、不審な点を指摘せずにはいられなかった。
「城の中にある物とか、道順とかさ。なんで分かるの」
そう言いたくもなる。
部屋から出たラゼルフは、特に迷う素振りも見せずに通路を進んでいるのだ。
「これじゃよ」
ラゼルフは一枚の呪符を取り出すと、それをモリアに見せてきた。
そこには、とある魔物の絵図が描かれている。
鷲の頭と前脚、それに翼、そして獅子のような下半身。
グリフォン――この世には存在しない生物。
いや、もしかしたら合成生物の実験過程で誕生した成果物か何かなのかもしれないが、ともかく自然界には存在しまい。
野生の獣とも、そこから進化した迷宮の魔獣魔物とも異なっている。
幻獣種とでも言おうか。大雑把には竜と同じ分類であるとも。
この呪符が何を意味するのか。すぐに察しが付いた。
「《グリフォンの目》って、呪符魔法だったの!?」
魔法の才能が無い者にも恩恵をもたらすのが呪符魔法だ。
それでは、グリフォンの目は誰にでも使える魔法ということではないか。
呪符には個別に使用者制限をかけることも出来るが、そういう問題ではない。
戦場に於いては敵地の地形や敵陣、伏兵すらも見通せる魔法。
その技術が敵対勢力の手に渡れば大変なことになるだろう。
かの大魔法使いベルーアがこの魔法の存在を秘匿していたのは。この術が誰にでも使えてしまうという、その事実を伏せるためなのか。
――いや……ラゼルフのホラということもあり得るな。
そう思い至ると、興奮した頭が急速に冷えていく。
いずれにせよ、こんな屋内で使うような魔法でもあるまい。
「いやいや、天井があるんだから上空からじゃ見えないでしょ」
「ベルーアならそうかもしれんが、わしには見える」
「どういうこと?」
「グリフォンの目は誰にでも使えるが、誰が使っても同じ効果というわけではない。使用者の力に呼応してグリフォンは羽ばたくのじゃ。より、天高くへとな」
口調が胡散臭くなってきた。
やはり、ラゼルフのホラなのかもしれない。
「ベルーア卿は、そこまで便利な魔法だとは言ってなかった」
「若い頃はともかく、奴は強くなりすぎたからの。もう『目』に頼ることも、あまりないんじゃろ」
ラゼルフとベルーアは仲が悪いのかと思っていたが。
極秘の呪符を提供するくらいの仲だったというのだろうか。
いや、そうだとしても昔の話か。
――む?
通路の先、曲がり角の向こう。
魔物の気配だ。
罠というにはお粗末だが、罠であればラゼルフはどう出るだろう。
突然の咆哮と共に、人影が通路に躍り出た。
「うぉっと! ま、魔物か!?」
「…………」
わざとらしすぎて溜息が出るが、元からこうなので演技かどうかの区別もつかない。
魔物のほうを見ると、白い狼を人型にしたような姿をしている。
獣人族にも同じような種はいるだろう。つまりはそれが魔物化した存在ということか。
ラゼルフは腰に巻いてあるベルトから小さな金属の棒を引き抜いた。
先端が尖った太い釘のようなそれは、寸鉄と呼ばれる飛び道具である。
迫りくる獣人型の魔物に向けてそれを投擲した。
寸鉄は急所に当たればただでは済むまい。だが魔物の毛皮や筋肉を貫けるかどうかは微妙なところだ。
もし命中したとしても、一時的に足止めするだけだろう。
「――《飛剣》」
ラゼルフが発したその言葉と同時に、寸鉄が光を帯びる。
寸鉄は更に、空中で軌道を変えて加速した。
だが、魔物に命中することなくその横をすり抜ける。
魔物が顔の横を掠めた寸鉄に気を取られた瞬間、反対側に駆け込んだモリアのショートソードが、その首筋を斬り裂いた。
明後日の方向に飛んでいった寸鉄は、遠く通路の奥で壁に当たったであろう軽い音を響かせる。
道端の小石でも投げたほうが、まだマシかもしれない。
「相変わらずしょうもない武器だね」
「こいつの価値は、お前さんなら分かっとるじゃろ?」
魔道具使い――
ラゼルフの兵種を敢えて表現するのならば、そんなところだろう。
黒い外套の中に着ているのはライシュタットの開拓服だが、その上に装備している革の胸当てや腕甲はただの防具ではない。
もっとも、それらの効力はご覧の通りである。
北の地で孤児院を始める際、ラゼルフはかつての冒険で集めたお宝を売り払い資金とした。
財宝や魔剣の類はそこで全て手放しており、モリアもそれらを見たことがない。
これもホラ話かもしれないので、話半分に聞いてはいる。
玩具同然で使い道のない、先程の《飛剣》のようなものは、高くは売れないので手元に残した。
彼が装備しているのは、そうした余り物のガラクタなのだ。
このラゼルフが偽物だとしたら、そんなものまで再現する必要があるだろうか。
――あの魔道具、ラゼルフが所持していた本物なのか?
だとすれば、とある理由からラゼルフも本物ということになってしまうのだが。
*
ラゼルフに案内されて着いたのは、円形の部屋だった。
螺旋状の階段を上ってきたことから察するに、城の尖塔に当たる部分なのかもしれない。
ただしモリアは氷壁城の外観を見ていないので、そういった施設が本当に存在するのかは分からなかった。
部屋の中央には腰ほどの高さの祭壇があり、何かの魔道具のようにも見える装飾がそこかしこに施されている。上部には額縁のような枠が取り付けられていた。
「これは?」
「その上の四角い枠。アミュレットを納めるホルダーじゃな。ある種の呪符――具体的には、魔導護符に魔力を充塡するのがこの祭壇の機能じゃ」
魔導護符という言葉に、とある可能性を予感する。
「お前さん、アルゴから《二竜の護符》を受け取っとるじゃろ」
「…………!」
二竜の護符は所持品の中で、モリアにとって唯一の大切なものだ。
他の物は替えが利くが、サンとティーリスの形見はこの世にひとつしかない。
「魔力を入れたところで、あのふたりが蘇るわけではないがの。アルゴの努力は多少報われるかもしれん。祭壇を使うかどうかは、お前さんに任せるよ」
怪しいか否かでいえば、実に怪しい。
だが、護符を奪われたりするようなことはないはず。
本物だろうが偽物だろうが、このラゼルフがモリアを出し抜くことは不可能だ。
ここに来るまでの間、モリアの目を誤魔化し続け実力を偽装していたというのなら、それこそモリアの手に余る相手ということになる。
いずれにしても結果は同じ。であれば――
興味には抗えず、二竜の護符を取り出すと祭壇に設置する。
しばらくすると、祭壇全体から護符に向けて魔力が流れ込んでいる様子が分かった。
やがて、護符の表面にふたつの呪文が浮かび上がる。
呪文を読み、その効果に当たりを付ける。
「なるほど……確かにアルゴの仕事みたいだ」
「じゃろう?」
二竜の護符はアルゴが作ったものだ。
魔導護符として、まともに機能するものではないと言ってはいた。
しかし別の機能が無いとは、ひとことも言っていない。
「祭壇の力は尽きたみたいじゃな」
魔力の供給が止まっていた。
祭壇から護符を外し、手に取って眺める。
ラゼルフは何故か帽子を脱ぐと、モリアの持つ護符に向けて差し出した。
すると、どういうわけか帽子はその場で消えてしまう。
「……え?」
気の所為でなければ、護符に吸い込まれるような魔力の流れを知覚した。
続けてラゼルフが着ている外套も、同じように消滅する。
外套の下は、装備品を除けばなんの変哲もない開拓服だ。
腰には先端に錘の付いたロープと、薬瓶を下げている。
一瞬、グルイーザの顔を思い出す。
彼女はラゼルフとは逆に、帝国製魔導服の上に普通のローブを羽織っていた。
「何をしたの? 今」
「サンへの餞別じゃ。あいつはそれを欲しがっとったからの」
ラゼルフの奇妙な黒い帽子と外套。恐らくは帝国製の軍服か何か。
確かにサンは欲しがっていたし、着れば意外と様になるのではないかとモリアは思う。
「魔導護符の中に衣服を? いや、これは魔物を封じる呪符なんじゃ……」
「世の中にはお宝を封じた札なんてものもあるぞ。魔物を封じるよりは簡単な古代魔法じゃよ」
――物品を、アミュレットの中に封じる呪符魔法?
グルイーザが常に手ぶらだった理由を、モリアは唐突に理解した。
いつぞやは袖にワームの生肉を仕舞っていたりしたが、彼女なら平気なのかと思って気にも留めなかった。
あの場に居た誰もが、そのことに言及しなかったではないか。
いや、生肉のことは今はいいだろう。
「この祭壇は、もう使えないのかな?」
「さあのう……百年も経てば迷宮の中は、だいたい元通りになるらしいがの」
「ラゼルフ」
「なんじゃ」
「護符も使ってもらったほうが、アルゴも浮かばれると思う。ありがとう」
「アルゴは別に、死んでおらんけどな」
ラゼルフは大口を開けて笑った。
モリアは二竜の護符を、ベルトのアミュレットホルダーに大切に仕舞う。
「モリア」
「何?」
「これもお前さんにやろう」
そう言って手渡されたのは、グリフォンの呪符だ。
「これがなかったら、ラゼルフが困るんじゃない?」
「いや、何。フィムのこの力は長続きせんのじゃ。どうせそろそろ時間切れじゃわい。もし残った物があれば、それも好きにするといい」
言葉の意味を考える。何故そこでフィムの名が出る。
答えを出す間もなく、ラゼルフの姿がスッと消えた。
瞬く間の出来事だった。
ラゼルフも、彼が着ていた古ぼけた開拓服も消えた。
装備していたいくつかの魔道具だけが、その場に落ちて音を立てる。
一瞬、呆けたようにそれを見た。
だが、もう分かっていたことだ。
アルゴから受け継いだホルダーに、ラゼルフから受け継いだ呪符を仕舞う。
床に散らばった魔道具を拾い集めた。
背嚢を一旦床に下ろし、革製の部分鎧――胸当て、腕甲、脚甲、グローブを装備する。
寸鉄の入ったベルトを腰に巻く。
最後に、錘の付いたロープと薬瓶を拾ってベルトに下げた。
かつて――
不死者の王となった、セルピナの最期を目の当たりにした。
アルゴからは、彼女が白氷竜ドゥーベとの戦いで死んだという話を聞かされた。
きっとラゼルフはその戦いでセルピナを庇い、先に倒れたのだろう。
思い出されるのは、在りし日のラゼルフの言葉。
――『お前さんたちを、わしより先に死なせはせんよ』
モリアの考えでは、ラゼルフは間違いなく死んでいる。
確信といっていい。
あのラゼルフが――孤児院の子らを先に死なせるような真似を、するはずはないのだから。
『ラゼルフの消滅を確認。彼の挑戦は未達とする』
いきなりミザールの声が響いたが、もはや驚くには値しない。
「ラゼルフも挑戦者扱いだったの? そもそもラゼルフじゃ、最初の試練も突破できないでしょ」
挑戦者の数が多いため、報酬を受け取れるのはミザールが認めた者のみ。
ラゼルフが挑戦者であるならばモリアの競合には違いなく、だからこそラゼルフの存在も、モリアにとっては氷壁城の試練というわけか。
『ラゼルフにはおよそ実体と呼べるものがなく、城内の魔物の攻撃が一切通じなかった。あのような挑戦者は初めて見る。珍しいことは重なるものだ』
その言い分だと、ラゼルフ以外にも同じくらい奇妙な挑戦者がいるのだろうか。
それに関しては、後で考えることにした。
今、モリアが考えているのはラゼルフの最後の言葉――
――フィムの力、か……。
戦死者の魂を収集するという迷宮守護者、《軍神》フィムブルテュール。
一連の現象は、恐らくフィムの能力だったのだろう。
ミザールの仕掛けとかではなかった。
何故現れたのがラゼルフだったのか。それは人類の戦死者に限定される能力だったからではないか。
半ば迷宮守護者と化した兄弟たちには適用されず、ただラゼルフの魂だけを現世に留めた力。
モリアに与えられたのは、いくつかの情報と僅かな遺品。
そうして受け継がれたものに、意味があったのか否か――
今はまだ、誰にも分からない。
祭壇の前には誰も、何も残っておらず、ここで起きたことはモリアとミザールの記憶へ刻まれるのみ。
ラゼルフは二度死ぬ。
一度蘇ったが、また死んでしまった。
これもまた、彼のホラ話のひとつとして後世に伝わるのだろうか。