第53話 擬態
「囲まれてんなぁ……」
翌朝、一番最後に起きてきたグルイーザが眠そうな目で告げる。
最初は寝ぼけているのかと思ったが、どうやら『敵に囲まれている』と言いたいらしい。
地下通路にそのような気配はない。地上の出入り口を取り囲まれているのだとしたら、この場所からそれを把握するのは困難だ。
「今度こそメラクじゃな。五十近くおるが、この距離でよく気付けたの」
階段の下から周辺の索敵をしたらしいロカが焚き火の前まで戻って来た。
張り詰めた空気の中、モリアは朝食の支度を始める。
「……なんでそんなに平然としてるんですか?」
「まあ、敵の襲撃より寝起きのグルイーザのほうが珍しいからね」
グルイーザはモリアを睨み付けるが、その目にも力が籠もっていない。
今は慌てるよりも、彼女の覚醒を待つことが先決だ。
「結構離れておるが、向こうは我々の存在をどうやって把握しておるんじゃ」
「向こうにも魔術師がいんだろ……」
一行は軽い食事をしながら、敵勢力の分析を始めていた。
レミーが疑問を口にする。
「敵は何故攻めてこない? 放っておいたら迷宮の奥に逃げられるとは思わないのか」
「あんまり本気で戦う気がないのかな」
「それは違うじゃろ……。おぬしとザジがメラク三十人を全滅させたことを忘れたか。おまけに上には馬鹿でかいワームの死体がふたつも転がっておるんじゃぞ。吾輩が奴らなら、階段を下りて戦おうなどとは絶対に思わんわい」
「確かに、待ち伏せしたほうが有利」
ロカの意見に、ザジも納得している。
そういうものか。
前回の戦いでモリアとザジの実力は判明しているのだから、次は当然それを上回るような使い手か、多数の兵を用意するものと思っていた。
どうも想定より敵の動きが鈍い。
「総勢千人以上の割に、随分戦力を小出しにしてくるんだね」
「千人って、兵士の数なんですか?」
「嘘か真か、メラクは全ての者が戦えると聞いておる」
そんな集団が存在するだろうか。
女子供や老人はいないとでもいうのか。
開拓街のライシュタットですら、開拓者と衛兵を合わせた人数は全体の三割もおるまい。
もし住民全員が戦闘要員になれるのであれば、拠点を守ることは格段に容易くなる。
ひとりひとりの住民がそこまで強くなくても、最強のセトラーズだといえるかもしれない。
ならば、メラクは本当に。
「信じ難いけど……もしそんなことがあれば、メラクが強いとされるのも納得ではあるね」
「アリオトの里でも、全員が戦うわけじゃない。戦える者は半分もいない」
ザジも半信半疑のようだ。
戦いを生業とする自分たちですら戦闘要員は全体の半分以下なのだから、余計にメラクの有り様は疑わしいのだろう。
「実際、あり得るかもしれないぜ」
グルイーザはようやく目が覚めてきたらしい。
ミーリットが言葉の意味を尋ねる。
「あり得るって、住民全員が兵士ってことがですか?」
「メラクってのは盗賊ギルドのセトラーズって話だが……。そんな反体制組織、森の奥で何百年も続ける意味なんてないだろ。連中の本質は別にある」
皆が言葉の続きを待ったが、今言う気はないようだ。
食事を終えると、さっさと片付けを始めてしまう。
「ま、実際見たほうが早いだろ。そろそろ行くか、モリア」
「こちらから戦いを仕掛けるんですか? これはもう都市間の戦争ですよ? 私たちが勝手には――」
「わりーけど指示を出すのは隊長のモリアだ。腹をくくれ」
「都合のいいときだけ隊長扱いするなあ……」
モリアはミーリットの目を真っ直ぐに見て、自分の考えを述べる。
「ここで退いたら、メグレズの里が手遅れになるかもしれない。だからメラクに配慮する気はない」
「……分かりました。確かにその通りです」
他の者たちにも異論はなかった。
特例開拓者第一小隊、隊長モリア。
剣士レミー。
魔術師グルイーザ。
神殿騎士ミーリット。
メグレズのロカ。
アリオトのザジ。
モリアを先頭に、六人は地上への階段を上る。
「これがワームの死体か。成体になりかけてやがるな……」
迷宮出入り口を取り巻くように放置された死骸を見て、グルイーザがつぶやく。
今でも十二分に手強い魔物だ。これ以上成長した相手とは出来れば戦いたくない。
モリアたちが地上に出たことはメラクもすぐに気付いたようだ。
死骸を迂回するように移動してくる。
「僕が北側でレミーが南、他は後方支援でいいかな」
「それでいいけどちょっと待ってろ。なるべく引き付けてからだ」
「わざと敵に包囲させるのか?」
ザジの疑問には、グルイーザ本人ではなくモリアが頷きを返した。
魔術師の戦い方はザジには分からないが、モリアが言うならとその場に待機する。
樹々の間から盗賊ギルドの装束を身に纏う者たちが見える。
単騎で突っ込んでくる者はいない。
ザジの弓矢を警戒して樹の陰から出れないということもあるだろうし、頭数を揃えてから確実に潰そうという意図もあるだろう。
何より敵の中に魔術師がいるのなら、魔法による先制攻撃が最も効率がいい。
そしてそれは、こちら側も同じことだった。
「――窒息の雲」
グルイーザの呪文と共に、モリアたちの周囲を除くように白煙が発生する。
それはまさに雲とでも形容すべきもので、瞬く間に周囲の樹海へと広がっていく。
メラクの兵たちをすっぽりと包み込んだ『窒息の雲』の魔法は、それを吸い込んだ者の意識を奪い去り、そのまま死へと誘った。
しかし体力の高い者は気絶には至らず、魔法の効果から逃れることが出来たようだ。
「四十七分の三十六、耐えたのは十一人だ。来るぞ」
白煙の雲が晴れると同時に、モリアとレミーが動く。
ザジの剛弓が唸りを上げ、樹の隙間から姿を見せた粗忽者を射ち貫いた。
続けて甲高い金属音。
どうもザジの矢を金属盾で防いだ戦士がいるようだ。位置はモリアとレミーの中間辺り。
なかなかの使い手と見たが、彼ひとりで後衛の四人を倒すのは不可能だろう。
自分の仕事を全うすべく、無視して樹海の奥へと斬り込んだ。
樹の陰に隠れていたメラク四人を討ち終えると、仲間のもとへと戻る。
レミーも南側の敵を掃討したらしく、こちらへ向かってくる。
そしてミーリットの足許には、先程ザジの矢を防いだ重装備の戦士が倒れていた。
「ミーリット、大丈夫?」
彼女は顔面蒼白の上、肩で息をしている。
外傷は見当たらないし、鎧にも傷ひとつないようだが。
後ろに居たグルイーザが前に出ると、ミーリットの顔を覗き込む。
「どっか怪我でもしたのか?」
「いえ……人を手に掛けるのは初めてだったもので……」
「ああ、なるほど。今後のために慣れておいたほうがいい気もするが――そもそもこいつらは人間じゃないぞ」
「え?」
疑問の声を上げるミーリットの前で、グルイーザは死体へと歩み寄った。
メラクは様々な種族の集まりではあるが、見た目がたいして変わらない者たちを、人間じゃないというのは詭弁であろう。
ローブ姿の魔術師は屈み込んで死体の兜を引き剥がす。
その顔はどう見ても人間だった。
続けて死体の顔に手をかざす。
次の瞬間、その顔から急速に色が失われていった。
――!?
皆が息を呑む。
死体は顔だけでなく、手などの肌が露出した部分からも色が失われ、真っ黒な影のようになっていた。
影はやがてその形状を保てなくなり、主を失った衣服はへたりと地面へ沈んでいく。
そして、死体は完全に霧散した。
「なんじゃ、今のは? 一体何をした?」
「死体に残存する魔力を抜いたんだ。その結果、本来の姿に戻った」
「本来の……姿?」
自分は一体何と戦っていたのかと、ミーリットは混乱する。
「まあ、こいつらもれっきとした旧帝国民ではある。だから民草を殺したことに違いはないけどな」
「もしかして、樹海の中で倒れてる死体も全部同じ種族だったりする?」
「そうだ」
あっさりと肯定された。
草原で戦ったあの希少な獣人種も、この影のような存在だったということだろうか。
「待て、待て待てグルイーザよ。それでは何か、メラクが多数の種族を擁するセトラーズというのは吾輩らの勘違い、本当は単一の種族じゃったというのか?」
「全部見たわけじゃないから断言は出来ない。でも帝国時代だって別に、各種族が仲良く同じところで暮らしてたわけじゃないんだぜ。こんなごろつきみたいな集団が、何百年も維持できるものかよ」
ロカは唖然とし、ザジも今までの常識が破壊されたことに戸惑っていた。
レミーは興味深げに残された衣類を観察した後、グルイーザに問う。
「それで、この種はどういう特徴を持っているんだ。ただ外見を擬態するだけなのか?」
そう、重要なのはそれだ。
モリアも黙って次の発言を待った。
「こいつらの外見には必ず元となった者がいる。そして対象の寿命と引き換えに、その記憶と能力を継承する。伝承ではドッペルゲンガーとか呼ばれたりする種族だな」
その名であれば聞いたことがある。
「それって、魔物の名前じゃないの?」
「迷宮の魔物だって、大半は地上の生物が変化したものだからな。区別にあんまり意味は……っと、その話は後だ。敵はまだひとり残ってるぞ」
「!」
言われるまで気付かなかった。
しかし、ここまでの潜伏能力を持つ者には覚えがある。
――草原に潜んでいた、あいつか。
レミーも気付いたようで、それが潜む方向へと視線を向けた。
モリアは軽く手を上げ、レミーに留まるよう合図をする。
「僕が行くよ。複数だと、多分逃げられる」