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ダンジョンセトラーズ  作者: 高橋五鹿
ガラクシアス
104/106

壬(みずのえ)・混沌

 ガラクシアスの『管理者』である皇帝ネメティスより、ヴィローに授けられた竜殺兵器。

 その射程距離は半径三キロメートル。

 対して《青霧竜(せいむりゅう)》ギブリの最大高度。

 すなわち大天蓋の頂点高度は地上から三百キロメートル。


「百倍も先じゃねーか! 百倍って何倍だよ!?」

「百倍だね」


 エリクとモリアのやり取りを聞きながら、ヴィローはくつくつと笑う。


「そう心配せずとも、かの大怪魚が下に降りてくる瞬間を狙えばよい」

「月や日が沈むだの地に落ちるだのは、比喩表現のはずなんだがな……んなこたオレでも分かる」

「ところが月に限って言うなら、この天蓋境では文字通りの意味なのだよ」

「そうなると決戦場は海の果てですね」


 ヴィローはモリアの言葉に、力強く頷き返答する。


「左様。レオーネ島西端から海上を西に百キロ。東の夜明けと同時刻に、月の大怪魚はここを通過する」

「てことは、また船の上で戦うのか……」


 少しばかり嫌そうに、エリクはつぶやいた。


「だいたい、四方竜ってのは迷宮活動期の度に封印するもんじゃないのかよ。ギブリは何百年放置されてたんだ?」

「陛下――つまり《迷宮守護者》ネメティスに聞いたところによると、仙境側はともかくレオーネ島側には活動期なんて無いらしいんだよね。代わりに迷宮の寿命がある。今の仕組みにする以外、天蓋境の人々を救う方法は無かったんだってさ」


 漂海者が多い時期というものはあるらしく、それが仙境側での迷宮活動期に当たるのだろう。


「よく分かんねえけど、そんならまあ仕方ねえか」


 モリアは黙して語らないが、ガラクシアスを失うことは『四方迷宮の仕組みそのものが終わる』ことを意味している。

 それに代わるものは、まだ存在しない。


 モリアたちを影で導いてきた、ラゼルフ孤児院の長兄フィムも――既にこの世にいない。

 転生する迷宮守護者とは聞いているものの、どうせまた百年先とか言い出すのだろう。

 未来への課題は積まれたままだが、今はまずギブリだ。





 レオーネ島の西――天蓋の果てへと、()()を実行するための船は行く。

 総勢三隻。いずれも武装を施された海洋郡の戦列船である。

 中でも先頭をゆくシュアン郡の武装ブリッグ船には、ヴィロー、エリク、そしてモリアに加え、他郡の代表武侠エツゴウ、さらに皇帝ネメティスまでもが乗船していた。


「なんでお前らまで乗ってんだ……」


 エリクの呆れた声に、悪びれることなくエツゴウが答える。


「我がウェンホウ郡は内陸にてな。船など持っておらん」

「帝都には船はあるが、軍装を施したものはないからな」


 そう応じたのは、艦尾近くで海を眺めていた皇帝ネメティスである。

 重厚な外套の下、その獣じみた肩幅は船の揺れと共にゆっくり上下していた。


 竜殺兵器の管理者として、竜を監視するための存在。

 だが迷宮守護者であるネメティスは、四方竜を殺すことは決して出来ない。

 彼はただ、成り行きを見届けるためだけにこの場に在る。


 それは迷宮守護者()()()であるエリクも多分同じなのだが、モリアは特にそのことを指摘はしなかった。

 面倒だからである。




「エリクは『ザルツマリナ海運公社』、知ってるでしょ」


 唐突にモリアが口を開く。


「南の組合か。イカれた本を出してるとこだな」

「そうそれ。北の開拓者組合、南の海運公社ってね。その公社には、音響魔術師と呼ばれる独自の兵種がいる。対象に音を当てて、その反射時間から位置を探るらしい」


 エリクはわずかに顔をしかめ、西の空を睨みながら言った。


「見たほうが早ええ……」


 モリアの話の意図がよく分からないらしい。

 海運公社とは境界領域の向こう側の組織であり、この戦いでその力を借りることは出来ないのだ。

 何故そんな話をするのか、分からないのは無理もなかった。


「夜とかは強いらしいよ? あと、海の底までの距離を測るにも便利だろうね」

「あー、なるほど。よく考えるな」

「エリクもたまには考えたら? ともかく音響魔術師たちの研究によれば、レオーネサークルの水深は2キロメートルくらいなんだってさ」


 不躾な物言いにエリクは鼻を鳴らす。


「だからなんだっつーんだよ?」

「つまり。あんなものは大きすぎて、海の中じゃ狭すぎるんだろうなって」


 黎明の西の空、蒼く滲む異形の影が浮かんでいる。

 それは月ではない。

 全長一キロメートルを超える大怪魚――青霧竜ギブリ。

 海面近くまで降りてきたその巨体が、音もなく宙を漂っている。


「ギブリ自身が、迷宮石みたいに発光してるんだね」


 ガラクシアス上の軌道では、天蓋境にかつてあった太古の月のように、太陽光を反射して光ることは出来ないそうだ。

 郡守会議の後、モリアがジェイロンから聞いた話である。


「なんであれが竜なんだ。魚だろ」

「南方海の勇魚(いさな)って、ギブリほどじゃないにしても物凄く大きいみたいだから。当時の迷宮生成術師は、勇魚を竜の一種と考えていたのかもしれない」

「そんな適当でいいのかよ」

「ミミズが竜の一種だったりするくらいだからねえ」


 レオーネ島の船乗りは、ギブリを恐れて海域の東西の端まで船を出すことはない。

 甲板に立つ乗組員たちは誰もが言葉を失い、口を結んで空を見上げている。

 その沈黙の中、ただモリアとエリクの軽口だけが波間に響いていた。





 境界領域との距離が、いよいよ残り一キロメートルを切ろうかという頃。

 ヴィローは無言で船首へと歩を進めた。

 海風はまだ穏やかで、ただ空気だけが異様に重い。

 外衣の内側に手を差し入れ、懐から一枚の板を取り出した。

 それは、南の竜殺兵器。


 手のひらほどの大きさながら、ずしりとした存在感を放つその板の表面には。

 ネメティス帝国の一都九郡を象徴するかのように――

 (こう)(おつ)(へい)(てい)()()(こう)(しん)(じん)()の、十の文字が刻まれていた。


 ヴィローは文字に祈りを込める。


「生命は―― 『()』の発芽に始まり苦悩を招き……

 『()』は情熱と共に闘争を生み出し、

 『(つち)』は秩序を築きながらも腐敗を孕み、

 『()』は変革の果てに代償を求め、

 そして『(みず)』はすべてを混沌に帰し、新たな再生の礎となる――」


 唱えるたび、板に刻まれた文字が順に脈打ち、やがて十の全てが淡く発光を始めた。

 それは呪文でも儀式でもない。ただ、確かにそこに宿った意志を解き放つ行為。

 十の干が交わり、揺るがぬ陣となり、空を仰ぐその手から波紋のような魔力の輪が放たれていく。

 海と空の狭間に、十角板を中心とした新たなる全天球が顕現する。


「竜殺兵器――《十干陣(じっかんじん)》」


 西の空を覆うようにして迫る、青白く光る巨大な勇魚。

 その輪郭が、わずかに揺らぎはじめる。


 形を成していたはずの巨大な影が、次第にほつれ、崩れていく。

 光の霧のように見えたその躯体は、やがて薄絹のように裂け、散り、溶ける。


「違う! ありゃあ魚じゃねえぞ!」


 エリクが叫んだ。

 モリアはその現象を見て、《青霧竜》という名の意味を看破する。


「霧だ! 大怪魚に見えていたのは、発光する霧の集合体。本体は中にいる!」


 そしてその中から、ぬるりと現れたのは……遥かに現実味を帯びた、しかし依然として異様な存在だった。


 表層を脱いだその『本体』は、霧よりも遥かに小さく、鋭い。

 黒に近い青を纏い、水面すれすれに浮かぶその姿は、巨大な生き物であることを否応なく感じさせる。

 肌のように見えたものは硬質な殻か、ぬめる皮膚か――定かでない。

 それでも確かに、それは実体を持っていた。


 霧の大怪魚の中から現れし『新たなる巨大魚』は、ゆっくりと滲み出すように、境界領域から押し出されている。

 まるで、現世と幽世の境から引き剥がされるかのように。


 波打つ水の天蓋――《原初の海》。

 そこから落ちるようにして、本体の勇魚はついに、こちら側の海へと滑り込んだ。


 海面を押しやるような波と飛沫、水の荒れ狂う音。

 そして、誰もが理解する。

 今、霧の仮面を脱いだギブリが、ついにこの世界に降り立ったのだ。


 竜殺兵器、《十干陣》とは――

 半径三キロメートル。規模は大天蓋の百分の一。

 新たなる原初の海で空間を覆う、失われし秘法――《迷宮生成術》。

 この中でのギブリは青霧竜の力を無効化された巨大魚に過ぎず、理論上は人の手による討伐が可能となる。


 役割を終えた十角板が、手の中で灰のようになって崩れ落ちた。

 それを見届けたヴィローは、全乗組員に号令をかける。


「それでは諸君――魚釣りの時間だ」




  音響魔術師――それは、海の深さを『聞く』技術者たちです。

  魔術と音響工学を融合させた術式により、海底の反響から地形を読み取ります。

  深度測定だけでなく、航路誘導や魔力結界の安定にも重要な役割を担います。

  彼らの技術なくして、公社の洋上航行は成立しません。


  ――ザルツマリナ海運公社刊『公社通信・第九号』

     巻頭特集「職能紹介:音響魔術師」

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