第32話 第一章最終話・開拓者
ふたりがそれぞれの部屋に戻ると、モリアは寝台に横になった。
考えることが多く、なかなか寝付けそうにない。
だが、心身の疲れは徐々に意識を朦朧とさせた。
『――モリア』
耳許で、懐かしい声が聴こえた気がする。
懐かしいといっても、今朝も一度聴いた声だ。
「セルピナ?」
『やっと、護符の呪いから解放される。ありがとう……』
――また、夢か。
自分で手に掛けておきながら、自分の想像上のセルピナにこんなことを言わせているのだから世話がない。
『迷宮では、魂はその形をしばらく保てるのね。だからこうして、お別れを言うことが出来た』
罪悪感を鎮める言い訳にも、理論武装が必要ということらしい。
いかにも自分の夢らしくて、苦笑するより他はない。
「フィムが……セルピナの居場所を教えてくれたおかげだよ」
『《軍神》フィムブルテュールは戦死者の魂を収集する迷宮守護者よ。本当はモリアの魂を求めていたのかもしれないわ』
そういう見方もあるか。
それぞれの魔導護符に封じられた魔神にちなんだ呪い。
あれはモリアの知るフィムではなく、魔神の幻影だったとも考えられる。
ならば残る四人は、いかなる呪いをその身に受けたのか。
『私はもう行くわ。あなたは自分の命を大事にして。でも、余力があったら街の人たちも助けてあげてね』
「……分かった」
セルピナとの約束が、増えてしまった。
*
翌日も組合の仕事を手伝い、日が暮れた頃に宿に帰ってきた。
宿屋暮らしであることを伝えると組合から日用品を分けて貰えたので、夕食前に部屋へ荷物を仕舞う。
扉を閉めて一階に戻ろうとすると、廊下にグルイーザが立っていた。
いつものローブ姿ではなく、白と橙色を基調とした妙に派手な服装だった。
ローブの首元から覗いていたその色合いには見覚えがあり、つまり普段はローブの下にこれを着ていたのだろう。
吟遊詩人や、その歌や音楽に合わせ演劇をおこなう役者たち。
そういった生業の者たちが着る衣装などと、共通する意匠が見受けられる。
あるいは古代帝国の物語が記された本の挿絵にもどことなく似ているが、詩人の物語というのは昔の英雄伝説などを語るものであるから、これらの起源は同じものなのだ。
大変に目立つ。
彼女の仕事は、目立たないように行動するものではなかったのか。
ローブを着ていれば問題ないといえばないのだが。
「あ、もしかして。普段は正体隠すために、旅の吟遊詩人を装っているとか?」
グルイーザは、そんなモリアの言葉に溜息をついて。
「……北の辺境じゃ、そういう解釈になるよな」
「?」
「これは東の迷宮から出土した、古代帝国の魔導服だ」
その言葉を聞いて納得した。
吟遊詩人たちの見掛け倒しの衣装ではなく、なんらかの魔法効果がある、本物のお宝であるらしい。
「演劇とかの衣装って、割と史実準拠なんだね」
グルイーザの服ではなく、偽物の再現度を褒めた。
「…………モリア、あんまりひとりで抱え込むな。少しくらいなら助けてやる」
「うん、遠慮なく力を借りるよ。これからもよろしく、グルイーザ」
「そんくらい軽口が叩けるなら、大丈夫そうだな」
魔術師は不機嫌そうな表情のまま振り向くと、黄金の髪を揺らしながら自分の部屋の前に戻り、そのまま中へと消えた。
一階に下りると、客は捌けた後だった。
宿の食堂で出される食事は美味いが、この時間に誰も居ないのは、それだけ街の人たちも大変だということだろう。
店主の親父さんは、片付けを手伝っていた娘に声を掛ける。
「アニーも、もう食事にしなさい」
「はーい。モリア、一緒に食べよ」
「私もご相伴にあずかってよいだろうか?」
いつの間にか店内に入ってきた新たな客を見て、親父さんの動きが固まった。
高価そうな装飾が入った金属鎧、プラチナブロンドの真っ直ぐな髪と鋭い眼差し。
その女性は明らかに高位、あるいは金持ちの貴族だった。
このような店と縁がある人種ではない。
「あっ! 騎士のお姉さん!」
「やあ、また会ったねお嬢さん。元気そうで何よりだ」
ジーク某は、そう言って微笑んだ。
テーブル席の隣にアニー、向かいにはジークが座った。
並べられた食事の他、ジークの前には酒が注がれた木製のコップも置いてある。
当たり障りのない会話と食事をしばらく続けた後、ジークは聞きたかったであろうことを切り出してきた。
「貴殿のパーティには、《グリフォンの目》もかくやという大魔法使いが所属しているらしいな」
「はあ……まあ……」
「そして――その者は実力からの想像を絶するような、幼い外見の少女だと聞いているのだが……まさか――」
ジークはアニーを見つめて言った。
とんでもない誤解だった。
グルイーザも大人から見れば幼い少女ということなのだろうが、アニーは正真正銘ただの幼い少女である。
見つめられたアニーは状況がよく分かっておらず、オウム返しに答える。
「だいまほうつかい……」
「ジークさん。魔術師というものは詮索を好みません」
「む、そうか。これは失礼した」
ジークはアニーに向けて非礼を詫びた。
一杯飲んだだけで、もう酔っているのだろうか?
噴き出しそうになるのを鉄の心で堪える。
カウンターの奥では親父さんがむせていた。
「親父さん、この人に一番いい酒を」
「あ? うん。今持って行く」
「む。私の立場で若人に奢ってもらうというのは……」
「この店で立場を気にするのは野暮というものです」
ジークをからかうのは面白いが、後で怒られそうな気もしてきた。
酔わせて誤魔化してしまおうとモリアは考える。
財布には厳しいが……貨幣など、この街でいつまで使えるか。
夜も更け、アニーは部屋に戻り、帰ってきたレミーが店主と何やら話している。
「お帰り。レミーも飲む?」
「貰おうか」
「おお、貴殿が噂のレミー殿か」
上機嫌なジークがレミーに席に着くよう促した。
機嫌はいいのだが、街の上層部に対する遠回しな不満が話の中に垣間見える。
――この人、周りに本音で話せる相手が居ないんだろうか?
エメリヒ組合長によれば、ジークはこの街の貴族ではないそうなので、このような状況では苦労も多いのだろう。
だからといって、こんな場所で機密事項を愚痴るのは如何なものか。
一介の宿屋の店主も、聞こえない振りをするのに苦心しているようだ。
モリアは酔わせた自分のことは棚に上げた。
レミーはなかなか聞き上手で、余計なことは言わずにたまに相槌を打ったりしつつ、ほぼ黙って酒を飲んでいる。
歳も同じくらいでどちらも剣の達人。
このふたり、結構お似合いなのではないかとモリアは考えた。
身分的にも民族的にも壁がありすぎる。
しかし吟遊詩人の物語とかであれば、そのほうが大いに盛り上がるだろう。
それにここは王国の誰も辿り着けぬ、北の迷宮セプテントリオンの奥地。
誰はばかることがあるだろうか。
と、内心で勝手に盛り上がってみたものの、ふたり共そんな雰囲気にはなりそうにない。
グルイーザの格好を見たせいか、なんとなく詩人の物語を連想してしまったが。
現実はこんなものであろう。
席から立ち上がり、ふたりに挨拶する。
「じゃ、僕もう先に寝ます。ほどほどにごゆっくり」
あまり際限なくゆっくりされても、親父さんの睡眠時間が心配だ。
支払いを済ませて店の奥に入ろうとするモリアに、ジークが声を掛ける。
「エメリヒ殿から聞いたぞ。モリア殿は樹海の真ん中で街の開拓を始める気らしいな」
この状況下で開拓とは、面白い言い回しをするものだ。
そんな暢気なものでもないだろう、とモリアは思う。
だが……拠点を強化し、畑を守り、樹海に抗おうという試み。
それは確かに、開拓と言えなくもないだろうか。
「貴殿とレミー殿、魔術師殿の三人であれば、樹海から脱出することも可能なのではないか? なのに何故……」
「何故ってそりゃあ――」
三人には目的がある。
この樹海からすぐに立ち去るつもりはないのだ。
しかし――
「――僕は、開拓者なので」
酔っ払いの相手が面倒になってきたのか、モリアの返答はぞんざいだった。
第一章 樹海に飲まれるもの ~完~