第38話 呪符魔法
「では、屋敷の警備はもう必要ないのですか?」
「いえ、魔物の心配はほぼなくなりましたが――」
あれからグルイーザは丸一日かけて新たな呪石を四つ作成し、四箇所の安全地帯を創り出していた。
エメリヒの質問に対し、モリアは自身の考えを述べる。
「街の人間が迷宮に入って壁を壊してしまう可能性のほうが問題です。入るのは許可された者だけに絞り、街側の出入り口だけでなく部屋そのものにも交代で見張りを置いたほうがいいでしょうね」
「ふむ……。迷宮都市でも、入り口近くの安全地帯を中継拠点として利用することもあると聞きます。我々もそれに倣いますか」
かつての開拓拠点も似たようなものだ。
樹海のより奥に行くための中継拠点も、迷宮攻略のそれと考え方は同じである。
「障壁の呪石、でしたか。それを量産することは出来ないのですか?」
そこは誰もが考えることだろう。
モリアは力なく首を横に振る。
「かの魔術師――名前はご存知でしょうけどもグルイーザには、誰も強制は出来ません。僕も彼女の信用を失いたくはありません。本当に必要なことであれば自発的におこなうでしょうが、街の周囲を覆うほどの大量の呪石を作らせるのは難しいでしょう」
街の周囲というのが、城壁のことを指すのであればそこまで難しくはないだろう。
しかしモリアやエメリヒは、街が生き延びるためには周囲の畑を取り戻すことが必須と考えている。
短期間で長大な城壁を築くなど不可能だ。
障壁魔法に期待してしまうのも無理からぬことである。
「ふむ……。何もかもをひとりの人間に背負わせることは私も本意ではありません。私のほうでも引き続き対策を考えていきます」
エメリヒへの報告を終え、組合を出る。
通りには人もまばらに歩いていた。
人間は慣れるものだ。それに生活もあるので動かないわけにもいかないのだろう。
四方の門を障壁で護っている現在、門の開閉自体にそれほど危険はない。
しかし街の外に出られない以上、今はまだあまり意味がない。
課題は山積だった。
*
宿に戻ると入り口の前に複数の衛兵が立っていた。
このような者たちを連れ歩く来客といえば。
「あ、モリア帰ってきた!」
「ただいま、アニー」
店内に入ると、そこには予想通りテオドラと――
その向かいに座っているのは、よりによってグルイーザだった。
「おい……モリア、ここ代わってくれ」
モリアはカウンターに向かうと、親父さんの前の席に腰掛ける。
「白湯もらえますか?」
「無視すんじゃねえ!」
テオドラの後ろに立つミーリットは苦笑している。
いったいなんの用事なのか。
あまり会わせてはいけない組み合わせだと思うのだが。
「今日伺いましたのは、グルイーザ様に師事したく思いまして」
「はあ……」
突拍子もない提案に、グルイーザは溜息を返すばかりだ。
――弟子入りか。
文字通りの意味なのだろうか?
この姫様の言うことは、どこまでが本気なのか分からない。
魔法の素養があるのかどうかすら怪しいだろう。
だが、王族や貴族の人間が魔術師に弟子入りすること自体は不思議ではない。
グルイーザの態度が騒動の火種になりはしないかと心配するモリアからすれば、王族の師匠という肩書きも悪くないのではとすら思える。
「私、ベルーア卿直伝の呪符魔法を使えますから、グルイーザ様の呪石魔法と相性は良いはずですわ」
「……何?」
死んだ魚のような目で生返事をしていたグルイーザの声色が変わった。
呪符魔法――魔除けの札などに魔力を込めるその魔法は、呪石魔法と共通点が多い。
力を込める対象が札か石かの違いだけ、というのは乱暴だが、あながち間違いでもないだろう。
意外、と言っては不敬かもしれないが、テオドラはどうやら真剣に弟子入りする気があるらしい。
「それを早く言え。ということは、あのジジイは呪符魔法が使えるんだな? だったら障壁を張る仕事なんてあいつに丸投げして――」
「ま、待って下さいお師匠様。その仕事は私が……」
テオドラの慌てるような声は初めて聞いた。
そんなことよりも、王女に対してさえ普段の口調で話すグルイーザのほうが驚きだが。
「誰が師匠だ。あんたは王女、グリフォンのジジイはあんたの師とはいっても王国の臣下だろう。やらせとけばいい」
「それでは……駄目なのです」
「あーん?」
モリアには思い当たる節があった。
ここで助け舟を出すことは、開拓者組合にとっても悪くない話だろう。
「街の上層部をまとめるために、姫様には実績が必要なんだと思うよ」
「モリア様……」
すがるような目を向けてくる王女とは視線を合わせないようにした。
グルイーザはじっとりとした横目でモリアを睨んでいたが、やがて根負けしたように言う。
「あんたが呪石魔法を使えるようになっても、領地を囲い切るほどの障壁を創るには時間がかかり過ぎる。頃合いを見てベルーアの力も借りることだ」
「はい! ありがとうございます!」
見ていて不安になるやり取りだ。
グルイーザの知識には身分制度という概念が存在しないのだろうか。
親父さんがさっきから身動きしていないのだが、心中察して余りある。
「私からもお礼を言わせてください、グルイーザ」
「何他人事みたいに言ってんだ、ミーリット。お前たちもやるんだよ」
「…………え?」
グルイーザは、確かにお前たちと言った。
*
衛士たちに店の前をうろうろされても宿の――厳密には食堂としての商売は上がったりである。
テオドラはその分の補償を申し出てはいるが、それだけで済む問題でもない。
宿から出たがらないグルイーザを説得し、訓練の場は別に移すこととなった。
「空き家ですからね。ここを使いましょう」
そうテオドラに指定されたのは、地下迷宮への入り口がある例の屋敷だった。
迷宮探索の前線基地ともいえるこの場所には、開拓者組合の支部が置かれるとも聞いている。
なにしろ貴族街の中なので、本部ごと引っ越しというわけにはいかなかったようだ。
ガラの悪い開拓者たちが大勢出入りしても、互いの為にはなるまい。
「さて。モリアは分かっているだろうが、姫様以外の三人には呪石の制作を期待しているわけじゃない」
屋敷の一階広間に集まったのはテオドラと第一小隊の面々である。
指名された三人のうちモリアとレミーは魔法が使えず、ミーリットは神聖魔法の使い手だ。
「仮にこの中の誰かに古代語魔法の適性があったとしても、今から教えるような時間はない。お前たちに覚えてもらうのは、探索用の呪石を実際に使う技術のほうだ」
グルイーザが呪石を実際に使うとき、王国語で短い呪文を唱えるだけだ。
つまり呪石を作成するまでが狭義の『呪石魔法』であり、それを使用するには知識だけで事足りる、魔法の才能は必要ないということか。
元々呪符魔法からしてそういうものなのだ。
魔力を込めた札を民間や貴族、冒険者などに売るのが呪符魔法使いの仕事である。
グルイーザの扱う呪石は魔法の規模が大きいため別物のように見えていたが、基本は同じであるらしい。
「俺でも火竜の息吹が使えるのか。興味深いな」
「あんな危険なものを素人に渡せるか。暴発したらどうする」
そうなると、期待できるのはやはり――
「野営用の障壁が、僕にも使えるってことでいいのかな」
そう言ったモリアを皆が見た。
普段の軽い調子の発言にも聞こえたが、その中に帯びる真剣味を感じ取ったのかもしれない。
「……お前にそんなものを渡したら、四方迷宮の果てまで行っちまいそうだな」
雑談はそこで切り上げられ、一日めの訓練が始まった。