第65話 氷壁城の試練
モリアが立っている場所は、石壁に囲まれた部屋の中だった。
たった今まで歩いていたはずの、城門内の幅と部屋のそれはそう変わらず、圧迫感はない。屋内としては天井も高めだ。
奥には木製の扉があり、出入り口は他に見当たらない。
隣に居たドニの姿は何処にもなかった。
「こうくるのか……」
『汝は、あまり驚かないのだな』
「突然落とし穴の上に、なんてのもあり得ると思ってたからね」
その手には、いつの間にか鉤付きロープが握られていた。
不要だったので、ロープは背嚢の中へと戻す。
相変わらずミザールは声だけで、その姿は見えない。
迷宮で最も恐ろしい罠のひとつ。
転移罠の可能性について、今まで何度か考えることはあった。
ライシュタットが街ごと転移したときを除けば、実際に体験するのは初めてだ。
全員で入ったら、どうなっていたのだろうか?
考えても仕方がない。
『氷壁城への新たなる挑戦者、モリアよ。最初の試練へと挑むがよい』
「あの扉の先に進めばいいのかな?」
返事は無い。
ふと、「ミザールが返事をするまで、ありとあらゆる質問を繰り出してみる」という攻略法を思い付いた。
ひとりなら試したかもしれないが、ひとまずドニとの合流を優先すべきだろう。
大人しく扉へと向かう。
扉の先は、また同じような部屋だった。
迷宮石の光に薄っすらと照らされた広間。石壁に囲まれたその空間は、地上か地下かも分からない。
体感時間として今は朝だが、こんな部屋で過ごせば昼か夜かもそのうち分からなくなるだろう。
その部屋の中央に、金属鎧を着込んだ騎士のような人影が立っている。
モリアの優れた魔力感知は、すぐにこの相手が見た目通りの存在ではないことを看破した。
――魔力核の位置は眉間か。まあ、中身は人間じゃないよね。
鎧の騎士は巨大な斧槍を振り上げ、猛然と突進してきた。
迷宮石の地面を抉るような攻撃を直前で躱す。
騎士はすぐさま次の攻撃へと繋ぐが、重量のある武器ゆえか、二撃目を放たれるときには間合いの外まで離脱できた。
室内に幾つかある石柱の前まで駆けると、それを背にして振り返る。
正面から迫る騎士に対し、柱を背にしたまま円を描くように横へと移動した。
すると騎士はモリアの進行方向を塞ぐように、水平に斧槍を振るう。
斧が柱へと激突したが、挟み撃ちになったかと思えたモリアの姿はそこに無い。
横に躱そうとしていたかに見えたモリアは、方向転換し再び騎士の正面に立っていた。
斧槍はモリアのすぐ後ろで柱に阻まれたままであり、いかなる連撃をもってしても、その隙を即座に埋めることはかなわない。
敢えて騎士の取るべき選択を挙げるならば、体格差と鎧の重量を活かした体当たりで、モリアを柱に叩きつけてしまえばよかったかもしれない。
それならば反撃を防ぐことが出来た。
だが、この魔物は人間とは異なり、多少の攻撃など物ともしない。
だからこそ、魔物の防御は甘かった。
モリアは相手の顔へ左手を伸ばし、鉄兜の面頬を跳ね上げる。
その中へと、すかさず短剣を叩き込む。
兜の中は、暗緑色のどろりとした液体で満たされていた。
魔力核を潰された魔物は、力なくその場に崩れ落ちる。
鎧の隙間からどろどろと中身がこぼれ落ちていく。
崩れた鎧から距離を置いたモリアは、短剣の汚れを拭いつつ部屋の中を見回した。
何も起こる気配がない。
「ひょっとして、最初の試練ってこれだけ?」
まともに戦おうとすれば、かなりの強敵であったのは確かだが。
*
部屋の奥にある新たな扉を開けると、見えたのはやはり発光石に囲まれた通路、そしてその先には上階への階段があった。
階段を上ると新たな部屋へ出る。室内の中央には人工の泉が設置され、水が湧き出ていた。
しかしモリアの目を奪ったのは、泉の縁石に腰掛けるひとりの人物。
その男は変わった形状の黒い帽子を被り、黒い外套を羽織っている。
それは北方辺境で見かけるどのような意匠、縫製技術とも異なっている。
モリアの記憶内で近いものを挙げるならば、グルイーザの着ている魔導服。
つまり、この男が身に着けるそれも帝国製。ということになるのか。
幼い頃から当たり前のように見ていたため、今更ながらその事に気付く。
帽子の下には、やはり見慣れた白い髭が顔を覆っている。
「おお、モリアか。こんなところまで追い付きよったか」
「ラゼルフ……」
そう声を掛ける。が――
「……とでも言うと思ったのか。ミザール、これはどういう趣向なんだ」
迷宮守護者からの返事は無い。
モリアの考えでは、ラゼルフは間違いなく死んでいる。
確信といっていい。
眼の前の存在が本物のラゼルフという可能性は一旦捨てる。
警戒をして損ということはない。それこそがラゼルフの教えでもある。
では、眼前のラゼルフはいったい何者か。
周囲を素早く観察する。発光石と、恐らくは降魔石が交互に嵌め込まれた石壁。そして中央には泉。
この様式は、まず間違いなく迷宮の安全地帯だ。
――少なくとも魔物ではないのか? 他の可能性は……。
メラク――
すなわちドッペルゲンガーの可能性。
かの種族は帝国の民であり魔物ではない。当然、安全地帯に入ってくることも出来るだろう。
だが、モリアはメラクの気配を察知することが出来る。
その感覚を信じるならば答えは否。
「ずいぶんと考え込んでおるのう」
「問答無用で斬り付けたほうが良かったのかな」
「わしのことを疑っておるのか」
疑わない理由が無い。
その正体は分からないが、この城を統べる迷宮守護者であれば、安全地帯でもこのような怪異を起こせるのではないか。
「これが次の試練ってことなのかな? ミザール」
「氷壁城の試練……わしがか? まあ、そういう見方も出来なくもないかのう」
――完全には否定しないのか。
「面白い……」
身内の姿で油断させ襲い掛かる。そのようなつまらない罠であれば興醒めするところだが。
これがミザールの仕掛ける謎掛けというのであれば、なかなか興味深い趣向といえるかもしれない。
*
「どうやってここまで辿り着いた?」
「わしは魔物には、相手にされなかったんじゃろうなあ」
弱すぎると魔物に襲われない、とでも言うのだろうか。
そんな馬鹿なことがあるとは思えない。いつものホラ話か。
ラゼルフとの問答は続いている。
ずっと警戒し続けても体力を消耗するだけと考えたモリアは、地面にあぐらをかいている。
――長く迷宮に滞在しすぎたせいか。
迷宮に満ちる魔力はそこで生きる生物にとっては空気と変わらない。
だから魔力感知に優れるモリアとて、迷宮由来の魔力には気付きづらい。
世界に普遍的に溢れる精霊や、神の力を感じ取れないのと同じ理屈だ。
そういった回避の難しい現象も込みで、迷宮の罠は完成する。
世の中には精霊や神の力を感じ取れる種族や職種があるように、迷宮由来の魔力を察知する者もいるのだろう。
東方辺境の冒険者組合には《迷宮盗賊》なる兵種があるそうだが、罠外しを生業とするその兵種こそが、それに当たるのかもしれない。
モリアの目的は白い獣の情報を持ち帰ること。
そしてエリクが城にいるのならば、彼を探すこと。
アリオトたちに対して試練に付き合う必要など無いとは言ったものの、無視しては進めない、或いは無視することが得策ではないとなれば話は別だ。
このラゼルフが仮に嘘しか話さないとしても、それはそれで足掛かりになる。
白い獣とエリクの話題は敢えて避けていた。
正体も目的も分からぬ相手に、こちらの手の内を晒す必要は無い。
もっともこれがミザールの仕掛ける茶番であれば、今更獣の話を避けても意味は無いのだが。
「本題に入ろうか。そもそも氷壁城の試練とは何か。ミザールの目的は?」
報酬も謎だが、別に報酬が欲しいわけではないのでそこは端折る。
「迷宮支配者にして四方竜がひとつ、《白氷竜》ドゥーベを封じる武器。北の竜殺兵器の管理者がミザールじゃ。それを与えるに相応しい者を探しとるのじゃな。まあ竜殺兵器はいつでも出せるようなもんでもないので、試練を達成したセトラーズの願いを叶えることもある。この近くにある里なんかもそうじゃろ? ああいうのは、ミザールにとって先行投資なんじゃろうな」
「…………はあ?」
ラゼルフが嘘を言う、という心の準備はしていたのだが。
何から何まで知らない情報を開示された。
いや、「アリオトの里がミザールから褒美を貰った」辺りはモリアの知る情報と一致するが。
いったいなんだ。今の話は。
こちらを騙そうという意図すら感じられぬ、突拍子もない話だ。
言うなれば、いつものラゼルフのホラ話そのものである。
――今の馬鹿っぽい話のせいで、ラゼルフが本物に見えてきた……。
頭痛がしたような気がするので、こめかみを押さえ話の続きを促す。
「はいはい、竜殺兵器ね。で?」
「事の起こりは、東の竜殺兵器の管理者である、フィムとの出会いじゃった」
「ちょっと待て」
ラゼルフは律儀に話を止める。
孤児院の長兄、フィムについても全く知らない話が出てきた。
このラゼルフがミザールの仕掛けにせよ、何か他の怪現象であるにせよ、調査不足が過ぎるのではないか。
これでは騙せる者も騙せまい。
その割に外見や話し方は堂に入ったもので、本人しか知らないようなことも知っている。
――あるいは、何かしらの事実も含まれているのか?
例えば、眼の前のこれがラゼルフの記憶を共有するような存在とする。
ならばモリアの知らない情報や、仮に意味の無さそうなホラであったとしても、なんらかの事実につながる話もあるのではないか。
全てが嘘だったとしても、それを足掛かりとする。
方針は変わらない。
――少し、矛盾点を突いてみるか。
「そもそも順番がおかしい。白氷竜は北方草原でラゼルフたちが倒したんでしょ。その後でこの城に来てどうするのさ」
「無論、ドゥーベは死んではおらん。そもそも四方竜は死なん」
そうきたか。
確かに竜殺兵器などといいながら、「竜を封じる」という表現ではあった。
「じゃあもうそれでいいよ。で、フィムの話だったね」
投げやりに返すと、ラゼルフはいつものことでもあるかのように、平然と続きを話す。
「二十年ほど前になるのう。東の迷宮の深層に迷い込んだわしは、そこでセトラーズの里を見つけたのじゃな。里は滅び、唯一生き残ったのが当時十歳くらいの少年、フィムじゃった」
「それだと今のフィムは三十歳ってことになるけど」
記憶の中の彼は二十歳かそこらだ。
それに初めて会った頃は、それこそ十歳程度の少年だったはず。
「ずっと幼子のような外見だったんじゃがな。北の街に定住してお前たちと暮らすようになってから、外見も少しずつ歳を取るようになった。周りの連中はフィムを普通の人間だと思っとったからの」
「周囲の認識に合わせて変化したってこと?」
そんな無茶苦茶な。
話が馬鹿げているほどに、本物のラゼルフに見えてくるのだからタチが悪い。
「お前さんはフィムがエリクたちと同じく、魔導護符の力を宿した魔人だと思うとったじゃろ。それは違う。あれは生まれながらの迷宮守護者、《軍神》フィムブルテュールの転生体じゃ」
「…………」
そろそろ、どう突っ込んだものか分からなくなってきた。
ひとつだけ面白い仮説が浮かぶ。
孤児院での魔導護符を用いた実験、人間に魔物の力を宿す研究。
それは王国史上、成し得た者が存在しない禁忌の研究だ。
ラゼルフがそこまで優れた魔術師なのかというと、確かに色々と疑問は残る。
全ての黒幕を迷宮守護者フィムとするならば、まだ信憑性があろうというもの。
「帝国が滅んでから、長らく四方竜は放置されとった。本来なら、迷宮活動期の度に然るべき処置をせねばならん」
それに危機感を持った竜殺兵器の管理者――フィムは他の迷宮へと旅立つ。
――いやいや、何を考えているんだ僕は。
「竜殺兵器は人類にしか扱えん。フィムでは使うことが出来ない。ミザールでも無理じゃ。エリクたちが使えるかどうかは分からん。五分五分かの」
ラゼルフ小隊の中に、こう言っては身も蓋もないが――足手まといのラゼルフがいる理由。
本人が迷宮に行きたいから、というのもまあ事実ではあるのだろうが。
竜殺兵器を確実に扱える人間が、最低ひとりは必要だったということか。
「四方竜は人類のみならず、あらゆる生命を滅ぼすことを目的とする存在。四方迷宮は彼らに捧げられた城であり、セトラーズは彼らを育む餌であり生贄というわけじゃ」
黙って聞いていたら段々と話の酷さが増してきた。
たまらず横槍を入れる。
「いやいや、おかしくない? 四方迷宮は帝国の国家事業でしょ。なんで自分たちが滅ぶようなことに加担するのさ」
「悪の帝国なんじゃろ」
「バカなの? まあ破滅願望のある人とかたまに見かけるし、そういう迷宮生成術師とか、いても不思議じゃないけどさ。国家規模でそんな馬鹿げた意思統一は無理なんじゃない?」
「それはな……。わしにも分からん。まあ少し真面目に答えるなら、竜の機嫌を取って滅びの日を遅延させる、みたいな狙いがあったのかもしれんの」
今までは真面目に答えていなかったというのか。
苛立っても仕方がないとモリアは自分に言い聞かせる。
ホラ吹きラゼルフとは、こういう男だ。
「フィムならそういうの、全部分かるんじゃないの?」
「最初はそうじゃったかもしれんが、転生を繰り返す迷宮守護者だからかの。なんでも覚えとるわけではないらしい」
ああ言えばこう言う。
そろそろ、この話も切り上げどきか。
「じゃあ、さっさと試練を達成して兵器でもなんでも貰ってくれば?」
「試練の達成条件が分からぬのではな。最上階へ行けば終了というわけでもなかろう? ミザールよ」
『然り。挑戦者の人数が多い。報酬は我が認めた者にのみ与えられる』
突然ミザールの声がした。
――ラゼルフにも普通に返事をするのか……。
呆れつつも、ミザールが認める基準について聞いてみる。
返事は無い。
肝心なことには答えてくれないようだ。
聞けばモリアでも思いつくようなことは、すでにラゼルフからだいたい質問済みという。
モリアの迷宮攻略における知識や考え方は、全てこの男から伝授されたものだ。
質問内容が被るのも必然の成り行きといえる。
「ミザールが返事をするまで、ありとあらゆる質問を繰り出してみた」
「本当にやったの……」
この馬鹿げた思考。
やはり本物のラゼルフのようにも思えてきた。
正解が遠退く感覚を、モリアは味わっている。