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月不知のセレネー16

 惣介の演奏が終わると観客たちから盛大な拍手が送られた。駅構内という場違いな場所に破裂音のような音がこだまする。

「あ、どうもどうも」

 惣介はピアノ椅子から立ち上がると彼らに申し訳なさそうに会釈した。これにて浦井惣介ピアノリサイタルは終了だ。

「ま、アレだよ春川。ちょいちょい練習するといいよ。お前は俺より地頭良いんだからきっと弾けるようになるさ」

 惣介はそう言うと照れたように笑った――。


 私がそんなことを考えていると鍵山さんの『月光』も第三楽章に突入した。か細い指先から奏でられてるとは思えないほど激しい音色が部屋いっぱいに響き渡る。

 鍵山さんの『月光』は惣介のそれとはまた違っていた。惣介の演奏が自らの『死』への渇望だとすれば、鍵山さんのそれは大切な人が亡くなったのを嘆いているように聞こえた。もう帰ってこない誰かを思い、嘆き、悲しみ、嗚咽を漏らす。そんな悲痛な叫びが彼女の演奏する第三楽章からは感じられた。

 彼女の演奏を聴きながら私は頭の中で二人の『月光』を比較してみた。どちらが上手いかだけで言えば明らかに鍵山さんだと思う。単純な技術もそうだし、それ以外のピアニストの魂のようなものも鍵山さんのほうが数段格上のようだ。クラシックに疎い私でもそれくらいは分かる。きっとそれがプロとアマチュアの違いって奴なのだと思う。

 でも……。私は惣介の演奏する『月光』のほうが好きだと思った。鍵山さんの洗練された『月光』よりも惣介の弾いてくれた『月光』のほうが何倍も美しく思えた。きっとそれは思い出補正もあるのだろうけれど、それを差し引いても惣介の演奏は最高だった。

 思い返してみれば私のターニングポイントには毎回この曲があった気がする。初デートでのストリートピアノ、私と惣介が別れるきっかけになったホテルのロビー。その両方が私にとって大きな意味を持つイベントだった。浦井惣介とベートーベンの『月光』。それは私にとっては青春そのものなのだろう。

 思い出と重ね合わせながら鍵山さんの演奏を聴いていると自然と涙が零れた。もうあの幸せだった時間には戻れない。惣介と一緒になるはずの未来は二度と訪れない。それはとても悲しいことのように思えた。

 もちろん今だって十二分に幸せではあるのだけれど、当時は今の幸せとは違った形の幸せがあったのだ。それはまるで惣介の演奏のように水面に身を投げるような。熱を帯びて踊り狂い、やがて鮮烈な『死』を向かえるような。そんな幸せだ。まぁ……。倫理的に考えてそれが本当のさいわいではないと思うのだけれど。

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