63 聖男
「セイ兄! ダメやで馬鹿なこと考えたら!」
「セイリュウちゃん! やめなさい!」
すっかり勘違いしているらしい二人の焦った声が聞こえてきたが、説明する間も惜しかったので無視。
無理やり制止される前に素早くかがみ込んで、手に取ったのは短剣――ではなく。
「黄金の聖水!」
ありがとう楠坂! いつもいろいろたくさん買い込んで持ってきてくれるの、マジで嬉しいと思ってたけど、今日が一番感謝してる!
プルタブを起こせば、カシュッとすさまじく良い音が鳴って、泡があふれ出てきた。落としたせいだろう。流れ出る前に慌てて口をつける。飲むのは一口だけ。量が足りなかったせいで駄目でした、なんて嫌だからな。
うあー、しっかし、なんかめっちゃ懐かしいなこの味! やっぱこっちのビールとは少し系統が違って、めちゃくちゃ美味しい!
――なんて、味わってる場合じゃねぇっ!
「ハンクス!」
声をかけて、思い切り振りかぶった。
「斬ってくれ!」
「ああ!」
俺が全力で投げた缶ビールは、緩いカーブを描いて飛んでいき――その先がどうなったかなど確認しないで、俺は走り出した。ハンクスなら大丈夫、上手いことやってくれる!
黄金の聖水が効くのかどうかなんて知らない。女神なら魔王を倒せる、ということなら、聖女の力は女神由来のものなんだからたぶんいける……とは思うけれど、確証はない。
だから走ったのだ。
「うぐぁっ、これは……っ?!」
魔王が呻いて、漆黒の鎧が霧散した。よしっ、効き目はあった――でもやっぱり、そこまでか! 走ってて良かった!
幸い、そこまで距離は離れていなかった。俺みたいな運動不足の現代っ子でも――いや、ここへ来てからずっと散々歩き回っていたのだから、もう運動不足とは言えないか。とにかく、ハンクスとかと比べたら子どもよりもまだ遅い俺の足だけれど、どうにか間に合うくらいの距離。
(頼む、上手くいってくれ――っ!)
心の中で念じながら、俺は楠坂に抱きついた。
「うっ、おおおおお……貴様っ! はなっ、離せ……!」
「嫌っ、だねっ、ふざけんなっ!」
暴れる魔王に必死にしがみつく。あああーさすがにあの悪魔みたいに瞬殺ってわけにはいかないか! でも暴れるってことは効いてるってことだよな、頑張れ俺、頑張れ!
「貴様ごときに我を抑えられると思うなぁっ!」
思ってねぇーよ! 魔王どころか普通の楠坂相手でも腕相撲とか全敗しますし! なんなら指相撲でも負けるし! タイマンの取っ組み合いで勝つなんてそんなことあり得ない!
でも、今回だけは負けると思ってない!
「セイリュウ!」
ハンクスが魔王の右腕を押さえつけた。
「「セイリュウ様ぁっ!」」
神官たちが足にまとわりつく。
「セイにぃ!」
「セイリュウちゃん!」
ピットが召喚した森霊が左腕に絡まって、ベスターの撃った矢が迫ってきていた魔物を貫いた。
「ふざけるなっ、貴様ら、貴様、らぁ……っ、ああああああああああっ!」
楠坂の喉を潰すようにして魔王が叫び――
――黒い霧が、弾け飛んだ。
――雲が割れて、薄い光が射し込んでくる。魔物たちの声が遠退いていく。太陽の白い光はどんどん強くなり、雲はあっという間に追いやられていく。
――どこか遠くから、小さな鳥の声が聞こえた。
「……ん? は? 何この状況……?」
頭のすぐ上から降ってきた、聞き慣れた親友の声。
「楠坂……っ!」
「聖生……え、お前、なんで泣いてんの? えっ?」
「うえああああ……!」
俺は楠坂にしがみついたままボロボロに泣き崩れた。いやぁ情けない、本当に。大の大人がさ、こんなに泣いて泣いて、泣き疲れて寝落ちするなんて。
でもまぁいいよな。
俺は勇者じゃなくて、聖男なんだから。




