二つの鍵盤3
それから私たちは互いにビールを飲んだ。テーブルにはビーフジャーキーとナッツ。あとは彼と私の書類が置かれている。
「これが企画書?」
そう言うと京介は私の企画書を手に取った。
「一応社外秘だから丁寧に扱ってね……。本当は持ち帰りもNGなんだから」
「ふぅーん。相変わらず面倒な会社だね」
面倒な会社。その言葉はとても的を射ていると思う。実際弊社はとても守秘義務に五月蠅い企業なのだ。だから万が一でも書類の持ち出しが上層部にバレれば左遷は免れないだろう。ま……。とは言っても多くの社員はそれを当たり前にやっているのだけれど……。
「えーと何々……。新人クリエイター発掘プロジェクトのモニター募集について……」
京介は独り言のようにぼそぼそと企画書を読み上げた。こうやって彼は頭の中の情報を整理するのだ。
「うん。モニターとして今回二名選んだみたいよ? どこから見つけてきたのかは分かんないけどね」
「だろうね。何となくだけど業界のコネで良さそうな人員を見繕った感ある……」
京介は「ふんふん」と鼻を鳴らすと引き続き企画書を諳んじる。それはかけ算九九を練習する小学生のようだった。優等生な小学一年生。図体だけはいっちょ前に大人。そんな感じだ。
私はそんな京介の姿を眺めながら缶ビールを喉に流し込んだ。あかりと一緒に飲んだときとは違う味がする。ビターでスイートな。そんな味だ。京介と一緒に飲むお酒はいつだって甘美に感じる。
何となくテレビの電源を入れた。そして電源が入ると同時に後悔する。
これだから夜の民放は嫌いだ。芸人が戯けたりアイドルがかわい子ぶったり。私が見たいのはそんなものじゃない。もっともっと。実になるものが見たい。
「ふーむ」
私がそんな風に退屈しながらテレビを見ていると京介が難しそうに唸った。
「なんか気になることあった?」
「いや……。気になるっていうか。これは偶然なの?」
そう言いながら京介はクリエイター二人の応募用紙の備考欄を指差した。
「ん? ああ。たぶん違うと思うよ」
「じゃあ意図的か……」
「おそらくね」
まぁ京介がそこに反応するであろうことは予想していた。というよりもそこに反応しない人間はいないと思う。私自身、最初にそこに目がいったのだ。まぁ、その件に関して西浦さんに確認をしようとはしなかったけれど――。
今回、西浦さんが選んだクリエイター二名には分かりやすい特徴があった。特徴というか個性というと障害というか……。そんなものだ。
まぁ、ざっくばらんに言うと二人とも視覚障害者なのだ。一人は先天的に。もう一人は後天的に目が見えなくなったらしい。だからだろうか。写真の二人は少し色の入った眼鏡を掛けていた。
私はこの人選に少しだけ西浦有栖の腹の中を覗いた気がした。彼女はどんなことだって利用するのだ。一見すると穏やかな淑女のようだけれどとんでもない。あの人はやはり魔物らしい。
さて、これからどうしようか。と一瞬迷いに似た感覚を覚える。迷ったって今更仕方ないのに。
――とりあえず二人に会ってみよう。会って、話して、一緒に楽曲を作ってみよう。そんなやんわりとした覚悟を抱いた。私はいつだってそうやってきたのだ。体当たり。それ以外にやり方を知らない。
京介は相変わらず難しい顔をしていた。そして「まぁ頑張りな」と優しく微笑む。
私は彼の言葉に「うん」とだけ返した。頑張るしかない。体当たり、そして前進。やることはそれだけだ。
二人のクリエイターと直接対面したのはそれからまもなくのことだ。
先に会ったのは作詞家志望の女性――。紫村御苑という女性だった。