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プロローグ

「失礼します」

 私はそう言ってドアをノックした。中からは穏やかな女性の声で「はぁい」と返ってくる。年齢を感じさせる優しい声だ。その声に少しだけ安堵する。そして同時に拍子抜けした。西浦有栖――。かつて鬼軍曹と呼ばれていた当社きっての敏腕企画部長だ。まぁ……。私がこの会社に入社した頃には既にはすっかり穏やかなおばあちゃんといった感じだったのだけれど。

「悪いわね。急に呼び出して」

 西浦さんはそう言うと「忙しいでしょ?」と付け加える。

「いえいえ」

 私は反射的にそう返すと営業スマイルのような不自然な笑顔を取り繕った。実際はかなり忙しい。それこそ寝る間もないくらいに。

「フフフ、あまり固くならないで」

 西浦さんはさっきよりもう少し柔らかい声で言うと「とりあえず掛けなさい」と私に座るように促した。

 正直に言おう。私はこの場所からサッサと自分の部署に戻りたかった。西浦さんは私にとっては雲の上の人だし(彼女は事実上会社のナンバー2だ)あまり逆鱗に触れるようなことはしたくない。自慢じゃないけれど私は他人を怒らせる天才なのだ。下手に怒らせて左遷でもさせられたら困る。

「それで……? ご用件というのは?」

 私は水に浮かぶ豆腐を掬うようにできるだけ丁寧にそう尋ねた。そして言った後に単刀直入すぎたと気づく。いつもこうなのだ。どうしても一言が足りず、同時に一言多くなる。

 私のそんな無礼な物言いにも彼女は動じなかった。そして「そうね」とだけ言って私の前にA4サイズの茶封筒を差し出した。

「とりあえず目を通してくれるかしら?」

「……拝見します」

 封筒の中身は一〇枚くらいの企画書だった。タイトル欄には「クリエイター発掘計画」と書かれている。私はその書類を舐めるように上から下まで読み込んだ。できるだけ早く。そして内容の齟齬が生まれないように丁寧に。

 そしてある程度読んでこの企画の意図を理解する。要は当社の抱えているアーティストに歌詞と曲を卸してくれる無名のクリエイターを発掘する企画らしい。楽曲のアウトソーシング。内容的にはそんな感じだろう。

「どうかしら?」

 西浦さんはどこまでも曖昧な質問を私に投げた。そして「ふぅ」と言って胸ポケットから取り出したタバコを口にくわえる。

「面白いと思います。今まで当社ではやらなかった試みですもんね」

「うん。そうね……。ほら、私たちの会社で抱えてる子ってみんな自分で歌詞と曲作る子ばっかりだったでしょ? だから新しい風を入れたくてね」

 西浦さんは器用にタバコを口の横に挟みながらそう言った。そしてポケットからライターを取り出して火を点ける。

「それでね。この企画の応募自体は九分九厘終わってるのよ。つまりあとは本格的に曲作りをするだけってことね……」

 西浦さんはそこまで話すと難しい顔をした。

「そうなんですね」

 私は話の続きを促すように同意の言葉だけの相づちを打つ。

「でね……。ここからがあなたにお願いしたいことなんだけれど」

 西浦さんは深いため息を着くと真っ直ぐ私の方を向いた。

「この新しいクリエイターたちの担当をあなたにして欲しいのよ。お願いできるかしら?」

「そうですね……」

 私は思わず言い淀んだ。話が急過ぎる。もしかしたら現企画部長の頭を飛び越えたお願いなのかも知れない。まぁ、仮に頭を飛び越えたとしても西浦さん相手なら誰も文句は言えないだろうけれど……。

「もちろんただやらせたりしないわ。私も全力で協力するし、もし成功したらそれなりのポストも用意してあげられると思う……。どうかしら? やってくれる?」

 西浦さんはまるで自分の出せる手札を全部晒すかのように私に頭を下げた。

「あの……。ほんの少しだけ時間いただけますか?」

「もちろんよ。急な話だったからね。ゆっくり考えて!」

「たぶん……。お受けするとは思います。ただ……。ウチの課長とも相談したいので」

 私の言葉に「そうね。そうね」と西浦さんは頷いた。そして「待ってるわ」と付け加えた――。


「あの、課長すいません」

 企画二課に戻るとすぐに課長のデスクに向かった。正直気が重い。課長から貰っている仕事も山積みなのだ。ここで新規クリエイターの御守なんて言ったら顔を真っ赤にして怒り出すかもしれない。

「ああ、分かってるから大丈夫だよ」

 課長はそれだけ言うと私に名刺箱を差し出した。

「あの……。これは?」

「午後には辞令出ると思うけどお前配置換えな。新部署の部長代理だ……。おめでとさん」

「へ?」

 思わず私は変なところから声を出した。新部署? 部長代理?

「副社長からのご指名だ。ま、頑張れよ。お前の仕事は全部こっちでなんとかするから」

 課長は呆気なく言うと私の肩に軽くグーパンチした。彼なりの不器用な激励……。なのだと思う。

 どうやら私は思っていたよりもずっと厄介なことに首を突っ込んだらしい。課長の反応でようやくそれを理解した。

 ふと貰ったばかりの名刺に目を遣る。そこには「クリエイター発掘部 部長代理 春川陽子」という見慣れない部署名と見慣れた私の名前がアンバランスに書かれていた。その名刺はまるでおもちゃのように見えた。子供が見よう見まねで作った。そんな悪いジョークグッズのように。

 それから私は自分のデスクでやりかけの仕事を片付けた。できうる限り中途半端な仕事はないようにしたい。素直にそう思う。

 ああ、なぜこうなってしまったのか。私は自分の運命をほんの少しだけ恨んだ。そして首を横に振る。

 仕方ない。こうなってしまったらやれることをやろう。目の前に出されたご飯は美味しく平らげよう。今、居る場所で頑張れることだけが私にとって唯一の取り柄なのだから……。

 仕事の引き継ぎをある程度終えると胸に大きな穴が空いたような気分になった。いよいよ終わり。さよなら企画二課、こんにちはクリエイター発掘部。そんな栄転とも左遷とも言えないような配置換えを心の中で諳んじる。

 さて、新天地でのパートナーについてもう一度目を通そう。私は自身の両頬を両手で叩くと西浦さんから貰った封筒を再び開いた。そして資料の最後の二枚。二人の応募書類を取り出した――。


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