二つの鍵盤20
「こんな感じだよ」
そう言うと海音ちゃんはソフトを立ち上げた。スピーカーから「あー」という女の子の声が聞こえる。機械的な声。声質だけが人間でイントネーションが機械。そんな感じだ。
「このソフト使うと楽曲が簡単に作れるんだよ」
「そう……。なんか不思議な感じだね」
正直な話、私はそのソフトにさして興味がなかった。また海音ちゃんの新しもの好きが始まった。その程度。私のそんな思いを余所に彼は続ける。
「ほら、セレネー、前から作曲したがってたからさ。コレ使えば君にも出来るんじゃない?」
「うーん……。どうかなぁ。正直、そのソフト使える気がしないよ」
確かにこのソフトがあれば楽曲作りはできるかも知れない。でも……。残念ながら私はパソコンが使えないのだ。こればかりは練習でどうこうなる話でもない。
「大丈夫だよ。セレネーは作った曲でピアノで演奏したり、歌詞を歌ってくれるだけでいい。そこから先のことは全部僕がやるから」
そこで『ああ、そういうことか』と海音ちゃんの考えが理解できた。考えてみれば当然だ。要は分業なのだ。私が作詞作曲をして海音ちゃんがそれをソフトに落とし込む。海音ちゃんはそうしたいのだろう。
「それは……。いいけど。海音ちゃん大変じゃない?」
「いやいや。大丈夫だよ。これでもパソコンには強いんだ。楽譜と歌詞打ち込むぐらいはどうってことない。それよりは作詞作曲のほうが大変だと思う……。だってそれは単なる作業じゃないからね」
海音ちゃんはため息を吐いた。そして「もし、それでも良ければ僕はやりたい」と付け加える。
「……いいよ。私もピアノで曲作りするの好きだしね。まぁ、お互い無理がない範囲でやろう」
煮え切らない言葉が零れる。海音ちゃんが飽きるまで付き合えば良いか……。最初はそんな風に思ったのだ。
私と海音ちゃんの音楽活動はこうして始まった。……と言っても私のやることは前とさして変わらない。ピアノを弾く。ただただ思い思いに鍵盤を叩く。それだけだ。変化があったとすれば『このメロディかっこいいなぁ』とか『ここにこの歌詞を乗せよう』とか。そういったことを意識的に考えるようになっただけだと思う。
即興演奏に近いからだろう。曲も歌詞も同時に仕上がっていった。作詞家にも作曲家にも会ったことがないのでこのやり方が正しいかは分からない。でも私にはこのやり方が合っていた。感性と指先に伝わる感触だけで良い。それ以上何もいらない。素直にそう思う。
仮の曲と詞が完成すると海音ちゃんが録音してくれた。弾き語り。私が最も苦手とすることのひとつだ。ピアノはともかく私の歌声は聴くに堪えない。どうしようもなく音痴。こればかりは本当にどうしようもない。
そんな酷い歌でも彼は笑ったりせず、真剣に聴いてくれた。まぁ、その態度がむしろ私を居たたまれない気持ちにしたのだけれど……。
作詞作曲演奏フリースタイル。そんな競技名のような作業を終えると私は自室に戻った。
「うん。じゃあここからは僕の番だね」
私が自室の椅子に座ると海音ちゃんの声とパソコンの起動音が聞こえた。どうやらここで作業するらしい。
「ちょっと作業するから好きにしてて良いよ。出来上がったら聴かせるからね」
「うん」
カタカタカタカタ。そんなタイピング音が部屋にこだまする。リズミカルで良い音だ。海音ちゃんの性格を表すように真っ直ぐで穏やかな音だと思う。私はしばらく椅子に座ったままその音を聴いていた。心地良い。こんなに美しいキーボード音を出せる人は他には居ない。大げさだけれどそう思った。
ピアノの鍵盤から作業を引き継いだキーボードは元気に音楽を積み上げていった。鍵盤から鍵盤へ。リレーのように音が運ばれていく。私が作った荒削りな曲と下手くそな歌がきちんと製品として仕上がっていく。それはまるで採掘した岩から宝石を取り出す作業のようだ。
二人の時間。二人の音楽。二つの鍵盤……。それはまるで奇跡みたいに磨かれていった――。




