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ダンジョンセトラーズ  作者: 高橋五鹿
ガラクシアス
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戊(つちのえ)・秩序

 二度に渡る刺客の襲撃を退けたのち、シュアン郡の使節団は次なる寄港地へと船を進めた。

 そこは帝都に隣接する郡の港であり、一行は何事もなく一夜を過ごす。

 翌朝、速やかに出航すると、次に目指すは帝都ただひとつ。


 海は穏やかで、風も順調だった。

 一昼夜にわたる航海も滞りなく終わり、ついに――


 シュアン郡を発ってから六日目の朝、使節団の乗る船は帝都の港へと到着した。

 波止場に舷梯が下ろされると、ヴィローとエリクが続けて甲板を降りる。


「さて、ここからは吾輩が手続きを済ませてこよう。貴殿は羽根でも伸ばしておるがよい」

「おう。帝都港の魚ってやつがどんなもんか、試してみるか」


 波打ち際の潮の香を背に、ヴィローは一人、石畳の道を進み始めた。

 ネメティス帝都には白い大理石の建物が立ち並び、柱廊と円形広場、陽光を反射する水盤の泉など、どこか古の神殿都市を思わせる風情を湛えている。


 ――うむ。シュアンと異なる文化の街を見るのも、たまには新鮮でよいものだ。


 市壁の内外には人々の営みが密集し、港と都とが滑らかにつながっているのも、この帝都ならではの造りだった。

 その視線の先。海沿いのやや高台には、城とも宮殿ともつかぬ壮麗な建築が姿を見せている。


 宮殿へ続く石畳の坂道を登る途中、ヴィローは誰とも目を合わせることなく歩を進めていた。

 しかしすれ違いざま、不意に鋭い声が後ろから飛ぶ。


「貴公、月神の御使いであるそうだな」


 振り返らずとも、その声はエツゴウであると分かる。


 ――やれやれ、黙って行かせてはくれぬか。


 ウェンホウ郡の代表武侠にして、自ら蒼月騎士団の名を掲げる島内でも屈指の武人。

 彼は道策(ダオツア)を持たぬ。その腕のみで騎士団の中核に在る男である。

 ヴィローは足を止め、ゆるく振り返って言った。


「そのように噂されておるな」

「その血筋。貴公が望むなら、蒼月騎士団の指導者として迎え入れることも出来るのだぞ」

「開国派の吾輩を、いきなり重職に据えては問題も起ころう。そうは思わぬか?」


 エツゴウは振り返り、睨むような視線を寄越す。


「貴公が憂うは、島民の未来であろう。開国だの郡領だのは、所詮は手段に過ぎぬはずだ」

「然り、然り。まったくその通りであるよ」


 ヴィローは肩をすくめ、軽い笑みを返す。


「そんな理を聞かされては――貴殿を倒すのは、いささか心苦しいものがあるのう」

「あくまで、シュアンの者として戦うか。それもよかろう。敵と知れれば、我もまた心置きなく刃を振るえるというもの」


 再び歩みだし離れていく両者の間を、沈黙と共に風が吹き抜ける。

 それは剣のように冷たく、しかしどこか清冽さを伴っていた。




 坂道を登り切ると、白亜の宮殿が姿を現した。

 尖塔も砦もなく外壁は装飾的で、守りを意識した造りではない。

 だが、広い敷地に巡らされた回廊と列柱が形づくる構えが、そこが権威と実務の中心であることを物語っていた。


 ――いつ見ても、変わらぬものであるな。


 ヴィローはひと息つき、ゆっくりと門をくぐる。


 宮殿に入ると、まず受付で進奏官としての到着を報告し、続けて代表武侠の登録を済ませた。

 文官たちは手際よく対応し、特に煩わしい手続きもなく次の案内が伝えられる。

 この国では、皇帝は郡守や進奏官に対して形式ばらぬ謁見を許している。

 ヴィローは案内に従い、謁見の間へと歩を進めた。


「シュアン郡進奏官ヴィロー、郡守殿の名代として参りました」


 静かに一礼し、謁見の間へと足を踏み入れる。

 正面には、細やかな刺繍が施された簾幕(れんまく)が垂れ下がり、その奥に座す皇帝の姿をやわらかに覆い隠している。


 石柱と大理石の床が連なる空間において――

 この簾幕だけは明らかに、シュアン郡などに見られる異文化の様式に近い。

 だが、帝国とは各地の文化を包摂し形を成す国家である。

 この混成もまた、ネメティス帝国という器の一つの姿なのだ。


「遠路ご苦労であった、ヴィロー。貴郡の方針、聞かせてもらおう」


 簾幕の向こう、玉座に浮かぶ人影。

 逆光に浮かぶその姿は、山のように動かぬ何か。

 皇帝ネメティス――その声が、落ち着いた低音で簾幕の向こうから響いた。

 格式張った言葉ではあるが、その口ぶりに硬さはない。


「郡領開国派に御座います。従前と変わらず」

「変わらぬか。では、月をどう見る」

「あまり見たくはありませぬ」

「ふ。そこも変わらぬな」


 皇帝はわずかに笑ったようだった。


「そなたの口から、他に語るべきことはあるか?」

「一つだけ、陛下。此度、何ゆえ開国を議題に?」


 簾幕の奥で、しばし沈黙が落ちる。


「……仙境(せんきょう)で、異変が起きておる」


 仙境とは新大陸の別名である。

 大仰なので、あまり使われない言葉だった。


「開国を急がねば、島の未来にも関わろう」

「それはいったい――」


 思わず問いかけかけたヴィローだったが、皇帝の言葉がそれを制した。


「郡守会議で話す。もう下がってよい」

「はっ」


 それは親皇帝派の進奏官であろうと、他郡の者であろうと変わらぬ対応だった。

 過度な便宜は図らず、情報も均等に。

 すべては、帝国の形を保つための中立と均衡のもとに。

 ヴィローもまた、それを理解しているからこそ、何の不満もなくその場を辞した。





 使節団をもてなす宴が、帝都にて催された。

 といっても、宮殿内に広間を設けての豪勢な饗応というわけではない。

 もともと簡素を旨とする宮殿に、そのような空間はないのだ。


 宴は各郡ごとの宿泊施設にて行われ、酒や料理のみが皇帝の差配によって届けられるという形式だった。「同郡の者どうし、気楽に飲み食いせよ」、そんな配慮が感じられる設えである。


「こういうのは助かるな。知らねえ顔ばっかの大広間で、気を使いながら飯を食うのは性に合わねえ」

「貴殿はどこで食っても気を使わぬように見えるがな」


 盃を手にしたヴィローがからかうように返すと、エリクは肩をすくめた。

 この夜、シュアン郡の使節団は他の郡と干渉することなく気ままに酒を酌み交わした。

 彼らは九郡の中で五番目に帝都へ到着しており、まだ半数の使節しか揃っていない。

 正式な郡守会議が始まるのは、残る四郡がすべて到着してからだ。


「三日後、といったところか……」


 盃の中を見つめながら、ヴィローがぽつりと呟く。


「意見がまとまらなきゃ、オレの出番なんだろ?」

「九郡の代表であるからして、半数同士で膠着することは起こり得ぬ」

「ん? まあ、それもそうか」

「本来ならば、代表武侠が呼ばれることなど滅多にないのだ」


 にもかかわらず、今回は召されている。

 開国を急ぐ皇帝は、今会の郡守会議で何らかの決着を望んでいる――

 そう思わずにはいられなかった。





 果たして三日後。

 九つの郡より、郡守あるいは進奏官が揃い踏みし、いよいよ郡守会議の幕が上がることとなった。


 この日、宮殿内の会堂に立ち入ることが許されるのは、各郡から選ばれた郡守とその代理たる進奏官、そして代表武侠のみ。

 合わせて十八名。九郡それぞれから二名ずつの選抜である。

 彼ら以外の使節団員や従者は、宮殿外の控えの間に留め置かれていた。


 白亜の会堂に据えられた円卓は、各郡の対等性を象徴するよう、余白を均等に取って配置されていた。

 その円卓を囲むように、九郡から集った郡守、またはその代理たる進奏官が着座している。

 席順に明確な上下はない。

 彼らの背後、やや離れた位置には、それぞれの郡から同行した代表武侠が立っている。


 ――エツゴウもおるな。開国を巡るこの戦、口では語らず腕で語る者もおるというわけだ。


 円卓の一角。わずかに他より高く設えられた位置には、淡く金の縁を施した簾幕が垂らされている。

 その奥に在座する、皇帝ネメティスを直接目にすることは叶わない。

 皇帝のすぐ横には、一人の従者の影がある。

 影は物音ひとつ立てず、あたかも簾幕の一部であるかのように佇んでいた。


「そろったな。これより、郡守会議を開く」


 皇帝の一声が、重々しく室内へと響く。

 ネメティス帝国の未来を定める時が来た。




  二人は掌に文字を記し、黙して同時に差し出した。

  そこに刻まれていたのは、いずれも歪な「志」の字。

  言葉なくして伝わるものが、戦より深く、刃より強かった。

  敵にありて、同じ志を抱く――それを確かめるための、掌であった。


  ――『大三略・全国版』第六帖「掌にて語る」

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