第52話 集結
「これはどうやったの? モリア」
「呪石魔法の一種だよ。ひとつしか持ってなかったから、もう使えない」
「一体だけなら倒せるとは、そういう意味じゃったか」
合流したふたりは、死骸に残された攻撃痕の異様さに目を見張る。
モリアはすぐに次なる敵、メグレズの里を囲む三体のワームについて思考を巡らせた。
「里のほうだけど、三体同時となるとなかなか厳しいね」
「魔法矢の予備があればよかったんじゃがのう……」
「それより、ここから里までどれくらいかかる?」
ザジが空の様子を気にしながら言った。
日の位置はだいぶ傾いている。
「今から移動すると、里に着くのは夕刻か……」
魔力核を狙って攻撃するだけなら、視界の悪さはそこまで関係ない。
だが遠くの動く標的を射るには、目視で動きを読んでその先を狙撃しなければならなかった。
三体のワームを倒すのにどれだけの時間がかかるか分からない以上、夕刻から戦闘を始めるのは得策とはいえないだろう。
「今日はもう休息に当てよう。幸い、広い安全地帯も確保できたしね」
地下迷宮の出入り口を指し示しながら、そう提案した。
*
地下へ通じる階段は、石で組まれた小型の建造物に覆われている。
石壁の表面はその気になれば人間の道具でも砕けるだろうが、建造物そのものはよほど頑強なのか、ワームによって壊されることもなかったようだ。
モリアは今更ながら、興味深げに壁を観察する。
「壁を壊して迷宮の奥に進む、なんて話は聞かないしなあ……」
「迷宮生成術という魔法の骨組みの上に、石やら何やらの肉付けがされているようなものじゃからの。表面の石は削れても、中心部まではそう簡単に壊せんよ」
「樹海を切り拓こうとしても、森の再生速度に勝てなかったとも聞いている」
北壁山脈に住まうというアリオトも、樹海迷宮の開拓を試みた時期があったのだろうか。
王国史においても樹海開拓は何度も失敗している。
限られた人口では余計に難しかろう。
モリアを先頭に、ロカ、ザジの順で地下への階段を下りる。
ふと、メラクやザジと出会った草原のことが頭に浮かぶ。
迷宮特有の魔力がなく、どれくらいの間そうであったのかは分からないが、樹木が再生している様子もない。
あの場所では『迷宮の骨組みそのもの』が破壊されているのだ。
迷宮も所詮は誰かが造ったもの。絶対に壊せないということはないのだろうが、それにしても。
――どんな存在なら、あれほどの破壊を齎せるのだろう?
兄弟たちのことを思い出す。
六人全員の力を合わせればそれくらいは可能な気もしてきたが、少し足りないような気もする。
何より目的がよく分からない。
迷宮を突破するために壁を壊そう、くらいならエリク辺りが言い出しそうではあるが。
北壁山脈を目前にして樹海を薙ぎ払うなど、中途半端が過ぎるのではないか。
階段を下りきった。
発光石の光に照らされ、降魔石に囲まれた安全地帯は前に見たときと変化はない。
泉の水が湧く音と、遠くから響くような自然の音、それ以外は何も聴こえなかった。
ザジは地下迷宮に馴染みが無いらしく、周囲を注意深く観察している。
「この部屋に魔物が近付けないというのは分かった。他に危険はないのか?」
「少し前まではそうだと思ってたんだけど。メラクの存在を知った今となっては、安全とは言い切れないのかな……」
「まあ、精霊がおるから見張りが不要なことに変わりはないわい。ゆっくり休んでおけ」
ロカと相談しつつ、焚き火の準備をする。
半ば密閉された空間での焚き火に、ザジがやや難色を示した。
「地下迷宮の防衛機能のひとつでな。汚れた空気はかなりの速度で吸収、換気、再生される。焚き火ひとつくらいでは問題ない」
「迷宮内で火事が起きたら、煙での被害がとんでもないことになるからね。そういうのを防ぐためなんじゃないかって言われてる」
そう言うモリアも、地下で火を使うのは初めてだ。
他の地下迷宮の知識など、聞きかじりでしかない。肝心のこの迷宮が安全か否かを調べている時間がなかったためなのだが、地元のロカが大丈夫だと言うなら問題ないだろう。
洞窟の入り口から火を放り込んで中の獣を仕留める、みたいな手は地下迷宮ではあまり使えないという。
魔術師が使う『毒の雲』などの魔法も短時間しか効果がないのだとか。
そんな話をしつつ、いつしかモリアは眠りに落ちていた。
「モリア! ザジ! 起きろ!」
ロカの声に、始めはゆっくりと……そして急速に意識を覚醒させて跳ね起きた。
続いてザジも上体を起こし、すぐ横に置いてある弓に手を掛ける。
「通路の先から何か近付いてきておる。二足歩行で三体。この辺の魔物とは違うぞ」
人型の魔物、あるいはセトラーズ。
メラクであれば戦闘は避けられまい。
草原での戦いでは、隠れ潜んでいた何者かに全員姿を見られているのだ。
メグレズの里にやってくる可能性も低くはなかった。
――それにしては人数が少ないか?
とはいえ里を攻める目的ではなく、モリアたち三人に対する刺客というなら理解できる。
彼らの中にも、腕に覚えのある猛者がいるはずなのだ。
そうでなければ、樹海迷宮の環境と彼らの悪名が釣り合わない。
モリアも対象の気配を捉えた。
気配は真っ直ぐこの部屋を目指しているように感じられる。
ロカが深刻な様子でつぶやく。
「降魔石で出来た部屋に向かってくるなど、魔物の動きにしてはおかしい」
ザジが弓に矢を番える。
モリアはそれを制するように手で合図を出した。
「モリア?」
「大丈夫。あれは敵じゃない」
通路の先に、やや懐かしい人影が見える。
やがて部屋の前に到着し、開口部をくぐって室内へと入ってきた。
長身に頑強な体躯、長剣を携えた黒髪褐色肌の男である。
「ここに居たか、モリア」
「呪石の講義はもういいの? レミー」
続けて入ってきたのは、神官服の上に金属製の鎧を着込んだ少女。
見た目の印象に不釣り合いな、戦鎚をその手に握っている。
「モリア! 心配しましたよ」
「え? まだ十日は経ってなかったと思うけど?」
モリアは自分が宣言した期限をきっちりと把握していた。
今はまだ、七日目の夜のはずである。
「う……。それはまあ、そうなんですけど……」
編み込んだ栗色の髪を片手で弄びながら、ミーリットは何やら口籠っていた。
その後ろから現れたのはローブ姿の少女、グルイーザ。
彼女だけは、背嚢も背負っていない上に手ぶらである。
光量の限られる迷宮内でも煌めく黄金の髪は、被られたフードの内側でも存在感を主張していた。
その顔は恐ろしく整っているが、目付きの悪さと不敵な笑みを浮かべる口元のせいで神秘さは半減、妙に愛嬌が感じられる。
もっとも、彼女に対してそんな感想を抱くのはモリアだけかもしれない。
グルイーザは室内を見回し、その中に居る身長一メートル程度の小妖精、黒髪褐色肌の少女の姿を確認してからモリアに向き直る。
「なんか想像してたより、楽しそうなことになってんな。あたしも混ぜてくれよ」
*
「メグレズ、メラク、それにアリオトか。レミーの目的は達成されちまったなあ」
「そうだな。アリオトの里もこの目で一度見ておきたい」
「私が案内しよう。モリアにも是非来てほしい」
「そのつもりだよ」
焚き火の前でモリアたち六人は情報共有をおこなう。
迷宮内で生きてきたセトラーズという存在、レミーの同族アリオト、そしてメラクの脅威。
更には当面の目的であるメグレズの里の救助について。
「グルイーザ、セトラーズについては何か知らないの?」
彼女は迷宮の研究をしている魔術師の一族だ。
数々の魔法技術から推察するに、その歴史は相当に古いはず。
以前聞いたときは『集落や街が迷宮に飲まれる話』について、ほとんど知らないということだったが。
「帝国から王国への代替わりのときに、過去の資料はほとんど消えちまってな。魔術師稼業自体、近年まで廃業してたんだとさ」
グルイーザの家系は確かに帝国時代から続くものだが、帝国滅亡後からは長らく活動停止していたそうだ。
王国に睨まれないためだろうか。その期間に資料や技術の多くは失われてしまったという。
「セトラーズという存在自体、聞いた感じじゃ王国時代から増えてるのが主流だろ?」
「確かに、居場所を失った帝国民の受け皿みたいな側面はあるかものう」
帝国時代は普通に各地で暮らしていた者たちも、帝政末期の戦時には辺境に追いやられる形になっていた。
ライシュタットの例を見るに、迷宮側に種族を振り分けるような機能はない。
意図的に帝国民の受け皿になったというよりは、偶然そうなったと考えるべきか。
ロカからの情報を基に、グルイーザは推論を続ける。
「セトラーズの拠点は樹海の北部に集中している。北部内じゃ割と自由に動いてるのに、樹海中央部から南に行くのは難しいのか?」
「吾輩らの世代ではメラクがおるから樹海の南には行かんのじゃが、それがなくとも中央部を抜けるのは難しいと聞くぞ」
メラクはそんな場所を拠点にしていたのか。
まるで他のセトラーズを監視しているかのようだ。
「他の四方迷宮でも、同じようなことがあると思う?」
「仮にあるとすりゃあ、他でも浅層と深層の境界を突破するのは難しいのかもな」
「外の世界の迷宮か。想像もつかんのう」
東の辺境の地下迷宮も、その奥がどこまで続いているのかは不明である。
彼の地の冒険者たちは、せいぜい全体の半分程度しか迷宮を踏破していないということか。
かつてラゼルフが地下で古い村の遺跡を見つけたという話は、あるいは迷宮深層部での出来事だったのかもしれない。
「深層部まで行った者がいたとしても、その後の帰還すら難しいとしたら……」
「ロカの言う通りなら、セプテントリオンもそんな構造だしな。まあ、他の迷宮に比べりゃ地続きな分、どうとでもなるかもしれねえけど」
モリア、ロカ、グルイーザの話は夜更けまで続く。
他の三人は、いつの間にか寝息を立てていた。