激動の夜⑤
今回はちょと長めです。
ウエストピークを出入りする唯一の通用門付近、そこには常駐している衛兵の姿も見当たらずひっそりと静まり返っていた。
ついさっきまでは。
「大変なのですっ、大変なのですよアンジェリカさんっ!」
「………………」
「兄貴がっ、兄貴がこのままだとっ、とっ捕まっちゃう事態に~~っ!」
「………………」
ワンズマンからの連絡を受け取ったフィーロはそりゃあもう取り乱しまくりだった。アンジェリカの襟を掴んでガックンガックンと揺さぶってる始末。
揺さぶられすぎて頭が前後に激しくシェイクされて、首の骨がどうかしちゃうんじゃないかというぐらいだがそんな中でも無表情と無言を貫いてるアンジェリカは何か恐いものがある。
「あたしたちだけ先に行けだなんて、これは兄貴の身にのっぴきならない事情が起こったって事なのですっ。ひょっとするとっ、ひょっとすると絶賛追いかけられ中な事になっちゃってるのではぁっ!?」
そう考え出したフィーロの頭の中では色々な不幸事が思い浮かばれた。
「もし捕まっちゃったら兄貴は獄門磔っ、打ち首引き回しに切腹ものっ?ギロチン処刑に首吊りアイアンメイデン行きにぃ~~~っ?」
「フィーロ、まずは落ち着いて……」
「それともそれとも、兄貴の精神をずったずたのぼっろぼろにする為にあんな事やこんな事やそんな事や、やんなる事までされちゃうとか~~~っ?」
「フィーロ……」
「うわ~~~~っ、兄貴~~っ!夜空のお星さまになっちゃうだなんてあんまりなのです~~っ!あたしを置いて逝くだなんて薄情者なのです~、うわ~~~~~んっ」
盛り上がりすぎたのか何故かもうワンズマンが死んでしまった風になっている。アンジェリカが声を掛けても全然聞こえてないようで、踞ってわんわんと泣きわめきだした。大泣きするフィーロを見つめ、溜め息をついたアンジェリカが袖からカシャンと何か黒い棒を出すとその取っ手を握る。
「フィーロ、まずは落ちつきましょう……ねっ」
「ほぁっ!?」
アンジェリカが振った棒がフィーロの後頭部を打ちのめした。四角円錐の形で棒をT字状に組んだそれは、俗にトンファーと呼ばれる武器であった。
「落ち着きましたかフィーロ?」
「あ、あへへぁ~~っ?せ、せかい~がぐーるぐりゅ~~?お、お~星さ~まがあたしのまわりできーらきら~~?」
「落ち着いたようで安心しました」
どう見てもラリってるようにしか思えないが、アンジェリカ的にはそれで良いらしく満足げに頷きながらトンファーを再び袖の中へと収納した。
しかし、結構な勢いのトンファーの打撃をもろに頭に当てられても外傷は全く無い辺り、フィーロの肉体が相当にタフであろうなのが見て取れる。
「はっ?あたしは何をやってたですか?」
「フィーロ、ワンズマンさんからの連絡を忘れたのですか?」
「あ、そ、そうです、そうなのですっ、兄貴が大変な事態にっ!こ、このままでは兄貴がっ!兄貴が云々かんぬんどうたらこうたらっ!」
「……もう一発、行きましょうか強めで」
「ほきゃあっ!?」
そんなやり取りを5回ぐらい繰り返したところで、やっとフィーロが平静を取り戻した。流石にこぶが出来たようで頭を擦るフィーロにアンジェリカが諭すように話す。
「良いですか、フィーロ?私たち自身もそうですし、やっている事も所謂アウトローに位置してる事は分かってますね?」
「……はい、分かってるのです」
フィーロは項垂れながら答えた。言動から思考もまだ幼さがあるフィーロであるが、自分たちの事もやっている事も表沙汰になった場合は何かしらの罪になる事、そして拘束或いは束縛される事は理解していた。
盗みをやってるのだから罪になるのは当たり前だが、それ以前にも複雑な事情が絡んでいる。
例えばフィーロの場合である。彼女は一見すれば成人女性のように見えるが、その実年齢は驚く事に10歳をやっと過ぎたぐらいなのだ。
生まれつきか遺伝のせいなのか分からないが、彼女は体の成長スピードが人よりも早かった。その上、人間離れした怪力に頑強な肉体も身に付いてしまった。
そうなるとやはり周囲から奇異の目で見られ、生まれ育った村では大人からは腫れ物扱いされ同年代の子供からは中傷の的となった。
まだ精神年齢が幼いのもあって、それに癇癪を起こして持ち前の怪力で暴れてしまった事も少なくなく、それが何度も繰り返された事でフィーロの両親は手に負えないと判断。寝ている間に村から離れた山の奥に彼女を捨てたのだ。
そこから紆余曲折あって、ワンズマンやアンジェリカの主である『あの人』の手で拾われて現在に至っている。
その間に世間や一般常識から自分は外れてしまってる存在だというのを教えて貰っており、まともな生活を送るのは困難だというのも知ったのだ。
「ワンズマンさんや私も同じ様に日陰者の道を行くしかありません。貴女もその意味が分かったからこそ、私たちに着いていくと言ったのでしょう?」
「……言ったのです」
「でしたら仲間想いの感情論に振り回され過ぎないように。ワンズマンさんがそう言ったのなら私たちは躊躇う事なくやれば良いのです、理解したなら早く行きますよ」
縮小した盗品を詰めた袋を抱えて行こうとするが、フィーロはその場に座ったままで動こうとしない。流石に苛立ちが募り始めたか、眉をぴくぴくさせながら向き直る。
「フィーロ、いい加減にしないと怒りますよ」
「……でもっ、でも嫌なのですっ!兄貴はこんなあたしにも優しくしてくれた人なのですから、置き去りにして行くだなんて絶対に嫌なのですっ!」
フィーロは目を潤ませながらそう訴える。産みの親の両親からすら満足に愛情を注いで貰えなかったフィーロに優しく接してくれたのはワンズマンが初めてだった。時々、ポカをやらかした時は拳骨も飛んでくるが概ね世話焼きで気の良い兄貴分というところである。
普段から兄貴呼びしてるのも、親愛の情を忘れない為というフィーロなりの考えがあっての事だ。
「……全く貴女という子は。感情に任せて駄々を捏ねるところはいつまで経っても直らない悪癖ですね」
「うぅ……ごめんなさいなのですアンジェリカさん、でもあたしは……」
「まぁ、別に宜しいでしょう。それではワンズマンさんをお迎えに行きましょうか」
「ふえ?」
何故かあっさりと承諾したアンジェリカにフィーロは間の抜けた声を出した。さっきまでは認めないというスタンスであったのにこの変わりようはどうした事だろう。
「ワンズマンさんからの連絡では自分の到着は待たずに先に脱出していろ……そういう内容でしたね?」
「は、はい、そうなのです」
「ですが……こちらから迎えに来るなという文言は無いので、私たちがワンズマンさんのところへ行くのは合法という事になります」
「ふぉぉぉぉっ!?そ、そんな抜け道があったのですかっ、さすがアンジェリカさんなのです、逆転の発想がパナいのです!」
それは一般的には屁理屈というのだが。とにかく言うことを聞かなかったというので怒られずに済みそうだと納得してしまうフィーロなのだった。
「わーいわーい♪これなら兄貴をお助けできるのです~♪」と無邪気に喜んでるのを見ていると、仮面を張り付けたような表情が常のアンジェリカの顔が少し柔んだ。
(何だかんだ言って私もこの子に甘いですね……手の掛かる妹を持った姉の心境もこんな感じなのでしょうか?)
フィーロが来るまでは『あの人』の元に身を寄せてた時はお世辞にも明るい雰囲気ではなかったので、彼女の天真爛漫な笑顔がスレた心を癒してくれた。
そんなフィーロに涙目で訴えられれば、少々の無茶ぐらいは聞いてあげたいと思うのも致し方なかったのだった。
「あ、でも兄貴がどこにいるかはどうやって知れば……通信水晶も完全に切られちゃったですし」
「ご心配なく。あの水晶にはビーコンの機能もありますからその反応を追えば辿り着けますよ」
「そうだったのですかっ。じゃあ、早速行くですよ~っ!ファイト~~っ!」
「あまり騒がないようにしてくださいね」
…………一方、レヴィたちに挟み撃ちされたワンズマンは腕に装着している籠手に仕込んでいた鋼線を使って屋根の上にへと逃れていたのだが非常に焦っていた。
「おいおい、あのなりであんな身体能力はねぇだろっ」
それは屋根を駆け抜けている自分に追い縋ってくる、あの黒髪の子供だ。最初に後ろを振り返った時は大層驚いた。どうやって登ってきたのかもそうだが、見た目はひょろく思われたのに自分と大差ない速さで追いかけてきている。
しかも脚力も優れていた。自分が鋼線を使って屋根から屋根へ跳び移ってるのに向こうはひとっ跳びでやりのけている。
このままでは追い付かれかねない……いや、差は徐々にであるが詰まってきている事を考慮するとそう遅くもしない内に捕まりかねない。
下から追いかけてきている女戦士の方は遅れ気味だが、それでも屋根から飛び降りてしまったら2対1という構図になってしまう。
「なら、最善の方法は決まってる……あいつを蹴り落としてやればいい」
意を決したワンズマンは逃走を中断、まずはあの油断なら無い身体能力であろう黒髪の方を片付ける事にした。
急ターンを決めるとレヴィに向かって突っ込み、眼前にまで迫ったところで着ていたローブを放り投げた。
目の前をローブの壁が遮った事で視界も塞がれた隙にワンズマンが籠手から鋭い爪を飛び出させて一思いに突き刺した。
爪がローブを容易く突き破る。しかし、突き破った先の手応えを感じずワンズマンが不審に思っていると、頭上を何かの影が通り過ぎた。
後ろから降り立ったような物音が聞こえた瞬間にワンズマンはその場から飛び退いた。その直後に空を切るような音がして、態勢を整えたワンズマンが見ればさっきまで自分がいた位置を蹴ったのか片足を上げていた黒髪の子供が見えた。
「大した反応だな。ローブを投げた時にはもう跳び上がってたか」
「正体を隠す必要が無くなったらローブなんて邪魔だろうしな。目眩ましに使ってくるもんだと予め分かってたが、初っぱなにやってくるとは驚いてるぜ」
そのわりには顔色も態度も余裕そのものである。そして歳相当とは思えない場数を踏んだ気配は紛れもなく強者のそれというのを直感した。やはりここは搦め手でも何でも使って逃げた方が良さそうと考える。
この時点でのワンズマンの目的はレヴィを倒す事でなく、如何にして逃走を図るかという焦点に集中している。彼の目的は街からの脱出であって、戦闘が主目的ではないのだから当然だ。
「手加減はしねぇぞ。こっちは必死なんで、なっ!」
「っ!」
踏み込んだワンズマンが先手を取った。
鉤爪となった籠手を振り回し、レヴィに鋭い爪が襲いかかる。素手のレヴィにこの鋭利な爪を防ぐ手段は無いので回避に徹した。
「そらっ、そらっ、そらっ!」
ヒュウンと風切り音を立てて迫る鉤爪は当たればレヴィの柔肌を難なく切り裂くだろう。それを紙一重でかわしながらも、レヴィは大きく離れようとはしていない。別にワンズマンの攻撃の激しさで出来ない訳ではない。必要以上に離れず、自分の攻撃を当てられる間合いを保ったままでかわし続けているのだ。
ワンズマンの攻撃の手も激しくなり始める。両手の鈎爪だけでなく、蹴り上げや尻尾を使っての足払いなどで態勢を崩させようとしてるがいずれも寸前のところで避けられた。
その攻防を下から見上げるライラットは下手に声を掛けたら集中を乱すかもしれないと思って口を閉じているが、初めて見るレヴィの身のこなしに内心で驚いていた。本当に危なそうだったら壁をよじ登ってでも加勢するつもりだったが少なくとも今はその必要が無さそうだ。
(あんな動きが出来ただなんて……)
ごく近くから振られる刃をかわし続ける俊敏さに、恐怖を感じてもいなさそうな自信に溢れた表情。軽薄そうな笑みを浮かべながらも、その目は真剣味が宿っていて思わずカッコいいという言葉が浮かんでしまった。
まぁすぐに戦ってる最中に何を考えてるのかと気を引き締め直したが。
そして端から見ればワンズマンが押してるように見えるが、どの攻撃の軌道も見切られてかわされてる状態では寧ろ激しく動いてる分だけ体力の消耗度合いでは不利になりつつある。
(こいつ、とんでもねぇ度胸してやがるぞっ。顔のすぐ近くを刃が通り過ぎてんのに瞬きもしないで俺の挙動を追ってやがる。間違いなく手練れだ、それも殺すか殺されるかの死合いを何度も潜り抜けてきた手練れのそれだっ)
少しずつ焦りもしてきたワンズマンのペースがほんの少し乱れた瞬間にレヴィが動く。突くように伸ばした腕を掻い潜ると、顔に向けて肘打ちを喰らわせた。
「ぬがっ!」
更に追撃と腹に重い拳の一撃。生身でもその鱗があって下手な鎧より頑丈と言われるリザードマンであるにも関わらず、内蔵にまで響く衝撃が襲う。
ガハッ!と呼吸と苦しみの声が吐き出されたが、崩れ掛けた足を気力で持ち直させて距離を取った。
「ゲホッ、ゲホッ!……何つー重てぇパンチだ。普通なら打撃なんかの衝撃ぐらいなら鱗が充分に防ぐんだがな……」
「悪いな、こう見えても鍛えてんだよ俺は。で、まだ抗う気か?これ以上粘っても良いことなんかねーし、諦めたらどうよ?」
「冗談。こっちは是が非でも逃げ仰せたいんだ、そう簡単に諦められるか(とは言え、今の攻防で俺のスピードは完全に見切られちまったぽいしな。さてどうするか……場合によっちゃあ、奥の手も使う必要になるぜこりゃ)」
まだ諦めの意志が無さそうと判断したレヴィが構え、ワンズマンも身構える。こうなれば不意をつくつもりで奥の手を使おうと籠手を動かした際に大きな呼び声がした。
「あーにきーーっ!大丈夫なのですかーーっ?いま、助けに来たですよーー!」
「っ!新手かっ」
「な、何であいつがここに来るんだっ!?」
ワンズマンにとっては見知った人物の声に緊迫していた気分が一気に崩れてしまった。急いで声のした方の今いる建物の向かいを見ると、雨どい用のパイプにしがみついて登っているフィーロの姿があった。
「フィーロっ、お前何でここにいるんだっ!先に脱出していろと言っただろうがっ!」
「確かに言われたですけど、兄貴を助けに来るなとは言われてないですからセーフなのです、セーフっ!兄貴ひとりを置いて、あたしたちだけ行くなんて出来ないのです!」
変な知恵を付けやがってと苦虫を噛み潰した顔になるワンズマン。そんな彼を勇気づけようとしてもしたのか、フィーロが高々に叫ぶ。
「あたしが来たからには百人力、いえ万人力なのですよっ!あたしお得意のスコップ刹法でそこの黒髪ちびとでか筋肉をちゃちゃっとお片付けしてあげるですから兄貴はドンと胸を張って待ってて欲しいのですよっ!さぁっ、このあたしのスコップの一撃を喰らうといいで『バキン』……はりゃ?何の音ですかね」
首を傾げているとグラリと視界が傾き始めた。フィーロが慌てて掴まってるパイプを見たら掴んでる部分が大きくひしゃげていた。
気合いを入れた際にうっかり握り潰してしまったようで、重力に従って傾きの角度がどんどん大きくなっていく。
「わっ、わっ、わわっ!?落ちるっ、落ちちゃうですっ、助けてです兄貴っ!……あ~~~~~~れ~~~~~~っ!?」
自分が助けに来た相手のワンズマンに手を伸ばしてすがるも届かず、ドンガラガッシャーン!とけたたましい音を立てながら地面に激突していったフィーロに何ともいえない顔になったワンズマン。
「……助けに来たのか手間を掛けさせに来たのか、どっちなんだあの能天気娘はっ」
張り詰めてた緊迫感を台無しにしてくれたチャラポラ娘にやるせなくなる。見れば、黒髪の方も何が起きたのか理解しきれてない様子である。そりゃそうだ、いきなり現れてこれまたギャグみたいな事をして勝手にフェードアウトしたのだから誰しも呆気に取られるだろう。
全員がポカーンとする中で、土煙からふらふらしながら立ち上がったフィーロ。体についた土埃を払うと、ビシッと決めポーズを向ける。
「ふっふっふ……今のはちょっとした事故でしたけど、あれでみくびっていると痛い目を見るですよっ。さぁ、どっからでも掛かって来るが良いですよ!」
取りあえず、この場を切り抜けた後に痛い目を見て貰おう。説教も兼ねた折檻で。
そう心に誓ったワンズマンであった。
何かどっちが主役が分からなくなってきちゃった件。