第31話 禁忌の研究
ゾンビの大軍も樹木兵も、灰のように崩れて消え去ってしまったらしい。
街の北側の樹海は少し削られ、城壁もかなり損傷した。
モリアが迷宮守護者を倒したことで、操られていた魔物も全て消えたのだと、グルイーザは兵たちに説明する。
モリアとレミーは、壁上の兵や開拓者が上げる歓声に迎えられた。
街中に戻ると皆から話を求められたが、後でエメリヒに聞くようにと丸投げする。
グルイーザは宿に帰ってしまったようだ。
仕方なく、レミーとふたりで組合に報告に向かう。
エメリヒは街の議会に出席しているらしい。
戻るまでギルターの仕事を手伝うことにした。
夜にはアンデッドの軍勢を退けた祝いに、組合の広間でささやかな酒宴がひらかれる。
ささやかとはいえ開拓者たちは大いに騒ぎ、酒を飲まないモリアはしばらく退屈な時間を過ごす羽目になった。
アニーの宿に帰ると、レミーも宿泊の手続きをする。
宿泊客が増え、店主も上機嫌だ。
ふたりで二階に上がると、不機嫌そうな顔の魔術師が出迎えた。
「遅い。いつまでほっつき歩いてんだ」
「ごめんごめん。グルイーザが説明してくれれば報告も早かったのに」
「…………まあ、そのうちな」
軽い言葉の応酬を済ませると、グルイーザはモリアの部屋を指し示す。
普段は親父さんやアニーの前でもべらべらと機密を喋ってしまう彼女ではあるが、もう少し突っ込んだ話をしたいのだろう。
レミーと三人で部屋に入った。
「それで、ありゃあいったい何者だったんだ?」
「セルピナについては、僕が居た孤児院のことから話したほうがいいかな」
グルイーザは備え付けの椅子に勝手に座り、レミーは壁に寄り掛かって腕を組む。
モリアも寝台に腰掛けた。
「院長のラゼルフが、樹海を踏破するためのパーティを育ててた話は前にしたよね」
「俺は初めて聞くな」
「ラゼルフって《ホラ吹き》ラゼルフか? それは今聞いた」
ふたりの反応は無視して話を続ける。
「ラゼルフは迷宮に長期間滞在した生物が魔物化する仕組みを研究し、その力を利用しようと考えていた」
「出だしからロクでもねえな……」
「どのように利用するんだ?」
レミーの質問に答える。
「グルイーザの呪石魔法と同じように、魔除けの札に術を込める魔法があってね。その中に、魔物を封じ込めて使役する『魔導護符』と呼ばれるものがある」
「それは迷宮の外でも使えるのか?」
今度はグルイーザが説明した。
「外ではほとんど役に立たないな。呪符魔法は今でも使われているが、魔導護符は失われた技術だ。迷宮から出土するものしか現存しない。もしかして、それをなんとかしちまったのか?」
「ある意味そうかもね。ラゼルフが使ったのは魔導護符の力を人間に移植する技術。つまり人間の魔物化だ」
会話が止まった。
ふたりとも、黙ったままモリアのことを見ている。
様々な憶測が、頭の中を巡っているのだろう。
やがてグルイーザが口をひらいた。
「それは禁忌の研究だ。王国史上、人工的な魔物化の実験を成功させた奴は居ない。注入された迷宮の魔力に耐え切れず即死するか、それに耐えるほどの肉体があっても拒絶反応で程なく死ぬ。獣でも、そして……人間であってもだ」
グルイーザからは怒りが感じられた。
そのような非道な実験など許されるものではない。
話を聞いているレミーも静かに目を細める。
「古代帝国の技術を再現しようとしたんじゃなくて、多分抜け道を見つけたんだよ。ラゼルフは」
「抜け道だぁ?」
モリアの口調はいつもと変わらない。
グルイーザはそれにも苛立ちを覚えるようだ。
その怒りはモリア自身に向けられたものではないが、何故平然とそんなことを話せるのかと、そう言いたいようだった。
「魔物化の拒絶反応が出るのは大人だけだ。子供には当て嵌まらない」
「…………!?」
それを聞いたふたりは目を見開いた。
それでは、ラゼルフという男が孤児院を経営していた目的は――
「馬鹿な! 子供を実験台にすることなど、先人がとうに試して失敗している!」
「それだと即死するから、真相が分からなかったんだろうね。魔物化の実験に耐えたのは歴戦の兵士や冒険者、有名な犯罪者くらいという話だから……。肉体か、あるいは精神がそれに匹敵する者でなければ、最初の条件を満たせない」
レミーはそれを聞いて話の仕組みを理解した。
「そうか……。子供であるうちに強靭な肉体か精神を得る者。それを育て上げるのが、その孤児院の役割だったんだな。ならば、お前も?」
「さあ、どうだろうね。僕は一応魔物化は断ったんだけどね」
「お前が魔物のはずはない。降魔石はお前に対してなんの反応もなかったんだからな」
グルイーザはそう否定すると、続けてモリアに問い詰める。
「孤児院では、何人死んだ?」
「ひとりも死んでないよ」
「は……?」
「どうしてなのか、僕にも分からない。知る限り、調べた限り、実験の犠牲者はひとりも居なかった。途轍もなく運が良かったのか、あるいは僕も知らない要因があったのかもしれない。ただ――」
遠い目をして、モリアは言葉を続ける。
「――ラゼルフは戦いが苦手な子供や、実験を拒否した子供に無理強いはしなかった。彼らが十二歳になったら、それぞれに合った働き口を見つけて、遠い街に送り出していた。記憶は……少し消されちゃったみたいだけど」
その研究を否定しつつも、モリアはラゼルフという男を否定はしなかった。
あるいは育ててくれた恩義から、憎めないだけなのかもしれない。
レミーが疑問を口にする。
「お前は十二を過ぎても孤児院を出なかったのか?」
「僕は実験を拒否したけど、樹海に挑む実力はあるとして、残ることが許された。備えの意味合いもあったと思う」
備え、という言葉の真意がふたりには分からず、次の言葉を待った。
「魔物化の研究になんらかの欠陥があれば、ラゼルフ小隊は総崩れになる。人間のままで樹海に潜れる者が必要だった。ラゼルフは人間なんだけど、弱いからなあ……」
そして、恐らくは総崩れになったのだ。実際に。
グルイーザは更に質問を重ねる。
「セルピナという女は、死んでからあの力を得たわけじゃないんだな?」
「そうだね、順番が逆。人の意思を持ったままの者をそう呼ぶかは疑問だけど、セルピナは――いわば生前から《迷宮守護者》だった」
それは名前が示すような、迷宮を護る存在でもなんでもない。
ただ、その強さと力の由来を基準とするならば、そう呼ぶよりないような歪な存在だった。
「いったいどんな護符を使ったら、あんな強さになるんだ?」
「草木と死を司る神――『ペルセポネ』の魔導護符」
「魔神級の護符じゃねえか……そんなもん、現存してたのかよ」
レミーが確認するように問う。
「モリア。お前はこれからも残りの家族を探すのだろう?」
「まさか、そいつらも――」
「行方不明になったラゼルフ小隊……隊長のラゼルフ以外は、セルピナを含めた元孤児の六人。彼らは皆、魔導護符の力をその身に宿していて――」
モリアは淡々と、その事実を告げる。
「――六人全員が、《迷宮守護者》だ」