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ダンジョンセトラーズ  作者: 高橋五鹿
ガラクシアス
101/106

己(つちのと)・腐敗

 会議が始まって間もなく、最初に口火を切ったのは、北東海洋郡の郡守だった。

 痩身で鷲鼻の男が、整えすぎた口調で語り出す。


「我が郡は、郡民の意思を尊重することを是としております。陛下のご意向とて、民の不安を押し切ってまでは実行できませぬ。これは、専横を避けるためにこそ我らに与えられた自治の原理に他なりません」


 丁寧な口調ではあったが、どこか芝居じみた声音だった。

 会議の空気にまだ熱が入りきらぬ今、彼は場を見計らってこの台詞を出してきたのだろう。開幕にして、いきなり皇帝の威信に釘を刺した形になる。


 対して皇帝からは、何の反応もない。

 簾幕(れんまく)の向こうにある影は、ただ静かに座しているのみであった。


 ――出たな。最初に口を開くのは、だいたいこの手の連中だ。


 ヴィローは内心で鼻を鳴らした。

 表向きは郡民思いの良識派、だが実際は責任を回避するための常套句だ。郡民の声という曖昧な盾に隠れ、決断の責を逃れているだけに過ぎない。


 案の定、隣の南東海洋郡の郡守がこれに追従した。


「我が郡にも同様の懸念がございますな。開国を急げば国家の安定を損ない、月の加護を乱すとの声が上がっております」


 誰の声だと問いたくなるような『声』である。

 実体のない民意を並べて、それがあたかも多数派であるかのように語る技法は、もはや様式美と言ってもいい。


「ではそなたらは、民の声とやらが『閉ざされたままの島では飢える』と叫べば、今度は勅命を押し通すというのか」


 そう言って声を発したのは、帝都に隣接する北西海洋郡の郡守だった。

 ヴィローよりは少し年嵩の、理知的な面差しの男だ。

 会議のたびに皮肉を口にする癖があるが、常に内容は正論だった。


「主張は一貫しておれ。さもなければ、民の声を口実にした日和見と取られても仕方あるまいぞ」


 場に一瞬の沈黙が走る。

 だが、それも長くはもつまい。


 ――始まったな……。この空気は、まだまだ続く。




「開国など、結局は海沿いの郡ばかりが潤う話であろう」


 今度は内陸南西部の郡守が声を上げた。

 その声音には、抑えきれぬ苛立ちが混じっている。


「我ら内陸の郡には港もなく、交易の恩恵など知れたもの。にもかかわらず、外敵の脅威や混乱の火種ばかりが波のように押し寄せてくるであろう。損な役回りを、なぜ我らが背負わねばならぬ」


 ヴィローは応じるより早く、机越しに小さく笑みを浮かべた。


「その波を真っ先に受けるのが、我ら海洋郡領であるということはお分かりか?」

「なに?」

「防波堤は内陸にとってこそ必要なものだ。心配するなら、海に面した我らを心配したまえよ」


 一瞬、言葉に詰まる郡守を見ながら、ヴィローは内心でため息をつく。


 ――これは国の話であって、郡の損得ではないのだ。




「ひとつ、尋ねてよいか」


 皮肉を滲ませた声が飛ぶ。発したのは内陸北西部、ソルダン郡の郡守である老齢の男、ナザフィールだった。

 背後には、雲を衝くような巨漢の代表武侠が不気味に佇んでいる。


「貴殿の代表武侠。その者、漂海者であろう? 得体の知れぬ国外の者を、なぜわざわざ使節団に帯同させたのか。よもや異国の利益を図っているのではあるまいな」


 円卓を隔てたその言葉に、ヴィローは少しだけ視線を持ち上げた。背後に立つエリクの気配は、変わらぬままだ。


「議題に関係のない中傷は、ご容赦願いたい。貴殿の郡が内に抱える不安を、我が代表武侠に投影せぬように」

「ふむ、だが我が郡民が同じように疑念を抱くことは――」

「ならば、開国の可否と共に堂々と表決されよ」


 冷静な物言いながら、はっきりとした意思が込められたヴィローの言葉であった。




「月の加護を捨てるとは、まさしく暴挙。島を沈める気か!」


 突如として張りのある声が会議の空気を断ち割った。

 言ったのは内陸北東郡の郡守である。白髪をなでつけた老人で、その胸には蒼月騎士団の蒼藍の紋を、堂々と縫い付けていた。


 場に微かなざわめきが走る。明らかに時宜を逸した意見に、いくつかの席では顔を見合わせる者もいた。


「天文術の旧教義を、盲目的に解釈するのは蒼月の常ですかな……」


 北西海洋郡守が皮肉混じりに言うと、何人かの郡守らが押し殺したような咳払いを漏らす。

 老郡守はそれ以上黙して語らなかったが、その口元は確かに戦慄(わなな)いていた。




 ひと呼吸置いてから、ヴィローの向かいの席で話し始めたのは――

 内陸南東部のウェンホウ郡進奏官、ジェイロンであった。

 痩せた顔に長身の男で、背後には堂々たる体躯の代表武侠、エツゴウの姿もある。


「専制が悪いとは限りますまい。陛下の御治世を称えつつ申しますが……この混乱の根をたどれば、むしろ郡領制そのものに行き着くのではありませんか」


 その声はあくまで穏やかで、礼を欠くことなく、しかし内容は明白に制度批判であった。


「今。天下が乱れているというのに、各郡が思惑を競うだけでは……何も変わらないではないですか」


 ざわ――とわずかに空気が揺れる。

 皇帝の座す簾幕の奥に反応はない。

 だが、その一言が放った波紋の鋭さは、場にいる者すべてが感じていた。

 ヴィローは円卓の向かい側に視線を投げる。


「貴殿の言は――我らが語るべき議題と、いささかずれておるのではないかね? これは開国か、鎖国かを問う場。制度の是非は、別の席で問うべきであろう」


 ジェイロンの薄い唇が、かすかに持ち上がる。


「それもまた、問題の先送りではないでしょうか」

「では、貴殿の先の言葉。『今のままでは、何も変わらぬ』。それを吾輩からもお返ししよう。鎖国したままでは、この島の混乱も変わらぬやもしれぬ。今こそ、ひとつにまとまる時ではないのかね?」


 互いの口調は穏やかなまま、だがその眼差しはいずれも、島の未来を見据えるように鋭く光っていた。




 重ねられた応酬の末、最後に口を開いたのは、南西海洋郡の郡守であった。

 年嵩の男で肌は浅黒く、日焼けした額には漁民に通じる風情がある。


「我が郡は、開国に異を唱えるものではありません。異国の知見を取り入れ、交易を盛んにすること、それ自体は正しき理と心得ております」


 開国派に与するような口ぶり。

 だが、郡守はそこで言葉を区切った。


「ただし――」


 その声が一拍置いて、再び響く。


「『今』がその時であるかどうかは、慎重に見極める必要がありましょう。新大陸の情報不足、不安を抱える民の声……。拙速な判断は混乱を招くだけです。つまり、開国には賛成。しかし、時期尚早であると申し上げているに過ぎません」


 周囲に大きな反論は起きない。

 誰もが、この老獪な言い回しが実質的な逃げであることを理解している。

 しかし、明確な反対とは言わないその姿勢を、否定する術もない。


 そのまま場が静まり、円卓の上に張り詰めた緊張が宿る。

 いよいよ、決を採る時が近い。




 内陸南西部の郡守は、苛立ちを隠さぬ面持ちで腕を組んだまま、しばらく沈黙していた。

 だが、他の郡の議論を聞くうちに、その視線がわずかにヴィローへと向く。


「貴殿の言うように、海洋郡が防波堤となるという理は、分からぬではない。だが開国したとして、それが続く保証があるのか?」

「保証など、誰にも出来ぬ。だが一つだけ言える。外に敵があれば、内をまとめる理由にもなろう。いがみ合っても始まらぬ。島が裂ければ、いずれ押し寄せる波は誰の郡にも届く」


 ヴィローは言い切った。明確な善悪を持たず、だが現実を正面から突きつける言葉で。

 郡守は鼻を鳴らし、わずかに顔を背ける。


「……舌だけはよく回るな、シュアンの進奏官」


 それでも、彼の視線からは、先ほどの苛立ちはすでに薄れていた。




 そのやり取りを聞いていた南東海洋郡の郡守は、居心地悪げに咳払いを一つ。


「……ふむ。我が郡も、民の不安に配慮せねばならぬ立場ではあるが」


 彼は言いよどみ、円卓を一瞥してから言葉を続けた。


「さりとて、民は未来に飢えている。閉ざされた島に生きるより、多少の波に揉まれてでも、外に目を向けるべき時かもしれませんな」


 その目がヴィローと合う。


「我が郡の票、開国に託しても構わぬ」


 ヴィローは軽く会釈し、無言の礼を返した。




 長き議論の末、会議の空気が静まり返った時、簾幕の奥から皇帝の声が響いた。


「これより表決を執る。議題は開国の是非。ただし当面の施政方針としてであり、制度改革の可否は含まぬ」


 低く、だがよく通る声だった。

 簾越しのその姿はなお見えぬままだが、場の全員がその存在を前に背筋を伸ばしていた。


「開国に賛成する者、名乗り出よ」


 沈黙。ついで、ぱらぱらと挙がる数本の手。


「続いて、反対を表明する者は?」


 今度は、やや速く、しかし慎重に五名の手が挙がる。

 わずかな呼吸音だけが、円卓を囲む空間に満ちていた。


「表決、結果は――開国四、鎖国五。多数をもって、当議題は否決となる」


 皇帝の声に感情の色はなかった。ただ、事実としてそれを告げたのみだった。

 ヴィローは、わずかに瞼を伏せる。だが、表情に悔しさを刻むことはなかった。

 背後に立つエリクは、この結果をどう受け止めただろうか。




「これで、決まったようですな──」


 皮肉屋として知られるソルダン郡の老郡守ナザフィールが、口元を緩めて言った。

 静まり返った円卓に、その声音が妙に響く。

 彼の視線は、明らかにヴィローの方へと向けられていた。


 その隣、蒼月の紋を堂々と身に付けた内陸北東郡の郡守が、勝ち誇ったように鼻を鳴らす。

 白髪を撫でつける指が、老いによるものか、それとも歓喜の昂ぶりか、震えている理由は判然としない。

 しかしその時――


「まだ、()()()がある」


 簾幕の奥から、皇帝の低く落ち着いた声が響いた。

 一瞬、誰もが言葉の意味を理解しかねた。

 それを咀嚼するにつれ、場が徐々に凍りついてゆく。


「ここに、余は皇帝領を()()()()の郡と見做し、帝都代表として表決に加わることを宣言する」


 その瞬間、会議の空気が爆ぜた。


「な、なんですとぉー!!」

「そんなことをすれば、票が五対五に……!?」


 椅子を軋ませて立ち上がる者もいた。だが、簾の向こうの影は微動だにせぬ。


「帝都には郡守が存在せぬゆえ、余が代行する。それは帝国の特例法により、正式な手続きとして認められておる」


 誰も、法理上の反論はできなかった。進行役もいないこの会議において、皇帝の言葉は絶対だった。

 そしてもしも、会議の構図が五対五の拮抗へと変わった時──


「ということは、代表武侠による決闘を……」


 誰かが呟いたその声に、再び会堂は沈黙に沈んだ。

 ネメティス帝国の掟。その最終判断の手段――代表武侠による御前試合。

 運命の秤は、今再び戦場に託されることとなるのだろうか。




「そ、そうだ……代表武侠だ!」


 誰かが叫ぶように言った。沈黙していた者たちの顔に、わずかな色が戻る。

 その一人、先ほどまで勝利を確信していた郡守ナザフィールが、にやりと笑った。再びその顔に浮かんだのは、底意地の悪さを滲ませた笑み。


「陛下には、そもそも参加資格が御座いませんな」


 言葉には丁寧な敬語が用いられていたが、声音には明らかな嘲りが含まれていた。


「武力を持たぬ御身では、代表武侠をお持ちになれぬでしょう。まさか、側仕えの者でも適当にご指名なさるおつもりでは?」


 場に、再びざわめきが走る。

 皇帝領――帝都の直轄領土は、面積としては他の郡領と変わりない。腕の立つ者が居ないはずもなかった。

 だが、それでも皇帝は『武力を私すべからず』という建前を崩すことはできない。

 たとえ帝都を『第十の郡』とした今も、その掟は変わらない。


 つまり、皇帝には代表武侠を指名する権限こそあるが、臣民を私兵のように扱うことが出来ない以上、実質的に『戦わせる者』がいない。

 それを突いた発言だった。


 ――なるほど、それが狙いか。


 ヴィローは喉元まで込み上げた反論を飲み込んだ。言いたいことは山ほどあったが、理屈の上では相手の言い分のほうが正しい。


 皇帝の票が入ったところで、代表武侠が不在なら決闘には進めぬ。

 あるいは、『弱い者』を形ばかり据えるしかない。

 それは事実上、皇帝に投票権が無いのも同然である。

 形勢は、ふたたび鎖国派に傾いたかに見えた。


「そのことか……」


 皇帝の低く通る声が、簾幕の向こうから響いた。


「余は、レオーネ島の民を武力として用いたりはせぬ。安心するがよい」


 重みのある口調で、皇帝は宣言する。


「そうでしょうとも。それでは……」


 ナザフィールが、勝ち誇ったようにほくそ笑む。その目は、もはや勝利の余韻に酔いしれんばかりであった。

 しかし、次の瞬間――


 カシュンと乾いた音を立て、皇帝の御姿を隠していた簾幕が、突如として跳ね上げられた。


 場の空気が再び凍りつく。

 誰もが、言葉を失った。

 その向こうに現れたのは、堂々たる巨体。

 たてがみのような金色の毛並みと、鋭い眼光を持つ、異形の姿。


 獅子の獣人――ネメティス皇帝、その御姿であった。


 ざわめきすら飲み込まれるような沈黙のなかで、何人かの郡守は思わず立ち上がり、背筋を伸ばした。

 代表武侠たちは、初めて目にするその姿に畏怖の目を向けるばかりである。


 簾幕を跳ね上げることが出来た者など、この場にただ一人しかいない。

 すなわち皇帝のすぐ傍らに控えていた、あの従者である。


「な、なんたる不敬……!」


 どこからともなく、郡守のひとりが呻くように声を上げた。


「皇帝の御姿を隠す簾幕を、従者風情が払い上げるとは……万死に値する暴挙……!」

「構わぬ!」


 皇帝ネメティスの声が、会議の空間を裂くように響いた。


「皆への紹介が、まだであったな」


 獣の顎でしゃくるように、皇帝が横に控える影を顎で示す。

 その合図を受け、従者はすうっと一歩、前へ出る。


 ――なんだ、あの衣装は?


 例えるなら、遠い世界の学徒兵のような風体。

 その男が身に纏っているのは、レオーネ島のいかなる文化にも属さぬ異質な衣だった。


「お初にお目にかかります」


 柔らかい声だった。若く、礼儀正しい声音。

 だがその奥に、不思議な鋼の芯を感じさせる響きがある。

 護衛というには小柄で、身体つきも細身。

 しかし、そのまなざしは武人のそれと寸分違わぬ。

 穏やかさの奥に、不敵さを併せ持つ目。


 ――何者だ。


 ヴィローがそう思ったその時、背後でかすかに気配が動く。

 エリクが息を呑んでいた。

 そして男は、堂々と名乗りを上げる。


「僕は、皇帝領の《代表武侠》――モリアといいます」




  腐敗した七家の領主、目隠しをしてバハムートを撫でた。

  一人は「これは壁だ」と言い、一人は「これは塔である」と笑った。

  誰も全体を見ず、ただ言葉だけを大きくして議を競った。

  その夜、バハムートは城を踏み潰して去った。


  ――『綜政瑣談』「群盲バハムートを撫でる」

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