第59話 勝利者の条件
アルゴは残された僅かな意志の力で、モリアの姿を見ながら思う。
六日前にも会ってはいるが、最後に直接会ったのは二ヶ月ほど前だ。
成長期だというのに、背が伸びた様子はない。身体を鍛え過ぎなのだろう。
伸ばしっ放しの茶色い髪は、以前と変わりないようだ。
顔付きは少し変わっただろうか。
精悍になったような気もするし、以前より柔らかい雰囲気になった気もする。
過ぎ去りし日々を思い出す。
あれは、いつのことだったか――
短めの赤毛を指先で弄びながら、その女剣士はアルゴに言う。
『アタシが努力してないとは言わないけど、この力は院長から貰ったものだしなあ』
『それでも、その力を使いこなしているのはサン自身だよ』
『いやアタシより、モリア君のほうがやばくね? あの子なんであんなに戦えんの?』
『自分でモリアに剣を教えておいてそれかい……?』
モリアが生身のままで異様な強さを見せるのは、そもそもサンとティーリスのせいなのだ。
他の兄弟たちが魔人化の基礎を作るためのそれよりも、遥かに厳しい訓練をおこなっている。
院長はそこまで無茶を強いてはいない。
いくら常人にしては強いといっても、魔人には遠く及ばない。
サンが言うのは、あくまでも自身が人間であった頃に比べての評価である。
今でも一緒に訓練をしているのが、どだい無茶な話なのだ。
モリアが逃げ出さないのが不思議なくらいなのだが……。
この三人の間には、余人に測り難い絆があった。
他の兄弟とは異なり、強さを追求すること自体を当然のことだと考えている節がある。
三人とも、人として少しおかしいのではないだろうか。
『そりゃあ剣はアタシが教えたんだけど、投石術とかもやばいんだよ。石投げっていうレベルじゃないんだよ。なんかティーリスのやつ、「モリーが兄弟全員に勝てるまで鍛える」とか言ってるし』
魔導護符の力を人体に移植する実験の最高傑作。
最強の魔人――ティーリスをそこまで駆り立てるというのか。
サンとティーリスは誰の命令も聞かないので、周りの誰も彼女らを止められない。
ふたりがその計画を止めるのは、モリア本人が嫌がったときくらいであろう。
アルゴは苦笑しながらつぶやきを漏らす。
『人間のままそこまで強くなられたら、魔導護符を用いる自分の研究に疑問を感じてしまうね……』
強さとは、単純な力だけのことに非ず。
勝利というものが、生きて事を成し遂げることを意味していたのならば。
あの頃から描かれていたティーリスの構想は、実現へと至りつつある。
皮肉なことに――人間の力を最も信じたのは、最強の魔人だったのだ。
『これは……ぼくの敗けかもしれないな』
でも、今は――
『そうなってほしいと、心から願うよ』
心残りを解消した今、自分の意識がフェクダの中に溶けていくのを感じる。
悪い気はしない。
時間や肉体のしがらみに囚われることなく、迷宮と共に生きる。
これからはずっと、魔法や迷宮の研究に没頭出来るのだ。
*
神樹フェクダから地上に降りる。
モリアは、アルゴに力を与えていた魔導護符のことを考えていた。
迷宮守護者ロティス。
確か、樹木に変じて生涯を終えたとかいう伝説を持つ精霊だ。
アルゴの身に降り掛かった呪いは、そのまま過ぎて告げる言葉もない。
もっとも、本人にとって呪いだったのかどうかは分からないが。
今は北方草原と呼ばれる場所で起きたという、白氷竜ドゥーベとの戦い。
その戦いで全滅したとされるラゼルフ小隊は、以下のメンバーで構成されるパーティである。
戦士フィム。
植物魔術師セルピナ。
呪符魔術師アルゴ。
魔剣士サン。
魔撃手ティーリス。
無謀なるエリク。
ホラ吹きラゼルフ。以上七名。
セルピナとアルゴはモリアが直接確認しているし、サンとティーリスの形見も手元にある。
フィムに関してはよく分からないが、いつかまた姿を見かけることもあるかもしれない。
兄弟の中で唯一手掛かりが見つからない『無謀なるエリク』。
その二つ名は文字通り、『考えなしのエリク』という意味だ。
ホラ吹きラゼルフとは別の意味で酷い呼び名だった。
純然たる冒険者ほど酷い二つ名になるのかもしれないなどと、モリアは考える。
エリクの魔人としての能力はしぶとさだけであり、他に卓越した技能があるわけではなかった。
それでも、彼ひとりだけが生き残っていたとしても別に不思議はない。
足取りがつかめないのは、つまりまだ死んでいないということだと、モリアは判断している。
*
戦いの翌日。
メグレズの里にて、一行は大勢の小妖精たちに囲まれていた。
いずれも子供のような外見である。実年齢は推して知るべし。
砦の中の室内は人間には少し狭いが、中央部には吹き抜けの広場も存在する。
そこで歓待を受けていたのだ。
里を救った礼として、アリオトとライシュタットには人材を派遣してくれるらしい。
準備に一日ほど待ってほしいとのことだった。
アリオトには武具の提供だけでなく、精霊術師たちがそのまま滞在して向こうを手伝うそうだ。
ライシュタットへは街の事情を鑑み、防衛設備などの作成に長けた者たちが選ばれる。
モリアたちと顔馴染みだということで、ロカもライシュタット組に入ることになった。
特例第一小隊は彼らと共に街に帰還し、モリアとレミーがアリオトを訪れるのはその後だ。
案内役のザジもライシュタットへの同行を申し出ている。
準備なのか宴なのか、商談なのか分からない会話が続いていた。
モリアは特に注目されている。
「街を守る設備が足らんじゃろ? 外壁をわしらに任せろ」
「それより攻撃用のバリスタじゃ。安くしとくぞ」
「おいおい、大人気だなモリア」
そうグルイーザにからかわれるが、人気なのはライシュタットの金であろう。
礼は礼として、それ以外は金を取るらしい。
もちろんそうしなければ健全な関係は築けないし、そうあるべきだ。
ただ、別にモリアは街の代表でもなんでもないのだが。
「アリオトはカネを持ってなくていかん……おっと」
ザジとレミーの眼光に気付いて、軽口を叩いたメグレズは口を塞いだ。
ふたりはそんなことで怒るとは思えないので、単に名前を呼ばれたから見ただけだと思う。
ついでにいうなら、ふたりとも目つきが悪いのだ。
「別にカネのせいだけではないぞ。おぬしは神樹の加護を受けし者じゃからな」
と、ロカは言うのだが。
皆が話しているうちにミーリットのほうが身分が高いことがバレて、商談攻めはそちらに移っていった。
モリアはそっと輪の中から抜けて、広場の端に腰を下ろす。
神樹とやらは砦の中からでもよく見える。
メグレズの里すぐ近く、他の樹木の何倍もの高さを持つ大樹なのだ。
元々あった普通の大きさのフェクダは、あの戦闘に巻き込まれて消えてしまったようだ。
しかしモリアはそれらが同一の存在であることを理解しているし、里の者たちもそう思っている。
メグレズたちは信仰対象がより近く、より大きくなったことを素直に喜んでいた。
喧騒に目を戻すと、グルイーザに商談を持ち掛けている者たちがいる。
「べっぴんの嬢ちゃんもどうじゃ。化粧品とかは」
「あー、そういうの間に合ってるから」
「見たところ魔術師じゃな? 珍しい迷宮石もあるぞ」
「なに? ちょっと見せてみろ」
別の場所では、レミーも商談攻めに遭っていた。
「アリオト用の大きさの鎧も造れるぞ。恩人だから安くしとくぜ」
「俺には必要ない」
「これならどうじゃ? メグレズの魔法剣」
「なに……? 詳しく聞かせてくれ」
平和でやかましい宴は、一日中続いている。
喧騒から抜け出してきたレミーは、少し疲れた顔でモリアの横に腰を下ろした。
「メグレズの魔法剣は買ったの?」
「……金が足りなかった」