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ダンジョンセトラーズ  作者: 高橋五鹿
ガラクシアス
103/106

辛(かのと)・代償

「《原初の海》とは、海洋を囲むものではなく、空を覆うものであると……?」

「言われてみれば思い当たる節もあるが、確かなことは何も――」

「青空よりも上のことなど、どうして確かめられようか」


 モリアは既に口を閉ざし、会堂の空気は、静けさの中にざわめきが溶けていた。

 郡守たちは思い思いに声を交わし、複雑な疑念と理解が入り混じる。

 そのとき――


「それについては、私から説明しましょう」


 澄んだ声が場の空気を割った。

 注目が集まるのは、ウェンホウ郡進奏官のジェイロンである。


「蒼月騎士団には、ルーンアストロノマーと呼ばれる魔術天文官が在籍しております。彼らは望遠鏡の性能を高めるという一風変わった能力を持っており――蒼月は既に、天蓋の存在と、それが月の通る軌道であることを突き止めているのです」


 会堂内に、更に一段深いざわめきが広がった。


「さて、陛下の代表武侠殿――モリア殿でしたね。かねてより月と境界領域には密接な関係があるとされ、鎖国派が月を崇める蒼月と関係を深めるのも、自然な流れといえるでしょう。我々の想像では、『月を停止させたら天蓋が落ちてくる』と、こうなるのですよ。お分かりですか?」

「よく分かります」


 返事に満足したように頷くと、ジェイロンは続ける。


「貴公の話を要約すると、むしろ『開国せねば空が落ちる』という。逆ではないのですか? 私が確認したいのは、その一点です」


 両者の会話を聞くヴィローは腕を組みながら、会堂に漂う空気の変化を感じ取っていた。


「新大陸の南方海、つまり仙境の海のことですが。そこには天蓋も、ここで言う『月』もありませんからね。ガラクシアスの機能を停止しても、何も落ちてきません」

「では、天蓋境にこの島が留まった場合は?」

「大天蓋はもはや寿命です。新大陸では『竜』の一部が復活しかけ、それに加えてレオーネ島の側にもいくつかの原因があります。だから――」

「――だから、空が落ちてくる。落ちるとどうなります?」


 モリアは皇帝に視線を投げた。

 それを受けて皇帝が言葉を継ぐ。


「人が《原初の海》を浴びたらどうなるのか。それは敢えて語るまい。レオーネ島が天蓋境の外側と接続したら、誰も生き残れぬ。過去の歴史が証明していることだ」


 ジェイロンは一瞬黙し、背後に目を遣る。

 エツゴウが半歩前へ出て、耳打ちを交わした。

 互いの意思を確認したのだろう。ジェイロン進奏官は、皇帝へと進言する。


「陛下。この後、再び開国の表決を執るのでしたな」

「左様」

「それには及びません。我がウェンホウ郡は、開国に票を投じましょう。六対四――先に賛成票を投じた郡に心変わりがなければ、これで決着です。代表武侠に、あたら血を流させることもありますまい」


 ジェイロンの言葉が会堂に落ちた瞬間、空気がゆっくりとほどけていく。

 開国派の面々はほっと小さく息を吐き、心中の緊張をわずかに緩めた。


 一方で鎖国派の中にも、一瞬迷いを見せた者たちは、その場しのぎの安堵を浮かべて黙す。

 その中にあって――野心を胸に秘めたナザフィールは、目を伏せたまま何も語らない。

 視線の先は既に開国ではなく、別のものを見つめているかのようだった。


 だが、ただ一人。

 蒼月騎士団の紋を胸に縫い付けた老郡守だけは、明らかに別の感情を噴き上がらせていた。


「馬鹿なッ……! 蒼月の理念を……月神を、裏切るつもりか、ジェイロンっ!」


 周囲の視線が向けられる。

 冷ややかというより、距離を取るような無言の注視。


「ご老公。政治も信心も、民を安んじるためのもの。月を敬う気持ちは美しく、また人の心を支え律するものだが、それは手段なのだ。我らが為すべきは偶像を掲げるに非ず。その象徴の下で、生きる者の命を護ることです。もし信念のために人の未来が絶たれるなら、それはもはや理念ではなく――()()ですぞ」


 ジェイロンのその言葉は、老人の激昂を包むように響いた。

 老郡守はひとことも返せず、肩を震わせるとそのまま項垂れ――

 その目から、ひとすじの涙が落ちた。


 ヴィローは黙ってその光景を見つめていた。

 敵対してきたはずの男の言葉が、妙に胸に残る。

 彼は視線を落とすと、ひとつ息をつく。


 郡守会議は、ここに終結した。





「お前の服、この島じゃ珍しい感じのアレだな」

「ああ、これ。島の服じゃないよ。ヴェストゥルム登塔団の制服」

「はあ!? お前、登塔士になったのかよ?」


 そう聞いた途端、エリクは少し羨ましそうな目でその服を見る。


「とはいえただの見習いだし、しかも中途落第だけどね」

「……西の四方竜か。どうなった?」

「済んだよ。僕がやったわけじゃないけど、この目で見届けた」


 郡守会議の終結から少しの後。

 会堂から下がったエリクとモリアは、ひとまず港近くの使節団用の宿舎に戻る道を歩いていた。

 帝都の石畳は夕闇に沈みかけ、灯火もまだ点りきっていない。


「……あ、お客さんだね。仕掛けが早いのは、優秀と褒めるべきかな」

「ん? 何言ってんだお前――」


 答えを聞く前に、物陰からその答えが現われた。

 複数の人影が現れ、たちまち二人の前に立ちはだかる。


「漂海者など、この地に要らぬ!」

「そういうことかよ。ここで御前試合をやろうってんだな!」

「いや、もう御前じゃないし……」


 周囲を囲む刺客のうち一人が、手にした棒状の武具を高く掲げた。


道策(ダオツア)使いか――!」


 エリクが叫んだその刹那、掲げた刺客の額に何かが弾け、血飛沫をあげて仰向けに崩れ落ちた。

 左右に控えていた二人が慌てて道策を構えようとするが、次の瞬間、同様に頭部を打ち抜かれ地に沈む。


 投石術――《飛礫(つぶて)》。


 発動に集中を要する道策(ダオツア)など。

 モリアの放つ飛礫の射程距離、半径三十メートル以内では無力に等しい。


「こっ、これが帝都の代表武侠か……!」


 恐慌をきたした刺客たちは、雪崩のように後退を始める。

 その中の一人は、慌てた拍子に被っていた被衣(ひい)がはらりと落ち、正体が露わになる。


「テメエは――ナザフィール!」

「お、覚えておれ! いずれ道策(ダオツア)使いの大軍勢が、帝都もシュアンも飲み込んでくれようぞ!」


 郡守ナザフィールは袖を翻し、砂煙を蹴って闇の路地へと駆け出した。


「おいっ、モリア!」

「いいよ別に……」


 モリアは何故か、追うそぶりすら見せない。

 そのとき、逃走先の路地の奥。

 薄闇の中から、ぬうっと姿を現す影があった。


 赤黒く染まった石畳を踏みしめ、風を裂くように進み出るその男は、長く異形の武器を担いでいる。

 重騎兵すら両断する、独特の長尺武器――《方天画戟(ほうてんがげき)》。

 それが、一閃。

 ナザフィールが気付いた時には遅く、その身は縦一文字に断ち割られていた。

 苦悶の声すら出せぬまま、断たれた影が地に崩れる。


 現れたのは、ウェンホウ郡の代表武侠、エツゴウ。

 返り血を振り払うこともなく、エリクたちのもとへと歩を進めてくる。


 見ると、逃げ延びたはずの刺客たちも、路地の奥で(ことごと)く血に塗れ倒れ伏していた。

 赤い通り雨のあとに遺されたかのような、無言の屍の列。


「こんな外道を捨て置くとはな。漂海者というのは、ずいぶんと甘い」

「いや……郡守を斬っても、頭がすげ変わるだけですし。なら、その人でよかったのでは」

「む? 確かにこの男が頭のままなら、与し易くはあったか? どうも我はそこまで気が回らぬ。後でジェイロンに怒られそうだ」


 エツゴウはそう言って呵々と笑った。





 ヴィローが皇帝の謁見の間を訪れた頃、ときを同じくしてエリクとモリアがやって来た。


「おお、モリア殿ではないか。エリクもどうした。宿に戻ったのではなかったのかね?」

「戻るつもりだったけどな。さすがに郡守まで斬られたとなりゃ、報告しねえとまずいだろ」


 斬った張本人のエツゴウは、さっさと自郡の宿に引き上げたという。

 その報告に、ヴィローは半ば呆れたようにため息をついた。

 モリアは短く要点だけを口にする。


「ナザフィール及び、刺客は全員死亡しました。刺客の中にソルダンの代表武侠はいなかったみたいです。記録に残しときます?」

「承知した。報告の件、然るべき部署に伝えておこう」


 皇帝はもはや簾幕で身を隠すこともせず、鷹揚に頷いた。


「モリア殿、疑問点を尋ねてもよいだろうか」

「なんなりと、ヴィロー進奏官。いつもエリクがお世話になってます」

「オレは世話してるほうだっつの……」


 隣でふて腐れるエリクに、ヴィローは口元に淡い笑みを浮かべた。


「貴殿とエリクの関係についても興味はあるが、今は火急の時。月の軌道について伺いたい」

「ん……。もしかして、昼間は何処にいるのかってことですか?」

「察しが良くて助かる。境界領域に沿って月が動くなら、夜明けには西の海に潜って、日没には東の海から出てくることになってしまう」

「実際、海底を貫通して地中を通ってるんだと思いますよ」


 そのやり取りに、帝座の上から声が割って入る。


「その通りだ。余も記録でしか知らぬがな。ガラクシアスは半球ではなく、全球状の迷宮とある。まあ、それを知っていようと、何が変わるわけでもあるまい」

「《原初の海》の下半分なんですが、あれは地理的構造とは別の、魔術的な現象だと思ってください。どうやって地中を通っているかなど、気にするだけ無駄というものです」


 ヴィローは腕を組み、思索に沈むように顎へと指を添えた。


「ふむ……確かに。そこは気にするだけ無駄、か」

「月を落とす方法を考えておるのだな?」


 思考の淵から引き上げるように、低く響く声が帝座から投げかけられる。

 視線を返したヴィローに向けて、皇帝の言葉は続く。


「ヴィロー、今一度方針を聞こうか。シュアンではなく、そなたの方針をな」

「本当は……国外貿易など、どうでもよいのです」


 皇帝は黙って続きを待つ。


「郡領だの専制だのもどうでもよく……陛下が御健勝であればよいし、またジェイロンのように有能な者たちが統治するのであれば、中央集権も悪くはないでしょう」


 モリアも、そしてエリクも、何も言わない。


「ただ、月を――」


 絞り出すような声で――


「――あの忌々しい月を、叩き落としてしまいたい」

「ゆえに、開国派か」


 ヴィローは、深く一礼した。


「『竜』とは――。より良い生を、より大きな力をと求め続けた、生物の文明の到達点なのだ」


 唐突に意味の分からないことを言い出した皇帝に対し、エリクが声を上げかけた。

 モリアが素早くその足を踏む。

 ぐうっ、という呻き声と共に、再び静寂が訪れる。


「何事にも終わりはある。際限なき欲望が破滅につながるとは、よくありがちな説法ではあるがな。それを突き詰めたものが『竜』だ」


 新大陸における竜の脅威を聞いてから、薄々は勘付いていたことだ。

 仙境と天蓋境は――

 二つの世界は、重なり合うように同じ形の世界なのだから。


「天蓋境は、()()()()()()によって滅びた」

「その――竜は、今は何処に行ったのですか?」

「消えた。あれはただの現象なのだ。天蓋境が全て滅びることで、全て終わった。今ここにあるレオーネ島は、仙境の一部が顕現しておるだけ……なのだからな」


 恐らくは、ほんの些細な違い。

 その違いで滅びたのが天蓋境。

 辛うじて生き延びているのが仙境。

 だから、仙境は未だ竜の脅威に晒されているのだ。


「ヴィローよ。そなたがウールヴヘジンの暴力――月神の加護を忌むのは、足るということを知っているがゆえに。それは、破滅を遠ざける本能のようなものだ」


 そして皇帝は、ゆらりと帝座から立ち上がった。

 獅子の獣人としての巨躯は、視界を塞ぐかのような圧迫感に満ちている。


「余はそれに賭けたい。そなたこそ、我が()()()()を授けるに相応しかろう」

「竜殺――兵器?」

「モリア、説明してやれ」


 話の全貌は、あとわずかな欠片を残すのみ。

 皇帝がこの漂海者を重用する真の理由。

 その竜殺兵器という言葉にこそ、秘められているという直感がある。


「竜殺兵器とは、仙境における旧帝国が開発した四つの武器の総称です。四分割された竜の封印効果と、恐らくは四方竜それぞれに対しての、効果的な戦闘能力を有していると考えられます」


 その言葉に頷きつつ、肝心な部分を確認する。


「この世界に居る仙境の竜は、四分割された竜の一部。あちらでは、南の方角に該当するのだね?」

「そうです。進奏官はエリクから大体のところは聞いているそうなので、これ以上の説明は不要かもしれませんが」

「では、やはりあれが――」


 ヴィローはわずかに身を乗り出し、モリアからはその答えが示される。


「はい。ガラクシアスの四方竜は――あの、『月』です」


 その瞬間、後ろから声が飛んだ。


「やめろやめろモリア、お前まで。月ってのは丸いもんだ。あんな気色わりいモンを月とか呼んでんじゃねえよ」

「そうかい? 僕はその点では、蒼月騎士団の気持ちも少し分かるけどね」

「あーん?」


 睨みつけるエリクに対し、モリアはどこ吹く風で飄々と言葉を継ぐ。


「なかなか風情があるじゃないか。()()()()()()()()()なんて」


 それは南方海に実在するという勇魚(いさな)――

 あるいは、クジラとも呼ばれる生物に酷似した姿を持つ大怪魚。


 レオーネ島の月の神にして、新大陸における南の四方竜。

 その名を――《青霧竜(せいむりゅう)》ギブリ。




  最初は月に見えたんだ。青くて、静かで、でもどこか変だった。

  そのとき海が動いて、巨大な尻尾が浮かび上がった。

  たしかに勇魚だった――と思ったけど、今思えば夢みたいで。

  やっぱり、海に映った月だったのかもしれない。


  ――ザルツマリナ海運公社刊『幻秘探訪記』

     特集「南方海に現われた幻の大怪魚を追え!」

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