二つの鍵盤10
喫茶店を出てすぐ私のスマホが鳴った。画面には『バービナ 京極』と表示されている。弊社の抱えるバンドのじゃじゃ馬なヴォーカルだ。
「もしもし?」
『もっしもーし! お疲れ様です! 今電話大丈夫ですか?』
電話越しに京極さんの底抜けに明るい声が聞こえてきた。少し耳に響く。
「ええ、大丈夫よ。どうしたの? 何かあった?」
『あのさぁー。実は西浦さんから陽子さんの手伝いするように頼まれたんだよね』
「手伝い?」
『そうそう! ちょっと書類預かっててね。……まだニコタマ?』
そう話す京極さんの声に混ざってライターのチッチッという音が聞こえた。どうやらタバコに火を点けているらしい。
それから京極さんは西浦さんからの指示を教えてくれた。……と言っても内容自体は単純明快だ。
これから新人作曲家と顔合わせしてこい。ついでに京極さんも連れて行け。そんな内容。
「つまり……。今からあなたと作曲家さんとこ向かえって話よね? 」
『そそ、簡単で分かりやすいでしょ? つーか、アレよ。ちょっと行くとこ山の方だから私に車出せってさ。まったく、西浦さんも人使い荒いようねー。私、新車納車されてまだひと月だよ? ペーパーもペーパーじゃんよ』
京極さんは悪態を吐くと『あのばあちゃん実際そういうとこあるよね』とさらに文句を言った。この子はいつもこうなのだ。口が悪い。茨城出身のドキュン。
「わかったよ。じゃあ一緒に行こうか?」
『うん、そうね。……じゃーさ! 今からニコタマまで迎え行くよ! こっからなら一五分掛かんないしさ』
「そう? じゃあお願い。西口の前で待ってるからね」
私がそう言うと京極さんは『ガッテン承知の助!』と言って電話を切った。昭和の返事。平成生まれとは思えない。
京極さんが来るまでの間、私は駅前のコーヒーショップで冬木さんの小説を読みながら時間を潰した。本の表紙には『異世界奇譚』とファンタジーチックなフォントでタイトルが書かれている。
ページを指先で何枚かパラパラ捲る。巻頭にカラーイラストが何枚かあり、ドラゴンや赤い髪の剣士。そんないかにもファンタジーといった感じのイラストが描かれていた。普段、この手の本は手に取らないので妙に新鮮に感じる。
この手の本を読むのは何年ぶりだろう? 思えばここ数年の間、文芸書を読んでこなかった気がする。最後に読んだのは……。そう、何年か前の直木賞受賞作ぐらいだ。それ以来一冊も読んでいない。
実におかしな話だ。逆に私ほど文芸から縁遠い人間も居ないんじゃないだろうか? それぐらい私は小説を読まないのだ。読むのはせいぜいビジネス書ぐらい……。そう思うと情けなくなる。
それから私は冬木さんの本のページをゆっくりと捲った。咀嚼するようにゆっくり。ゆっくりと。




