第23話 迷宮守護者
モリアは内心頭を抱えていた。
偶然かもしれないが、疑念が拭えない。
――フィムはこのことを僕に知らせたかったのか?
街の城壁の上から姿を消した、かつての同居人のことを思い出した。
だが今は、それよりもすべきことがある。
「モリア! 編成に助言があったら教えてくれ!」
「第二拠点の反乱に加わってた特例開拓者って、単なる労働力で戦闘経験は浅い人がほとんどだよね?」
「そうだ。だから連中は怪我人の運搬と商人たちの護衛に割り振ってる」
「獣道しかないから大きな荷車は使えない。怪我人はひとり一台くらいで運搬するようにして」
「分かった!」
黒鉄札の古株からの質問に答えると、次は衛兵たちから質問が飛んでくる。
「列の先頭はどうするんだ!?」
「魔物との遭遇は運が絡みますが、何よりも突破できなければ意味がありません。自由開拓者と合わせて十人は腕利きを回してください。あと、街の門を開けてもらうのに、顔が利く人も加わってもらって――」
「隊長に入ってもらうわ!」
「残りの人員は側面の護衛に回してください」
「殿は!?」
「僕たち三人で務めます」
「三人!?」
「人数の不利はモリアが補うから問題ねえよ。過去の戦じゃ、投石の達人は大軍も蹴散らしてんだぜ」
「それは作り話だよ……」
グルイーザは投石術を過大評価しているのではないだろうかと、若干不安になる。
だが殿に人を割く余裕が無いのも事実だ。
それ故、士気を下げないようにそう言っているだけなのかもしれない。
ある程度の指示を出すと、あとは準備を待つだけになる。
隊長とて準備はさせているものの、まだ出発の指示を出してはいない。
モリアは待っている間、情報を集めることにした。
拠点の現状を完全に把握したわけではないからだ。
「すみません、ちょっといいですか」
「え? ああ、あなたたち。噂の特例小隊ね」
手近な女性開拓者に声を掛けた。
女性が開拓者を続けることは、体格的な不利もあって難しい。
だからこそ現役の女性開拓者は、なんらかの才に秀でた者である場合が多いと聞いている。
有益な情報が得られるかもしれない。
「ここでどんなことがあったのか、まだ全然聞いていないんです。教えてもらってもいいですか?」
「そうなのね。最初は……一昨日の日没前に――」
そのとき起きたことは、街とだいたい同じ内容だった。
違うのは戦死者がゾンビ化した点である。
また、拠点の南側には防護柵が無かったために戦闘は長引いた。
開拓拠点の性質上、大部分の人間に戦闘経験があったのは不幸中の幸いだろう。
「翌日も悪夢は続いたわ。外から攻めてくるゾンビの中には、樹海で行方不明になった人たちも居たの」
「それはつまり、顔見知りが居たんですね? 具体的に誰だか分かりますか?」
「私の直接の知り合いではないけど、第二拠点の反乱の後、姿を消した人たち――」
管理し切れないからと、逃がした反乱軍の幹部か。
生きて樹海から出ることは難しいと考えられていたが、そのような末路になろうとは。
「――あと、街の酒場で噂になっていた、『樹海をひとりで歩く女』というのも目撃されているわね」
――え?
グルイーザを見た。
しかめっ面で首を横に振っている。「そんなものは知らん」ということだろう。
「樹海の悪霊は、ふたり居た……?」
「樹海の悪霊?」
「あ、いえこっちの話。その女性の正体は分かりますか?」
「一度だけ話したことがある人に、ちょっと特徴が似ているみたいなのよね。女性の開拓者で、しかも行方不明者って珍しいでしょ? だから覚えてるんだけど。長い黒髪で、背がかなり高めの人」
グルイーザとは印象の異なる外見だ。
もしかするとグルイーザの隠蔽魔法を看破した開拓者など、元からひとりも居なかったのかもしれない。
「他に、変わった出来事はありましたか?」
「樹海の樹々が動いてたって話を聞いたわ。動く樹木の怪物が河を埋め尽くしたに違いないって。でも、さっき回ってきた情報と全然違うみたいだけど。あのときは混乱して見間違えてたのかしらね?」
樹海の樹々が動いて人間たちの領土を取り囲む。
それは街でも話した仮説のひとつだが、グルイーザやベルーアの提示した事実とは異なる。
突然河が消え去り樹海が現れたことで、そう考えてしまったという可能性もあるだろう。
だが――
「あなたが一度話したことがあるという、女性開拓者の名前は覚えていますか?」
「ええ。彼女の名前はセルピナよ。所属していたパーティは確か、えーっと……」
モリアはぼそりと、そのパーティ名をつぶやいた。
「…………ラゼルフ小隊」
その名前を聞いたグルイーザは「ん?」と首を捻る。
レミーはその名を知らないので、特に反応はない。
女性開拓者は、「そんな名前だったかもしれない」とだけ告げた。
他にも、何人かの者に聞き込みをおこなった。
その上でレミーが所感を述べる。
「動く樹木の魔物か。結構目撃証言が多いな。本当に居たのではないか?」
「そりゃあまあ、樹海の迷宮なんだし居ないとは言い切れねえけどよ。ゾンビと迷宮守護者に加えてそんな厄介な相手が居るなんて、あんま考えたかねえな」
拠点内では、開拓者や商人が慌ただしく動き回っている。
荷物をなるべく持って行きたいようだ。
そんなものは命には替えられない、などとは言い難い。
武器や食糧がなければ、結局は死んでしまうことだってあり得る。
彼らの邪魔をしないような場所に移動して、モリアたちは話し合っていた。
「グルイーザ。ゾンビを操る迷宮守護者って、例えばどんなものが挙げられる?」
「もし今回の敵が吸血鬼なら、あたしらは運が無い。単純にデカいゾンビ、とかはマシなほう。でも竜のゾンビだったら最悪。面倒なのは『不死者の王』――魔術師のアンデッドな」
どれが出ようと苦戦は免れないということらしい。
迷宮守護者とは、そういう相手なのだ。
「魔術師がゾンビ化したら、不死者の王と同じくらい手強いかな?」
「魔術師がゾンビになっても、知能が低下するから魔法なんて使えねーよ。迷宮守護者ってのは、迷宮に飲まれても生きていたモノが魔物化して、更に長い歳月が経って誕生するもんだ」
しかし、モリアは首を軽く横に振る。
「何事にも例外はあるんでしょ?」
「何が言いたい?」
ゾンビの群れを操っているのが何者なのかはまだ分からない。
しかし、可能性がある以上は情報を共有しておくべきだ。
「街で噂になっていた樹海の悪霊――行方不明になっている女性開拓者。……セルピナは、植物を操る魔術師だ」
「植物……。樹木の魔物に見えたのは、そいつの能力だってのか?」
「モリア。その女はもしかして――」
レミーが何かを察したように聞いた。
「今はそれは気にしないでほしい。彼女が自分の意思とは無関係に、人々を殺める存在になったのなら……僕はそれを止めたいと思う」
レミーもグルイーザも、その意見を否定はしなかった。
植物使いセルピナが敵である可能性も視野に入れ、今後の対策を相談する。
「大河からここまで二百キロもあるのだろう? 目撃された樹海の悪霊が、ここまで移動することは可能なのか?」
「守護者級の魔物が移動したとして、格下の魔物に襲われることは、ほとんど無いだろうな。あと、ゾンビなんか襲う魔物もほぼいねえだろ」
「疲れを知らないアンデッドなら、短期間で移動すること自体は容易いだろうね」
ラゼルフ小隊は一ヶ月半も前に、第三拠点よりも奥地に進んで行方不明になっている。
樹海の悪霊が大河の北岸付近で目撃されるようになったのはその後だ。
そして、動く樹木やセルピナらしき者がここで目撃されたのは二日前。
二日前に街や拠点が樹海に飲み込まれたときは、既にこちらに来ていたことになる。
「なんでそいつは、樹海を行ったり来たりしているんだ?」
「僕と同じ……かも」
「人探し、というわけか」
そうだ。
アンデッドになった者が正気や記憶を保っていることはほとんどないという。
それでも、セルピナははぐれてしまった小隊の仲間を探しているのかもしれない。
だとすれば同じ孤児院の同居人であった、フィムの不可解な行動の理由も見えてくる。
フィムはもう、この世に居ないのではないか。
彼自身はもう、何も出来ないのではないか。
霊体というものは地上で発生してもすぐ消えてしまうらしいが、迷宮ではその姿を長期間保持できると聞く。
フィムを見たあのとき、街は既に迷宮化していた。
彼は、セルピナのことをモリアに伝えるために姿を現したのではないだろうか。