65 夢のようだったけど夢じゃない。
戻りたくないわけじゃない。
ちゃんと戻りたい。というか、そもそも俺はこの世界の住人じゃないし。戻るべきだし、戻る他ないと理解している。
でも、それはあんまりに急で。急すぎて。
せめてもう少し……あと一日、いや半日だけでも、と思わずにいられなかった。
ピットに連れられて着いた場所は、キャシュレード神殿だった。
まだ一昨日の戦いの爪痕が色濃く残っている。半分崩れた祭壇の周りに、神官たちとベスターと楠坂が並んでいた。
「ハァイ、セイリュウちゃん。あら、顔色があんまりよくないわね。二日酔い? ハッカでも噛む?」
「あり、がと……」
二日酔いで全力疾走で階段ダッシュはマジでキツイ……。俺はベスターがくれたハッカ(スース―するところは普通の薄荷と同じだけど、見た目はアーモンドで味はキャラメルって言う謎植物)を口に放り込んだ。あーちょっと楽になった。ありがたい。
「あ、いらっしゃいましたねぇ……」
「ようやくですかぁ……」
「もーしんどいんですよぉ……」
なんだか複雑な模様の魔法陣の上に、正三角形を描くように立った神官たちは、そろって青ざめた顔をしていた。何やらよく分からないけれど、しんどいことをしているらしい。
「なぁに腑抜けたこと言うとるんや。神殿の神官ならもうちょい粘り!」
「いやぁもう無理ですぅ」
「あと五分が限界ですぅ」
「古臭い根性論はご勘弁ですぅ」
「よーし、そない生意気言えるんやったらあと十五分はもつな!」
「「そんなぁひどいですよぉ~」」
と言ったその口が続けて「「まぁもちますけどぉ……」」と続けた。ほんとコイツら、こういうところだよなぁ。
「セイにぃ、クスにぃと一緒に、魔法陣の真ん中におってな。もうもたへん、ってなったら発動さすから」
「うん……」
俺たちは言われた通り、魔法陣の中心に立った。
ああ、もうこの景色も見納めだ。俺が最初に立った場所。一昨日、すべてに片を付けた場所。最初は一人きりで、なにがなんだか分からなくて、ひどく不安だったのに。一昨日は全然違った。違ったのに――今、一人欠けていることが、どうしようもなく寂しい。
俺があんまりしょんぼりしていたせいだろう。ピットが石畳を踏みつけて、「ああもう、ハンにぃ遅いなぁ! 何してんねや!」と怒鳴った。
「いいよピット。残念だけどさ」
「ええわけないやろ!」
「そりゃあ、まぁ。でもどうしようもないだろ。それよりさ、ありがとな、ピット」
「セイにぃ……」
「ピットが仲間になってくれて、いろいろ助かったよ。ピットがいなきゃ、戻ることだって出来なかっただろうし。ついてきてくれて本当にありがとうな」
「うん……うんっ、こっちこそ、ありがとぉな、セイにぃ! 忘れたらあかんで、セイにぃはこん世界だけやなくて、ボクとボクの兄上のことも救ったんやからな! ほんまっ……ほんまに、ありがとぉ……!」
年相応な感じでしゃくりあげ始めたピットの背を、ベスターが撫でた。
「ベスターもありがとうな」
「いいのよぉ、アタシもずいぶん楽しい思いさせてもらっちゃったし。セイリュウちゃんとの冒険は、アタシが責任もって言いふらしてあげるから安心してチョウダイね」
「え、言いふらすの?」
「そうよぉ、だってアタシは語り部の一族の人間だもの。セイリュウちゃんの新しい伝説、歴史書よりもずっと忠実に残しておくわ」
異世界の歴史に名を刻むのか……なんかちょっと照れくさいけど、悪い気はしなかった。
「ありがとう、ベスター」
「ええ。こちらこそ、ありがとうね、セイリュウちゃん」
ショッキングピンクの髪のオカマ様は、いつも通り艶やかに微笑んだ。
「セイリュウ様ぁ」
「僕らもめっちゃ頑張ってるんですけどぉ」
「全力で褒めてくださいぃ」
「うーん、お前らに関してはプラマイゼロ、って感じかな」
「「そんなぁひどい!」」
「いやだってお前ら自分がやったこと思い出してみろ?! 突然呼び出したり説明なしで旅に行かせたり挙句の果てに自殺させようとしたり!」
「「いやいやそれはほらあはははは」」
白々しく笑ってから、ふいに神官たちは表情を曇らせた。
「あの……」
「怒って……」
「ますよね……?」
「……いや、別にそこまでは。いろいろ迷惑かけられたのは確かだけど、怒ってはいないよ。おかげで、良い人たちにも会えたしさ」
「「セイリュウ様……!」」
「それに、今もギリギリまで耐えてくれるんだもんな?」
これぐらいの仕返し許されてくれなくちゃあ。白々しく笑って言ってやったら、神官ども――イータとロブとハルモニは、目を逸らして「はぁい」「全力で」「がんばりまぁすぅ……」と呟いた。
「とはいえ本当に」
「あと三分ほどしか」
「無理ですので……」
あと三分。カップラーメンが出来上がる程度の時間。その間にハンクスは来てくれるだろうか。
(……や、でも、案外いなくて良かったかもしれないな)
ハンクスには言いたいことがたくさんある。本当に、たくさん。言い切れないほどたくさん。それぐらいお世話になった。言いながら泣くのはほぼ間違いないし――もしかしたら、言っている内に帰る気を失ってしまうかもしれない。
(今でもちょっと思うもんなぁ。発動する直前に魔法陣から飛び出たら……なんて)
いや、そんなことはしないけれど。
「あと一分ほどですぅ」
「もうちょい粘れんのか根性無し!」
「無理ですぅ」
「これガチなやつですぅ」
「んっとにもう、しゃあないやっちゃなぁっ!」
ピットがむくれた顔で杖を構えた。魔法陣が金色の光を放ち始める。
「伝言頼んでいい?」
俺は誰にともなくそう言った。ベスターが頷く。
「ええ、もちろん。ハンクスちゃんにね?」
「うん。――ありがとう、って。本当にたくさん世話になった、って。それから……」
ああ、駄目だ。もう涙が出てきた。伝えたいことを心ごと取り出して「はい、これ渡しといて」って出来たらいいのに。そう出来たらどんなに楽で、どれだけ正確だろうか。
「それから……いろいろ、迷惑かけて――」
その時だった。
「――い! おい、セイリュウ!」
バタバタバタと足音がして、階段の向こうから男が現れた。
遠目にも鮮やかな金髪で、驚くほど濃い緑色の瞳で、背が高くてガタイが良くて、真面目な堅物野郎で、精神異常に死ぬほど弱くて、でも最強の――
――俺の騎士。
「ハンクス!」
彼を前にしたら、余計な言葉の一切が消えていた。
金色の光が足元から立ち上ってきて、視界を覆い尽くそうとする。その前に俺は、必死にこちらへ駆け寄ってくるハンクスに叫んだ。
「ありがとう――っ!」
視界が光に埋められる。
――ふと気が付くと、そこは俺の部屋だった。何の変哲もないマンションの一室。P24とSmitcnがテレビの周りに落ちていて、台所には出し忘れたゴミ袋が鎮座している。刷り込まれた習性のようにスマホを探して電源を入れると、画面には五月三日の朝十時と表示された。つまり、俺が向こうに行った日から、たった十二時間しか経っていないのだった。
でも、あれが夢でも何でもなかったことは、俺が今着ている服と、
「おお、ちゃんと戻ってこれた……聖生、大丈夫か?」
一緒にいる楠坂が。
「うん、平気」
そして、この記憶が証明してくれている。
俺は鼻をすすりあげて、人間が心を取り出せない仕様になっていることをこっそり感謝した。
おしまい




