第55話 ドゥーベ
「いったい……何を取引しようってんでさ」
メグレズのような外見の男は、上体を起こして胡座をかいた。
飛礫を受けたダメージはそれほどでもないようだ。
見た目より頑丈な身体なのだろうと、モリアは考える。
「情報がほしい。その代わりこの場ではあなたを見逃そう。将来また敵として会った場合は別として。今ここでは殺さないし、逃げた後も追わない」
シェイドは黙って考え込んでいる。
「話したくないことは話さなくていい。でも、嘘はやめてほしいかな」
「……あっしの話が真実か嘘か、どうやって見極めるんで」
どうやら全く脈なしということはなさそうだ。
仮になんの情報も引き出せなかったとしても。
彼らがどのように会話をするのか、意思疎通はどれくらい可能なのか。
それを知るだけでもいい。
「そんなのは分からないよ。自分の命に見合うと思う分だけ喋ってくれれば、それでいい」
俯いたままシェイドは黙り込む。
やがて少し顔を上げると、こちらを見ながらぼそぼそと喋り始めた。
「例えば、どんなことが知りたい?」
「そうだね……。仮にメラクの戦力が千人いたとしても、ここ数日でその一割近くを失っている。いつまでこんなことを続ける気なのか、とか」
もしシェイドがメラクの統率者だったなら、手を引いてもらうよう頼むところだが。
それはない。
この男が統率者なら、メラクは他のセトラーズをやたらと襲ったりはすまい。
「千人……もうそんな戦力は残ってやせん。メラクの里は滅んだんですわ」
「滅んだ?」
「千人もいたのに、あっという間でしたわ。もう他のセトラーズに手を出す余力なんざない。ただ……生き残ったメラクの幹部たちは、きっとあんたより強いよ。だからメラクがこの先どうするつもりかなんて、あっしにも分からないんですが」
強力な統率者は、やはり存在するのか。
人数が少なくなれば、今までのように樹海迷宮に睨みを利かせることは難しいだろう。
だが、残された幹部とやらには警戒の必要がある。
「あっしも聞きたいことがあるんだけど、いいですかね」
モリアは頷きを返した。
「あんたはメラクの里を滅ぼした七人の王国人と、何か関係はあるんですかい」
「七人……? 千人もいて七人に負けたわけじゃないよね?」
「それが負けたんでさ。とんでもない魔法使いが居やしてね。樹海が動いて襲いかかってきたんですぜ」
その魔法には覚えがある。
「いつ頃の話?」
「ふた月くらい前ですかね」
――ラゼルフ小隊か。
他には思い付かない。
確かにあの連中なら、メラク千人が相手でも勝ってしまいそうではある。
七人ということは、セルピナも健在だったということ。
彼女は多勢と戦うときにこそ、最も力を発揮する魔術師なのだ。
メラクの幹部と呼ばれる者たちであれば、セルピナの樹木兵よりも強いのではないか、とも思う。
ならば、本体であるセルピナを叩けば勝てるはず。
それでもメラクは負けた。その意味するところは。
メラクの幹部がいくら強いといっても――アリオトより強かったとしてもだ。
セルピナを護衛している他の兄弟ほどには強くない。
そういうことになる。
――それなら、まだ打てる手はあるか?
楽観は禁物だが、敵を過大評価しても始まらない。
「僕はその話は知らない。でも、その七人が僕の身内という可能性はある」
「はあ……もしそうなら、あっしがあんたに勝てる道理もないですわ。ただ、その七人はその後――」
「どうなったの?」
「多分、全員死にましたぜ。あんたが前にメラクと戦った、あの北方草原で」
ある程度、覚悟はしていたことだ。
パーティの後衛である、セルピナの死亡を確認しているのだ。
ならば、彼女を守る他の兄弟たちが生きている可能性も低い。
だが、いったい誰があの連中を倒せる?
「メラクの幹部とやらが、彼らに報復して勝利したと?」
「そりゃあ無理だ。連中を殺したのは、ドラゴンですわ」
――ドラゴン?
あのワームも竜の眷属ではあるらしいが、あんなものに殺される兄弟たちではないだろう。
成体へと進化した後なら、また別なのだろうか。
「ドラゴンって、ワームとか?」
「あんな芋虫とは比べ物になりやせんぜ。空を飛んでブレスを吐く、本物のドラゴンだ」
「そのドラゴンに、七人は殺された……」
突拍子もない話だが、シェイドが北方草原と呼ぶ場所については気になっている。
あの草原から迷宮の仕組みそのものを消したのは、兄弟たちなのではないかとモリアも疑っていたからだ。
シェイドは少し考え込むようにしてから、続きを話した。
「いや、ドラゴンも倒されたのか消え失せちまった。灰みたいになって、崩れちまったんでさ」
その現象なら、迷宮守護者であるセルピナ――すなわち不死者の王が斃れた際に確認している。
シェイドの話が事実であれば、多分本当に死んでいる。だが。
「相討ちなんて、現実にそうそう起きるかな?」
「あっしも生き残りがいるかと探したんですがね。あの辺一帯はドラゴンの吐いた白い死のブレスで埋め尽くされていた。とても近付けませんで」
「白い死のブレス……。北の四方竜――《白氷竜》ドゥーベ」
「知ってんなら話がはええや。あっしも実物なんざ初めて見たので真偽は分かりやせんがね。北の迷宮に棲む白い竜なんていったら、それしか浮かびやせん。実際あの白炎で燃やされた森は、なんの魔力もねえ死の土地になっちまったんですから」
四方竜……どうにも有り難みの無い名前だ。
それというのも、ラゼルフが東の四方竜を討伐したとか幼い頃から聞かされているせいである。
ラゼルフに討伐できる程度の存在なのか。
ホラだとしても事実だとしても、残念な話だった。
だが、シェイドの話に出てくる北の四方竜の実力は本物らしい。
ラゼルフ小隊を全滅させたということだけではない。
迷宮の力を失った草原はモリアも見ているし、少し前までそんな場所はなかったという、ロカの証言もある。
兄弟たちは白氷竜ドゥーベを倒したが、撒き散らされた死のブレスの中で息絶えた。
それが事実上、ラゼルフ小隊の最後であるらしかった。
竜と冒険者は――この物語から退場したのだ。
*
シェイドと分かれて、元の場所へと引き返す。
彼がこの先どうするのかは知らない。
そこまで心配する義理はないが、願わくばもう、敵として会うことがないといい。
そう考えている。
地下迷宮入り口前まで戻ると、ザジが声を掛けてきた。
「逃がしたの? モリア」
「情報をもらう代わりにね。まずかったかな?」
「いや、お前の判断を尊重しよう」
ロカとミーリットはそばに居た。
グルイーザとレミーは何やらワームの死骸を調べているようだったが、少し待つと戻ってくる。
全員を見渡してモリアは言う。
「すぐに出発したい。作戦や情報共有は移動しながらでも。休息が必要なら、せめて里の状況を確認してから。何か問題はある?」
「ない」
「ないぜ」
「ありません」
「私も問題ない」
「メグレズのために、すまぬ……」
「僕もメグレズの力を借りたいからお互い様。それじゃあ、行こうか」
時刻はまだ日が昇り切る前。
一行は樹海を進み始めた。
「白氷竜ドゥーベだと? 四方迷宮の守護者の頂点、迷宮支配者じゃねえか。そうか、死んじまったのかあ……」
グルイーザは残念そうに言った。
自分も見てみたかったとか、そんなところであろう。
「白竜を見たという話はアリオトの里でも聞いた。でも、死んだというのはメラクの作り話ということはないの?」
「そうじゃのう。メラクの里が壊滅したなど俄には信じ難いしのう」
ザジたちにしてみれば、メラクの証言など信じられないのは当然だ。
それに答えたのはレミーだった。
「全ては信用できないかもしれないが、幾つかの情報には裏付けがあるのだろう」
そう。メラクの里を壊滅せしめ、白氷竜ドゥーベを倒したのはラゼルフ小隊なのだ。
レミーとグルイーザはそのことに気付いている。
他の者たちの手前、口にはしないだけだ。
「仮に全部本当だとしても、メラクの幹部が残っていることに違いはないんですよね?」
「直接見たことはないが、アリオトの戦士たちよりも強いと聞いている。少数でも危険な相手だ」
そういえば、グルイーザはメラクの正体を知っていた。
樹海育ちのロカやザジとは、異なる情報を持っているかもしれない。
「グルイーザ。メラクってどのくらい強いか分かる?」
「ドッペルゲンガーってのはな。帝国上層部の諜報部隊にして懐刀。存在自体を秘匿されている。ほとんど資料はないし、あたしもメラクなんて名前は知らなかったんだが……。どうやって運用されていたのかは見えてきたな」
「奴らは帝国側じゃというのか? 盗賊ギルドではなく?」
それでは話が逆だ。
しかしモリアにもなんとなく、そうなる理由が分かってきた。
「連中は危険な種族として厳しく監視されていた。敵対勢力――つまり後の王国勢力の要人に化けて入れ替わる、なんてのは誰でも考えつくけどな。それなりに魔術の素養があれば正体を見抜けるから、そんな大胆な手は使えなかったんだよ。もちろん、帝国の善良な国民を殺して入れ替わるとかは論外だ」
「だから盗賊ギルドなんだね」
「そうだ。盗賊なんか暗殺しても文句は出ねえからな。ギルドの下っ端が入れ替わっても気付く者はいない。もしかしたら、幹部すら暗殺されていた可能性もある」
それでメラクは、盗賊ギルドの構成員だらけになったのか。
反体制勢力の中に、帝国の間者が大勢紛れ込んでいたことになる。
帝国が滅んだ後、彼らは目的を失い北の辺境に逃れた。
その後迷宮に飲まれ、今の勢力となった。そんなところだろうか。
「盗賊ギルドって……今の時代はともかく、帝政末期は有力な集団だったと教わりましたが」
「腐敗した帝国上層部を追われた有能な人材が、ギルドにも流れたからな。幹部には英雄級の奴らがごろごろ居た。そしてドッペル――いや、メラクは……個体差はあるんだが、擬態対象の能力を継承できる」
つまり、今のメラクの幹部というのは。
ザジがその答えを述べる。
「なるほど。英雄に成り代わり、その能力を奪った者。だからこそメラクの幹部は強いのだな」
「しかし、それは昔の話じゃろ?」
「メラクは長命種だ。生き残りがいてもおかしくはないだろうぜ」
影のようになって消えた死体を思い出す。
メグレズよりも、更に精霊などの存在に近い種族。
それなら長命というのも納得である。
「それほど長く生きられるなら、さぞかし鍛えられそうだな」
レミーらしい意見だ。
でも、それはどうだろうか。
「そうでもねえさ。生きた時間が長ければ、感じる時間も希薄になる。歳を経れば成長は遅くなるんだ。長命種はある程度成長したら、それ以上強くなることはほとんどない」
最初にメラクと遭遇したことを思い出す。
彼らは王国の国民に対して強い敵意を抱いているようだった。
ラゼルフたちに里を滅ぼされているのなら、それも当然ではあるのだが。
どう考えても仕掛けたのはメラクのほうであろうし、その程度にはモリアも家族のことを信用している。
ならば、自業自得なのだ。
迷宮の外に生きる者たちにとっては、帝国と王国の確執は過去の歴史の話。
しかし――
迷宮に飲まれたメラクの時間は、当時から止まったままなのかもしれない。