第11話 異変
街の大通りに面した大きな酒場。
木製の丸テーブルが並ぶ、そのうちの一席。
日も沈み切らぬうちから、男ふたりは酒を酌み交わしていた。
いずれ劣らぬ獣のような大男。
片や、野生の肉食獣を思わせる引き締まった褐色肌の男。
もう片方は……図鑑でしか見たことはないが、サイやゾウといった、大型草食獣のような男である。
モリアはそれを微笑ましく見守り、酒を飲まない人間からするとやや味の濃い料理を少しつまんでは、たまに水で流し込んでいる。
――熊にも似ているかもしれない。
そんな益体もないことを考えていた。
「おっ、モリアにレミーじゃねえか! 街に来てたのか!」
そこにぞろぞろと現れた五人組は、第三拠点で生死を共にした白鉄札たちである。
「おれたちも混ぜろよ、一緒に飲もうぜ……って、げえっ! ギルター!」
「おう、オレが居たらなんかまずかったか?」
「い、いえ……。隣の席いいっスかね?」
横の丸テーブルに座った五人は、早速注文して飲み始める。
彼らはやはり話題が豊富で、モリアやレミーにも色々と話を振ってくる。
ギルターとも、なんだかんだで仲は悪くないようだ。
更に向こう側のテーブルに座る者たちが、彼らに聞く。
「なあ、お前らあの黒鉄札と知り合いなの?」
「ああ、第三拠点で一緒だった」
「うわあ……そんなとこで働いてる奴だったのか。道理で……」
「何? あいつら街でもなんかやらかしたの?」
「街でも、って。樹海ではいったい何したんだよ」
「何っておめえ、あの小僧が反乱軍を――」
そのとき――
ズン――――という音が響いた。
いや、音だけではない。
何か巨大な衝撃が店全体に襲いかかった。
続いて店内のあちこちで、木製の食器が地面に落ちる音がする。
モリアもレミーも、その恐ろしく巨大な何かを――事前に全く察知できなかった。
その事実に、ふたりの警戒心は最大限にまで跳ね上がる。
しかし衝撃は一瞬で収まり、ただ店内がざわつくのみ。
何も起こらない。
この現象は――
「地震……か?」
「地震って、こんなだっけ?」
周囲からそんな言葉が聞こえてきた。
北方辺境に地震は少ない。
だからこそ、モリアは鮮明にそれらを覚えている。
記憶の中のそれとは、何か違和感がある……。
別のテーブルでは、南方海出身という開拓者たちがその違和感を口にしていた。
「地震ってもっとこう、前後も揺れるもんだと思うけど」
「デカい衝撃が一瞬あっただけだったな」
「城壁に攻城兵器でも喰らったか?」
モリアは攻城兵器の攻撃を体験したことはないが、確かにそんな感じの衝撃だった。
しかしそれはあり得ない。
一斉攻撃を受けても、衝撃には時間差が生じるはずである。
衝撃の気配は広範囲に満遍なく、同時に感じられたのだ。
敢えて言うなら北側から強い衝撃を受けたように感じる。
北は大河なので、攻城兵器を並べるには無理があろう。
外からの喧騒も聞こえる。
今の衝撃に対する騒ぎだろう。
誰もがそう思っていたところ、外からの音に悲鳴らしき声も混ざり始めた。
モリアが、続いてレミーが動く。
悲鳴に対して迅速に反応した、周囲の者はそう思った。
しかし違う。
厳密にはこのふたりは、悲鳴の原因となったものの気配を感じ取っていた。
酒場の扉を開けて、外の通りへと出る。
気配の正体は――
真っ黒い体毛に身を包んだ、大型の四足獣だった。
体格に比して短めの毛。長い四肢と胴体。つり上がった目。
ネコ科の肉食獣、ヒョウと呼ばれる獣にも似たそれは、しかし図鑑の情報とは異なり馬のような巨大さだ。
「なんだあいつは。何故街中にあんな巨大な獣が」
レミーの疑問ももっともである。
四方にある街の門は牛馬や馬車も通すのだから、大きさという意味では入れないことはない。
しかし、衛兵が固める門以外の場所にそんな隙間は無い。
城壁の高さは最も低い場所でも五メートル以上はある。
モリアの知識上では、世界には跳躍の高さが五メートルを超す獣も存在するが、かなり稀少な存在だったはずだ。
では、目の前の獣がその個体なのだろうか?
一応は例外もある。
古代迷宮に生息する魔物と呼ばれる生物は、野生の獣の運動能力を凌駕する。
しかし、そんなものは今は関係ないはずだ。
今、重要なことは――
黒い獣の足許に、何人もの人間が転がっている。
前脚で踏み付けられ、周囲に血が飛び散っている。
野生の獣と人間が近付けばこうなるのは自明の理。
だが、それだけでは済まされないような殺気を感じる。
そもそも、南の森にこんな獣は居ない。
「樹海の獣……?」
疑問は口走った言葉まで。それ以上考えるのは後だ。
モリアは腰に装備した袋の中から携帯用の石を取り出すと、黒い獣に向けて駆け出した。
有効射程距離まで近付くや、その石を投擲する。
頭部の正中線目掛けて放たれた飛礫は、風切り音を上げて獣に迫る。
獣はその攻撃を察知すると、咄嗟に首を捻った。
恐らく、考えあってのことではない。反射的なものだ。
だがそのため飛礫は急所から逸れ、獣の太い首が衝撃を和らげる。
「駄目か」
一撃で仕留め切れなかった。
元々、大型獣を仕留めるときは相手の突進の力も利用している。
体格差があり過ぎる相手を不意討ちだけで倒すのは難しいのだ。
「俺がやる」
背後から追い付いたレミーが跳び出した。
連撃で仕留められないこともないだろうが、未知の相手の力をよく見ておきたい。
ここはレミーに任せることにした。
大型獣と一対一の戦いなら、モリアよりもレミーのほうが上だ。
こちらを敵と認識し、脚に力を溜めた黒の獣が跳躍した。
いや、跳躍と見紛うような見事な疾走だ。
飛礫による間合いの利は一瞬で打ち消され、目の前に迫る。
レミーのロングソードが一閃し、モリアはその場に伏せた。
巨大な質量が上空を通過し、獣は背後へと着地する。
「ぬおおぉりゃああぁっっ!!!」
背後から怒号が響き、巨体が地面に叩き付けられる音がした。
気のせいか、地面が揺れたような錯覚すら覚える。
振り向けば、ギルターが獣を頭から地面に叩き付けていた。
使った得物は長剣のようだが、ポッキリと折れてしまっている。
空中に跳ね上がった剣先が、遅れて落下し地面へと突き刺さった。
獣はしばし痙攣した後に動かなくなる。
長剣の扱いには一家言ありそうなレミーが顔をしかめた。
ギルターは短くなった得物を睨んでぼやく。
「チッ、こんな細い武器は駄目だな」
「剣の使い方がなっていない」
「これはひどい」
「うるせえな。お前らだって仕留め損なってたじゃねえか」
返す言葉もない。
だがレミーの放った一撃は胴を斬り裂いていたし、モリアの飛礫も効果はあっただろう。
「それより、どうやら一匹だけじゃないようだよ」
「だな」
「なんだと? あと何匹いる?」
「それが……把握できない程いるね。かなりまずい状況だ」
ギルターも、そして店から出て来た白鉄札たちも、それを聞いて眉間に皺を寄せる。
「オレは組合に戻って武器を取ってくる」
「レミー、ギルターに付いて行ってあげて」
「承知した。お前はどうする」
「逆側の様子を見てくる」
「モリア! おれたちはどうしたらいい」
「白鉄札の皆さんは、なるべく小隊を組んで街中に侵入した獣を発見、駆除してほしいです。他の方にも声がけして頂けませんか?」
「分かった、任せとけ」
それぞれの方向に分かれ、開拓者たちは動き出した。
組合とは逆の方角に向けてモリアは駆ける。
角を曲がり、すぐにそれを発見した。
商店街の中で、衛兵のような格好の者たちが三体の獣と交戦している。
先程の個体とは異なり薄茶色っぽい体毛でやや小型、種類も違うのかもしれない。
兵士のひとりに迫ろうとして突出した一体に目掛け、飛礫を放つ。
側頭部に命中した石は、一撃で相手を屠るには至らなかったようだ。
だがここは注意を逸らせれば上出来。
後ろの二匹は新たな敵であるモリアの出現に気付き、こちらへ向けて街路を突進してくる。
「それだけの勢いがあれば、充分だ」
真正面から眉間を撃たれ、頭蓋を砕かれた二匹はその場で転倒し、石畳の上を滑って絶命した。