月不知のセレネー12
その日、私たちは横浜のみなとみらい地区まで遊びに来ていた。特に目的はない。ランドマークタワーから景色を眺めたり、山下公園で鳩に餌をやったりしていただけだ。要はごく一般的な男女のデートコース。そんな感じだと思う。
午前中からの強行軍みたいなデートだったけれど疲れはあまり感じなかった。ただただ楽しい。たぶん脳内がお花畑だったのだと思う。
みなとみらいの街をあらかた見終わると山下公園内のオープンテラスで遅めの昼食を摂った。レストハウス内のテイクアウトコーナーで買ったパスタとサンドイッチという軽めの食事。内容的には喫茶店のメニューに近いと思う。
「浦井くんって色んな楽器できるの?」
私は何の気なしに惣介に気になっていたことを尋ねた。
「ああ、まぁ色々と出来るよ」
惣介はナポリタンを頬張りながら行儀悪く答えた。口の周りに付いたケチャップの汚れが酷い。
「ほら、口の周り真っ赤だよ」
私はそう言って彼に紙ナプキンを差し出した。惣介は「お、悪い」と言ってそれを受け取ると力を入れて口の周りと拭いた。これじゃ母親みたいだな。内心そう思った。
「それで? どんな楽器出来るの?」
「そうだな……。まずギターだろ。あとはベースとドラムとピアノ。ま、軽音楽器はだいたい出来るよ。あとはヴァイオリンとフルートぐらいか……」
惣介はまるで大昔にとった資格でも思い返すかのようにツラツラと答えた。言い方に反してなかなか華々しい楽器遍歴だと思う。
「すごいね」
「ん? ああ、別にすごかねーよ。小さい頃は色んな習い事させられてただけ」
「……でも習ったら出来るようになるもんなの?」
「さぁな。つーか、アレよ。親父が教育熱心だったから無理に覚えさせられたんだ。まぁ、親父も本当は楽器じゃなくて剣道とかサッカーみたいな男らしいことやって欲しかったみたいだけどな」
「へぇ、そうなんだ。じゃあなんでスポーツにしなかったの?」
「……小さい頃はもやしだったからだよ。俺あんまり運動神経良くないんだ」
なるほど、そういうことか。たしかに惣介がスポーツらしいスポーツをしているのを見たことがない気がする。
「そっか。でもすごいじゃん。私なんかギター以外ほぼできないよ? 本当に弦楽器オンリーって感じ」
「ハハハ、春川はまぁそうだろうな」
惣介はそんな風に失礼なことを言って笑った。
「いやいや。私だけじゃないから。だいたいみんな楽器出来ないよ?」
「ふーん。そんなもんかね」
惣介はまるで興味ないみたいは反応をすると再びナポリタンで口元を汚した。
午後の山下公園はとても長閑だった。人に慣れきった鳩たちがオープンテラスのあちこちでお菓子の食べかすを漁っていたし、私たちと同じようにカップルたちが楽しそうに食事していた。平和な国ニッポン。それを象徴するかのような光景だ。まぁ、実際その時期は東日本大震災の影響で暗い影も落ちていたのだけれど。
「春川も余裕あるなら他の楽器にもトライしたほうがいいんじゃね? したら軽音部に欠員出ても回せるし。ウチの軽音部メンバー少ねーんだからさ」
ふいに惣介がそんなことを言った。割と無茶ぶりだと思う。
「そうねぇ。もし出来たらいいよね」
私はここでこの話題を終わらせるように適当にそれを流した。でも惣介に「いやいや、出来たらじゃねーよ。やるんだよ」とブラック企業の上司みたいなことを被せ気味に反論された。いや、これは反論じゃない。論理性の欠片もないし、完全に精神論だと思う。
「はいはい、分かりましたよ。善処します。努力しますよ」
「お前……。官僚みたいなふて腐れかたするな。まぁいい、帰りにピアノ教えてやるから」
惣介はそう言うと嫌らしい笑みを浮かべた。デートなんかするんじゃなかった。私はここに来てそんな後悔を覚えた。




