57 聖職者の定義に疑い有
ハンクスは何も言わずに剣を抜き、何も無い空間に振り下ろした。
ギィイイインッ、と耳障りな金属音が響き、剣が止まる。
けれどハンクスは止まらなかった。何度も、何度も剣を振り、何度も見えない壁に阻まれる。
「ムダムダムダムダァッってやつですよ」
「いくらハンクス様と言えども、僕らがこの場で綿密に執拗に建設した結界は斬れません」
「あなたがたの時間稼ぎは僕らにとってもよい猶予でした。ありがとうございますぅ」
くっそ話は理解したが相変わらずうざいなコイツラ! 変顔ヤメロ! 舌を出すな踊るな鼻の横で手をピロピロさせるな!
「ボクに任せぇ、ハンにぃ! 『来ぃや、我の忠実なる――」
「あ、それは」
「駄目ですね」
「神罰、てぇい!」
ぱちんっと三つ子が指を鳴らした瞬間、突然落ちた雷がピットを撃った。
「ぎゃんっ!」
「ピット!」
反射的に動いて、はじめて気が付いた。足に何かついてる! 冷たさに慣れ過ぎていたせいか全然気が付かなかった。鎖だ。石壇とつながれてんじゃん! うっわ、最悪! これが神官のすることかよ!
「おっと見逃しませんよ!」
「神罰神罰神罰!」
「てぇいてぇいてぇい!」
神罰を豆鉄砲みたく気軽に撃つなよ!
紫電が縦横に飛び交って、低いうめき声と倒れる音が二つ。
「ベスター! ハンクス!」
後ろから回りこもうとしていたらしいベスターも、愚直に結界を叩き続けていたハンクスも、雷に撃たれて倒れ伏していた。
「いやぁ、神罰って一撃が重たいんですよねぇ」
「でもさすがハンクス様」
「二発くらって――まだ、立ち上がるとは」
よろけながら、ふらつきながら、ハンクスは立ち上がった。でも剣先は下りたままだ。遠目にも苦しそうなのがよくわかる。
「あと一発」
「くらったら死ぬんじゃないですかね」
「その前に、ヒジリオ様?」
三人がくるりと俺の方を向いた。
「すぐ右手のところに、あるでしょう?」
「ナイフの使い方はご存知ですよね?」
「知らなくとも、自分の心臓に突き刺すくらい誰でもできると思いますが」
「っ……!」
ひゅっ、と喉の奥が鳴って、気温がさらに下がった気がした。
手元には確かに、革の鞘に納められた短剣が一本。重たい。重たいのが、物理的な重みなのか、心情が関わっているのか、よくわからなかった。
「言ったでしょう? ご自分の意思で、と」
「さぁ、では、さくっといきましょうか!」
「愛する人たちを死なせたくはないですよねぇ?」
……これが神官のすることかよっ!
恐喝じゃん! 自殺しなかったら殺す、って……脅しじゃん! 犯罪じゃん! 聖職者のすることじゃないだろ?! というか聖職者じゃなくても、善良な人間のすることじゃないよな!!
ああ、頭がぐわんぐわんと揺れ始めた。気持ち悪いぐらい。
「やめろ、セイリュウ……! 従う必要は、ない……っ!」
絞り出されたハンクスの声はひどく震えていた。いつもの何十分の一にも満たない、小さくて弱々しい声。本当に、今にも死んでしまいそうだ。
それを聞いておきながら無視するなんてこと、出来るわけがない。
俺は手の震えを抑えこんで、ナイフを鞘から抜いた。
「やめろっ!」
ごめん、ハンクス。ベスター。ピット。俺はもっと早くみんなに相談するべきだったんだ。どんなことでも、正直に。そうすればあんな風に、強引な手を使わせることもなくて、せっかく見つけた打開策のこともきちんと話せただろうに。
あーあ、こんなふうに後悔するの、何度目だろう。
俺は何だか、もうすべてがどうでもよくなってきた。初代国王が書いたノートだって、どこまで本当か分からないし。こんなにつらいなら、全部捨ててしまった方が楽になれるかも。
……痛いのは嫌だけど。
刺したら痛いかな。痛いよな。嫌だなぁ。……嫌だなぁ。
目の前がジワリと滲んだ。
「セイリュウ!」
手がみっともないほどがたがた震えていた。怖いだけじゃなくて寒いんだ。
それでもどうにか、ナイフを逆手に持ち替え――
――る、途中で、手が滑った。




