表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョンセトラーズ  作者: 高橋五鹿
ガラクシアス
102/103

庚(かのえ)・変革

「皇帝領の……」

「代表武侠、だと?」


 円卓の各所から驚きと戸惑いの声が漏れる。


「そ……その男、まさか漂海者か!」


 誰かが叫んだ瞬間、皇帝が悠然と頷いた。


「左様。ゆえに、レオーネ島の民を武力として用いぬという掟にも、なんら反せぬ。たとえこのモリアが、他の代表武侠を全て打ち倒したとしても、だ」


 放たれたその一言に、場が一気にざわついた。

 各郡の代表武侠たちが浮足立ち、ざわめきの中で身構える者すらいる。


 後方でエリクが舌打ちを漏らしたのが、ヴィローの耳にも届いた。

 円卓の向かいではエツゴウが口元を歪め、実に愉快そうに様子を窺っている。


「あっ! き、貴様か!? 我が郡の――」


 ナザフィールが声を荒げた。

 それに対する返答は、喧騒を切り払うような一言。


「我が郡の、なんです?」

「……っ!」


 モリアの声にナザフィールははっと我に返り、言葉を呑む。

 わずかな間を置き、額に汗を滲ませながら、慌てて視線を逸らした。

 まさか、「帝都に刺客を何人も送ったが、全て返り討ちに遭った」などとは、この場で口が裂けても言えまい。


 ヴィローは円卓を見回した。沈黙したのは彼一人ではない。

 いったい何の心当たりがあるものか。

 幾人かの郡守が同じように視線を伏せ、息を殺している。


「おいっ! モリア!」


 突如、背後から鋭い怒声が飛んだ。エリクだった。

 さすがのヴィローも一瞬、心の臓が跳ねる。


 ――いずれも漂海者。知り合いなのか?


 会議の場で、代表武侠が口を挟むなど言語道断。

 だが、あまりに常軌を逸した出来事が続いた今、その行為を咎める者すら居ない。


「代表武侠ぜんぶ倒すだぁ? 面白え、やってもらおうじゃねえか、あん?」


 エリクは半歩、前へと身を乗り出し、モリアを指差さんばかりに吠えた。


「いや……僕が言ったわけじゃないし。それにシュアンは開国派でしょ。試合になってもエリクとは当たらないし」


 そのやり取りを見ていたエツゴウが、くっ、くっ、と喉を震わせたかと思うと、ついに声を上げて笑い始めた。


「はっはっは! これはもう、収拾がつきそうにないのう!」


 剣呑な空気の中、エツゴウの笑い声だけが会堂に響いた。





「皆、落ち着いたかの」


 会堂のざわめきが収束し始めた頃、皇帝の声がおごそかに場を鎮めた。


「開国を掲げる理由について、余からはまだ語っておらぬゆえ、その意を聞いてもらった上で、改めて決を取るものとする」


 その声音に、先ほどまでの混乱が嘘のように場が静まり返る。

 誰もが、帝座に身を置いた皇帝の一言一句に耳を傾けていた。


「開国とは、ただ門戸を開くという話ではない。境界領域を消すことであり、それはすなわち、月の機能停止をも意味しておる」


 月の停止――

 いくつかの席で、思わず息を呑む気配が伝わった。

 それが何を指すのか、完全に理解している者はほんの一握り。

 だが直感的に、それがこの島の根幹に関わるものであると悟ったのだろう。


「だからこそ、派閥に関係なく開国に反対している者も、この中にはおろう」


 席のいくつかでは、身を乗り出す郡守の姿もあった。

 月の停止に関する噂は、確かに密やかに囁かれていた。

 しかしこの場で、皇帝自らがそれを『真実』として語ったということは、何よりも重い。


「余が、これまでこの島の真実を語ることがなかったのは――民に聞かせるにはそれがあまりに暗く、希望を失わせる内容であるゆえに」


 その声音には、どこか深い哀しみが滲んでいた。帝座の上で、ゆるやかに言葉を紡ぎ続ける。


「《原初の海》に覆われた、境界領域の外側。新大陸。新たなる交易。国外の敵の脅威――」


 開国と鎖国を巡る長い議論の中で繰り返されてきた言葉たち。

 だがそれらを、一言で否定するように皇帝は告げる。


「――そんなものは、全て存在せぬ。新大陸は四百年以上の昔に滅んだ。人類はもとより、いかなる生物も生き残ってなどおらぬ」


 会堂には、低く押し殺したような息の音が、あちこちから漏れ始めていた。

 それは驚きというより、理解が追いつかぬという戸惑いの気配だった。

 何を言っている?

 そんな疑念が、重く、空気の隙間を埋めていく。


「い、いや。しかし……」


 発言してよいものかと逡巡する郡守に代わり、ヴィローが速やかに言葉を継いだ。


「お言葉ですが、陛下。それなら漂海者とは、何処からやって来るというのです」

「そなたには何度も話しておろう。漂海者とは、仙境(せんきょう)からやって来る者だ」


 どういう意味だ。

 仙境とは新大陸のことではなかったのか。


「モリア」

「はい、陛下」


 皇帝の代表武侠は再び一歩前に出ると、よく通る声で語り始めた。


「さて、僕は確かに皆さんの言う『新大陸』からやって来ました。けれど、この世界における新大陸は既に滅んでいるという。そして――」


 モリアは言葉を区切りながら、意味が深く沈んでいくのを待つように続けた。


「――僕の居た世界、すなわちこちらで言うところの仙境では。大陸の南にかつてあったという、()()()()()()()()()()()のです」


 誰もが即座には理解できなかった。

 それは無理もない。あまりに根源的な常識の否定だったからだ。


「この事象を明確な言葉で表現できる者は、仙境ではもう生き残っていません。御歳()()()()()である陛下であれば――」

「余も、始まりのその時をこの目で見たわけではないぞ」


 それでも、皇帝の声音には重みがあった。

 長く生きてきた者だけが知る、歴史の暗がりを踏みしめるような響き。

 会堂に集う面々の間を、再び張りつめた沈黙が支配する。

 その中で、皇帝はなおも続ける。


「仙境と、そしてこのレオーネ島がある天蓋境(てんがいきょう)は、重ね合わせられるような――ほとんど同じ形の世界なのだ。ただし仙境ではレオーネ島が消え失せ、天蓋境ではレオーネ島以外の全てが滅んだ」


 誰もが理解に苦しんでいる。目の前に並ぶ語句の意味はわかる。

 だが、それが示す事実が、常識を覆していた。

 ついに、たまらず誰かが声を上げた。


「待ってください。それでは、それでは陛下のおっしゃる『開国』とは、いったいなんなのですか!?」

「開国とは――仙境より天蓋境に『漂海(ひょうかい)』したレオーネ島を、再び仙境へと帰す行為のことである」


 どよめきが起きた。互いに顔を見合わせ、わずかな気配だけが重く空間に満ちてゆく。


「レオーネ島が、元は仙境の島……? それでは――」

「そうだ。天蓋境は本来であれば、全て滅んでおった。仙境のレオーネ島の環境を、天蓋境のレオーネ島へと移植――融合することにより、この世界の生物は辛うじて救われ、生き永らえた」


 目に見えぬ奈落を覗き込むような感覚に、幾人かの郡守が身じろぎする。

 誰もが。今立っているこの地が「当たり前のものではない」などと、考えたこともなかった。

 一人の郡守が、震えるような声で尋ねる。


「レオーネ島が仙境に戻ったら、我々はどうなるのです……」

「今まで通り、島で生活すればよい。ただし、島を隔てる《原初の海》は仙境には存在せず、異文化との出会いは甘くない。鎖国派が懸念するように――確かに、新大陸は脅威であろうよ」


 皇帝はそれを否定しない。甘言も与えない。

 その言葉は、逃げ場のない現実を、ただ真っ直ぐに告げるものだった。


「なら、それなら何故、我々が仙境とやらに行かねばならないのですか。今の説明だけでは、まだ何も――」

「モリア」


 名を呼ばれた代表武侠は頷き、再び話しだす。


「そうですね。開国と鎖国は、本来その理由を前提として議論すべきことです。国外貿易だの外敵だのは開国後の結果でしかなく、陛下はもっと、根本的な懸念を解消するために開国を目指しているんですよ」


 一人の郡守が、思わず尋ねる。


「その、懸念とはなんであるか」

「空が――」

「空?」

「――落ちてくるということですよ」


 ――それは、そのやり取りは。


 ヴィローの脳裏に、一つの情景がよみがえる。


 ――あれは、この旅に出る前に。


 シュアンの川辺で――エリクと同じやり取りを交わした。


「……ギブリの憂鬱」


 ヴィローのつぶやきを拾うように、誰かが叫んだ。


「そ、そうだ! そんなものは、ギブリの憂鬱ではないか!」

「蒼月騎士団の方々も、同じようにお考えですか? これは、取り越し苦労であると」


 モリアが視線を向けて問うたのは、ウェンホウ郡進奏官のジェイロン。

 痩せた長身の男は、瞼を伏せたまま答える。


「……いえ。我々も、同じような危機感を抱いております」


 場はますます混乱する。

 各郡の者たちは、こう考えている。

 どういうことだ、これは……。

 皇帝を最も敵視しているはずの蒼月騎士団――

 しかも専制鎖国派であるウェンホウ郡が、何故このような不可解な意見には同調するのか、と。


「ただし蒼月は。月の維持こそが島を護ることだと信じており、そう容易く納得できるものでもありますまい」


 ジェイロンの言葉にモリアは頷き、丁寧に一礼を返した。

 蒼月騎士団の中でも、この問題に対する意見は一枚岩ではない。

 そのことを、間接的に示しているようでもあった。


「まあ確かに。レオーネ島の空はなーんか、妙な感じなんだよな」


 そう言うのはエリクで、既に会議に対する配慮が無い。


「昼間に寝転んで真上を見てると、青空の向こうに何かが浮いているように見える。ありゃあいったい何だ?」

「いやいやエリク。それ、肉眼で見えるようなものじゃないからね? ……でもそうか。星や太陽、月が見えるくらいなんだから、それが見えても不思議はないのか?」

「いいから、アレは何なんだ」


 その問いに、モリアは軽く肩をすくめる。


「簡単だよ、それは《原初の海》だ。レオーネ島を外界から隔てる境界領域は、海の上を円形に走っているわけじゃない。島を半球状……つまり半分に割った丸い珠で(ふた)をしているんだ」


 己の知り得ぬ新たな情報に、郡守たちの間では押し殺すような声が交わされた。

 誰もが答えを急かすわけではなかったが、その注がれる視線が、モリアに話を続けるよう無言の圧をかけていた。

 モリアは更に一歩、前に出る。


「境界領域の()()は途轍もなく高い。対して、青空というのは地上からせいぜい、10から20キロメートルの位置に見えるものとされいてます。だから寝転んで真上を見ようが、普通は認識できないんですが――」


 そこで彼は一拍置き。円卓の一角、海洋郡の代表たちに目を向ける。


「地上に近い部分であれば、東西海洋郡領の方々なら見たことがありますよね。島を横から照らす朝日や夕日の光は、天蓋の内側で反射するのですから……」


 東西海洋郡の郡守たちは、その言葉に思わずはっとしたように反応した。


「あの、空が揺らめく現象のことか!」

「あれは境界領域の影響ではなく、境界領域そのものであると?」


 郡守たちの問いに、答えが返される。


「そうです。まるで『空に水が流れている』みたいですよね。中身は《原初の海》だから、当然と言えば当然なんですけども。漁師の間ではあれを《空返し》と呼ぶこともあるみたいですが、正式にはこう呼びます――」


 そして――その名は告げられる。


「――天の川(ガラクシアス)、と」


 それを聞いた瞬間、エリクは反射的にその名を繰り返して――


「四方迷宮の『南』――《ガラクシアス》か!」


 二つの世界を渡る漂海者は、己の同胞に――


「そう。半径三百キロメートルの天蓋で護られた水の大迷宮。仙境は世界の脅威である『竜』の一部を封印するために、天蓋境は生き延びるために。そうして誕生したのが新生ネメティス帝国であり――」


 レオーネ島の根幹(ルーツ)を明かす。


「――新大陸風に言えば、()()()()()()()()()()だ」




  風が止んで、波も音も消えた。海の上にいるのに、まるで空っぽだった。

  あの時、時計の針だけが動いてて、気づいたらまる一日経ってたんだ。

  専門家の話じゃあ、それは「天蓋境の顕現」なんだとよ。

  俺たちは、『中』に入っちまったのかもな。


  ――ザルツマリナ海運公社刊『幻秘探訪記』

     特集「魔の円形海域、レオーネサークルに挑む!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
活動期に入ったここがどんな影響を及ぼすか全くわからないわけだ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ