激動の夜①
午後8時過ぎ……領主の屋敷は物々しいまでの警戒体制を敷いていた。
屋敷の中、内庭にも兵士は配置されており、屋敷を囲む塀の外回りも警備兵が巡回しており、まさに一部の隙も漏らさない体制であった。
言う迄もなくこれはバンディット・ゴーストからの予告状が届いた為である。
今朝方、正門付近に矢文で届かれたそれにはこんな内容が記してあった。
【今夜9時にて、そちらにお邪魔させていただく。最後の仕事になる故に盗れる物はすべからず頂戴致しますので、お覚悟の程を。 バンディット・ゴースト】
当初は質の悪い人間のイタズラの類いでは?と疑われた。何せ今の今まで予告状なんて物が届けられたケースは無かったのだから。しかし領主のジョーンは本物であったならみすみすと盗みをされてしまう恐れを指摘し、ただちに警備の体制を整えるように命令を発した。
バンディットの名を出されて過剰なまでに警戒してしまってるのだが、疑わしかろうと領主の命であっては行動する他ない。部下たちはすぐに屋敷の周囲に至るまで警戒網を張った。
そして前述したように多くの兵士たちが巡回警備しているが、その中には正規の兵には見えない雑多な装備を身に纏った連中もいる。
彼らはギルドで召集された冒険者たちであった。とりわけスカウト関連の技術に秀でた者、或いはそういった者とパーティを組んでいる面子も混じっている。
意気揚々に仕事に励んでいるが、直属の兵士と違って彼らは心から領主の為に動いてる訳でもない。
主に金の為、そして領主からの依頼を見事達成できれば自分たちの名も売れるだろうという所詮は打算的な考えで来てるのである。
やや動機は不純であるが、それでも手が増えるのとスカウトの技術はプラスになるのも確か。相手を早期に察知、そして罠を仕掛けるといった事に関してはスカウト職の者が兵士たちよりその技量に優れてるのは明らかなのだから。
それは納得できる、できるのだがやはり納得しきれないものを抱える者もいる。
(ジョーン様からの命令とは言え、承服しかねる……十分に信頼が置けてもいない連中を招き入れて何かあったらどうされるのか)
口には出さねど冒険者たちを信じきれていない男……警備隊長のモルセトは内心でそんな思いを抱いていた。
屋敷の警備を纏める彼の立場からすれば、冒険者という第三者を警備に加えるというのはどうにも不安がしてならない。
ここに来た際にはギルドから送って貰った依頼を受けた冒険者の情報と照らし合わせ、すり変わりや成り済ましなどが無いかは入念にチェックしたとはいえ、身元がハッキリしてもいない連中たちを引き入れて良いのかと思っていた。
そもそもモルセトは冒険者という存在そのものを懐疑的にすら思っている。モルセトから見た冒険者の印象というのは、腕っぷしさえあれば優遇されて身元が曖昧であっても優秀な人材と持て囃されるというのであった。
実際はそんな単純な事で良し悪しが決まる訳では無いのだが、モルセトは偏見にも似た気持ちでそう思っている。
(しかし、ジョーン様が問題など無いだろうと言いきってしまわれたら私に不平不満など申し上げられん……だが万一の事も考慮しておかねばな)
その為に彼はジョーンなどの上司には黙って冒険者たちにある枷をしておいた。それは屋敷内外の警備を乱さぬよう勝手な行動を慎ませる為に警備の兵士と常に一緒にいる事……まぁそれは建前で要は見張りを付けるという事である。
また何か異常が起こった際に単独行動を取った者は、手引きした疑いがあるとしてただちに捕縛する事などであった。
これは冒険者を信用していないモルセトが彼らの行動に逐一目を見張らせる為の事だったが、何組かはせっかく受けて来たのにまるで最初から疑われてる事に腹を立てて帰ってしまっていた。
最もこれに関してはモルセトは痛くも痒くも思ってない。寧ろ帰る人数が多ければそれだけ不安材料が無くなるのだから逆に都合が良いとさえ考えていた。
知られれば叱責ものであろうが、モルセトは決して私心の為にやってる訳ではない。警備隊長の職について早十年を過ぎたモルセトは領主の屋敷を不埒な輩から守るという事にある種の使命感さえ抱いていた。
これも全てはジョーンの身辺を守る為のもので、そこに邪な考えなど一切無い。
だから自分のやった事は悪くはないのだと信じて、モルセトは警備室に籠っていた。警備の配置に穴が空いてないかなどを屋敷の地図と合わせて執拗なまでに確認を行っている。
「……よし、どこを見ても万全だな……だが……」
何度も見返して見ても問題など無い……その筈なのだが、何故か心にはモヤモヤとした不安が渦巻いている。
何故晴れないのか?まだ何か不安視してるものがあるのか?やはり冒険者が警備の一端を任されてる事にあるのか?
そんな風に考え込んでいると、扉をノックする音がして扉越しに問いかけた。
「誰だ?」
「第3警備隊所属のパトリックです。モルセト隊長に会って話がしたいという者がおりまして……」
「話がしたい?一体誰なんだ」
「……冒険者の者です」
冒険者。その単語を聞いたモルセトの顔が強張る。もう一時間もしない内にバンディットの予告状に示された時間が来るという時に、わざわざ警備隊長の自分に話がしたいという冒険者が現れた事に強い猜疑心が沸いたのだ。
一体何の話をしたいのか……そんな暇など無いと追い返すのは簡単であろうが、何か裏があるかもしれない人間を黙って帰すのは一抹の不安もある。
となれば……面と向かって話し、何か企みが無いかを看破しておく必要もあるだろう。
「……分かった。ただし、時間は10分だけだと言っておけ」
「はい」
伝えに来た兵士にそう言い去ってから暫くした後に件の冒険者が連れられてきた。部屋に入ってきた冒険者を見るなり、モルセトの顔が嫌悪感を露にした。
入ってきた冒険者は女性だったのだ。しかも腰には銃を提げている。
(女でしかも銃使いか……これ以上に当てにならない奴もいないな)
モルセトは少し男尊女卑的なところがあった。もちろん公然と言ってる訳ではなく女性の権利を認めていないというのでもないが、女が武器を持って戦うというのは分相応な事だというのがあった。それは警備という仕事に於いてもである。
何より気に入らないのは銃を使ってるという事だ。モルセトは銃に関する知識は少しはあったが、臆病者が使う物というイメージで凝り固まっていた。
なるほど確かに遠距離の戦いなら銃の射程は有利であろう。だが弓矢と同じ様に遠くから撃った場合の命中率など低いものだし威力も減退する。
かといって、接近戦で使うような物でもない。剣などなら動作は振るだけだが、銃は構えて狙って引き金を引くという三拍子が必要なのだから接近戦には一番そぐわない(銃器の先進国では短機関銃や散弾銃が発明されてるがモルセトはそこまで知らない)
構えた時点で斬られるかもしれないので、銃は基本的に相手の手が届かない離れた場所から撃つ……言うなれば自分は安全圏に留まってこそこそと狙い撃つ、戦場に立つ度胸も無い奴が使う武器というのがモルセトの認識であった。
未だ魔術師が幅を利かせるこの国では、モルセトのように銃器に関して正しく認識していない者はざらにいるので無理解も致し方なかったが。
のっけから悪印象を持ったが、おくびにも出さずに冒険者と相対した。念のために側には伝えに来た兵士を立たせ、妙な事をした場合は即座に斬り掛かれるようにモルセトは腰の剣に手を掛けた状態で話した。
「君が話をしたいと言った冒険者かね?」
「ああ、そうだよ」
「確か……クラウネ・エストーラだったか?」
そう呼ばれたガンマン風の女冒険者……エストーラは中性的な美貌に軽い笑みを浮かべた。
「ええ、その通り。しかし、警備隊長という職についてるだけあって精根な顔つきをしていらっしゃる……女性に言い寄られた事も結構あるのでは?」
何やら含みのある顔で言ってくるが、そんな戯言に付き合ってやる時間など無いので単刀直入に言ってやった。
「悪いがそんな下世話な話をしたいだけで来たならすぐに持ち場に戻って欲しいのだがね。私も忙しい身なんだ」
「おっとそれは失敬。では手短にお話ししよう、隊長殿はここに来ている冒険者の事は把握されておいでかな?」
「……もちろんだ。得体の知れない奴が紛れ込まないよう、当然把握している。屋敷に来てからの行動も当然にな」
暗にお前らの事は監視しているぞとも取れる言い方であったが、エストーラは不快そうな様子は見せずにいた。
しかし、今頃になって何故そんな事を聞いてくるのかモルセトは分からなかった。もしや何かを探っているのかと疑るモルセトを尻目に、飄々とした態度でエストーラが話す。
「それではお聞きしたい……来ている冒険者の中にレヴィ・ベルラという人はいたかな?」
「レヴィ・ベルラ?」
名前を反芻してから記憶を辿るが……そんな冒険者の情報は浮かばなかった。もしや見落としか。いや自分に限ってそんなミスは無い筈だ。
「その、レヴィ・ベルラという冒険者の特徴は?」
「珍しくも美しい黒髪の少年だよ。いやあの容姿は見たら決して忘れない印象だね、まるで儚げな少女のように麗しくて肌も触れるのが躊躇われる程だし、本人がそう言わなければ誰も彼も一目で男とは信じてくれないだろう。あぁ、姿を思い出しただけで私の心に情熱の花が開いて……」
最初は特徴を言ってたのだが、次第に熱が籠った口調で芝居がかった動きで饒舌に心情を語るようになっている。見張ってる兵士と一緒に呆気に取られたモルセトであったが、すぐに気を取り直した。
「すまんがその名前には覚えが無いな。それに特徴に合致する冒険者もいた記憶も見たことも無い」
ここに来たのはいずれも成人を過ぎてるか近い年頃の者しかいなかった。門前で帰った連中にもそんな容姿の少年など見かけていない。
そう伝えてやると、エストーラの顔に真剣味が宿った。
「……それは本当なのかな?本当に来てもいないと?」
「嘘を言ってるとでも言うのか?それ以前にそのレヴィという少年が何だと言うのだね?」
未だエストーラの真意が掴めないモルセトは不遜な様子で質問した。レヴィという少年がどういう人物か知らないが、来てもいない冒険者の事をわざわざ警備隊長にまで聞いてくる事に何の意図があるのか。
まさとか思うが……そのレヴィというのはバンディットに何か関わりを持ってるのでは? そんな考えが頭をよぎった。
「いやぁ、別に……それだけ聞きたかっただけさ。時間を取らせてすまなかったね。じゃあ私はこれで」
「待て、話とは今の事だけだったのか」
「そう言ったと思うけど、何か?」
すぐに踵を返して立ち去ろうとしたエストーラを呼び止めたが、もう本人は用事は終わったという感じだった。
「何故レヴィという冒険者の事をわざわざ私のところにまで来て確認してきたんだ?それだけ気にかける程の者なのか」
「……そうだね、気にかけてはいるさ。ただ、隊長殿の懸念とは無関係だというのは確約しておくよ」
「っ!」
それからエストーラは今度こそ出ていったが、去り際に言った一言はモルセトは心中を見透かしてるようだった。
どうやらスカした態度なだけの無能な女ではなさそうだ。バンディットの襲来と平行して、あのエストーラの動向にも気を配る必要があるのをモルセトは理解し、厳重に見張らなければならない必要性を持ったのだった。
……そして、モルセトの元から去って見張り役の兵士が横を歩く中でエストーラはある思案に耽っていた。
(来ていない、というのは間違いなく信じていいだろう。隠し立てをするような男では無さそうだったしな……だが、どういう事なんだろうね。レヴィがいるからこそ、急いでこの依頼を受けたのに)
彼女の動機は即ち、一目で気に入ったレヴィを口説き倒す為の一言でしかなかった。もちろん受けた以上は依頼もこなすつもりであるが、それはあくまで二の次で本命はレヴィの方である。
懇意にしているギルドの受付嬢から、彼がこの依頼を受注したというのを聞き出したエストーラはいちもにもなく受けた。
最も彼女自信はスカウトの技能には疎かったので、それに長けた冒険者とコンビを組ませる事で何とか来れた訳だが。
ところが、その肝心のレヴィがいないという事態。これにエストーラは大いに疑問に感じた。
まだちょっと話したぐらいだが、受けた依頼をすっぽかすようなだらしない性格じゃない筈である。何らかの事情でレヴィ自身が無理だったとしても共にいた生真面目そうなあの筋肉女の姿が無いのも不自然極まる。
(……ひょっとすると、私たちとは別の思惑で動いてるかもしれない。もしそうだったなら、ここにいてても仕方がないのかもしれないね……)
この先どう動いていくかをエストーラが考え始めた時、遠くの方から爆発音が鳴り響いたのだった。