スプートニク・ショック25
数日後、私は天体観測の誘いに返事をした。もちろんイエス。〇泊二日の弾丸ツアーだ・
「じゃあ金曜の夕方に出発しましょう。そうすれば日付が変わる前にはあっちに着けると思うので……」
「OK! じゃあ講義終わったらすぐ出発ね」
「えーと、一応春川さんは一旦家に戻っていただいて大丈夫です。準備できたら僕迎え行くので」
どうやら今回のデートは最初から最後まで送迎付きのようだ。至れり尽くせりだと思う。
「了解! じゃあ当日楽しみにしてるね!」
「はい! こちらこそ」
こうして私たちの天体観測ツアーの日程が決定した。実質、初デートだ――。
その週の私は自分で分かるほど有頂天だった。学部の同級生にも機嫌の良さを指摘されたし、美里には「帰ってくる頃には恋人同士かぁ」と、さも決まったことのように茶化された。そんな早く恋人になんてなるもんか。京介は惣介とは違うのだ。あの人は奥手で……。と心の中で呟いた。仮に付き合うにしてもけっこう先になると思う。
木曜日の夕方、私は念のために大学近くのドラッグストアで避妊具を買った。備えあれば憂いなし。そんな気持ちでタバコより一回り大きな箱をレジに持って行く。店員は私の顔をチラッと見ると表情を変えずにそれを茶色い紙袋に入れた。生理用ナプキンと避妊具は同じ扱いなのだ。必要だけど人に見られたくない。そんな可哀想な存在。
我ながらおかしなことをしていると思う。服の準備より先にこれを買うのは完全にそれ目的じゃないだろうか? いや、これは重要なことなのだ。男女はいつどこでどうなるかなんて分からない……。と無理矢理自分を納得させる。
家に帰ると明日の準備を一気に進めた。着ていく服を小一時間掛けて選んだ。キレイめにしょうか、可愛い感じにしようか悩む。そして可愛いほうに落ち着いた。明るいオレンジ色のワンピースと黒のレギンス。おそらく京介の好みはこっちだと思う。
それから私は必要以上に様々なものをバッグに詰め込んだ。化粧品とハンカチ類、あとは移動中に食べるお菓子……。そんな小学生の遠足に毛の生えた程度のものをバッグいっぱい詰め込む。ついでにコンドームも入れる。茶色の袋からは出さない。こうしておけばうっかりバッグから落ちても問題ないだろう。使う予定もないのにうっかり京介に見られたらまずいのだ。これは使うときにサッと取り出すもの。そんな気の利いた使い方をしたい。
一通り準備を終えると自分の口元が緩んでいることに気がついた。ああ、私はきっとすごく浮かれているのだ。京介と一緒に星を見に行ける。それだけで心臓の鼓動が早くなる。
戦場ヶ原で見る星空はきっと美しいだろう。それは東京で見るようなネオンに霞む夜空ではないはずだ。星が天から零れんばかりに広がって私たちを包み込んでくれる。そんな風景が頭に浮かんだ。最高にロマンチック。惣介とだってそんなデートはしたことがない。
思えば惣介とのデートはいつも都会的だった。たまに遠出するにしても横浜だったり千葉のテーマパークだったりした。それはそれで楽しかったと思う。惣介の選ぶデートコースはとても洗練されていてオシャレだったし、夕食に至っては毎回結構な高級店を選んでくれていた。まぁよく言えば理想のデートコース。悪く言えばありきたり……。だったのだと思う。
付き合っていた当時はそれを不満に思ったことはない。いや、むしろ感謝していたくらいだ。彼は女性慣れしていたし、私のことも一応は『大切な俺の女』として扱ってくれた。理想の彼氏。人によってはそう感じるだろう。
それでも私たちのデートコースには何かが欠けていたように思う。それはマスコットキャラクターの描かれたクランキーチョコレートのお土産でもないし、夜景の見える一面ガラス張りのレストランでもない。もっとずっと泥臭いものだ。血や汗の通った……。そんなものが私たちの関係には不足していた。
付き合っている当時はそうは思わなかった。本当だ。何不自由ない交際だと本気で思っていた。愛していたし愛されていると思っていた。でも……。こうして離れてみるとそれが夢みたいに感じる。
それはまるで浦島太郎が竜宮城から帰ってきたときのようだと思う。ずっと続くと思っていた幸せが。ずっと正しいと思っていた世界が。ある日突然終わってしまう。そんな感覚だ。そこには慈悲だとか人情だとかそんなものは一切無い。残るのは漆塗りの空箱と年老いた自分自身だけ。
惣介との未来が欲しい。そう願っていた私はどこか遠くに行ってしまった。それはとても悲しいことのように思う。自分の心一部が何もない空間に消えていってしまった。最初からそこには何も無かったみたいに――。
私はそんなことを考えながら荷造りを済ませた。明日だ。明日私はまた生まれ変われるかも知れない。そんな他力本願なことを思った。




