37 押っ取り刀は剣には適用されないらしい。
しばらく走った先にひときわ大きな木があって、俺たちはその裏に身を隠した。
「ヒジリオの涙は自分には効かないのか?」
「うん、なんか、そうみたい……」
あれだけ泣いたのに俺の足はまったく治っていなかった。自分が対象外とか、まったく、不便な話。
ハンクスが簡単に手当てをしてくれる。
「なぁ、さっきの奴らって何?」
「悪鬼だ」
「アッキ」
「低級だが知能を持ち、道具を使う。唾は皮膚を溶かして火傷させる。群れを成して、獲物と決めた人間を追い回し、嬲り殺すのが特徴だ」
「うへぇ……」
俺でも追い付かれなかったのはそういう理由だったのか。悪趣味だが、今回だけは感謝してもいいかもしれない。おかげで助かったのだから。
「助けてくれたのは、おそらくピットの魔法だろう」
「ピットの?」
「ああ。だが致命傷にはなっていないから、少し休んだらすぐ移動するぞ」
「わかった」
いやぁ、ハンクスがいるだけで先行きが明るい! 本当に頼りになる!
さっきまでの絶望感は遠い彼方へ追いやられた。俺はすっかり安心しきって、少しでも早く体力を戻そうと(戻ったところで役に立たないけれど)木の幹に背を預けた。
「……すまない、セイリュウ」
「え? 何が?」
はたと見れば、ハンクスはまたひどくツラそうに顔を歪めていた。それでハッと思い出す。俺はいったい何のためにここまで来たんだったか!
「こんな危険な目に遭わせて……」
「気にしないでくれ、ハンクス。一人でのこのこ来たのは俺なんだから」
「でも、俺は本当に馬鹿なんだ。役立たずで、どうしようもない……」
「そんなことない。何度も助けてくれただろ」
「剣を振るしか能がないのに、それでも負けて……」
「そういうことだってあるよ。魔物相手なら負け知らずだろ?」
「その上、剣を忘れてくるなんて……」
「気にすんな、って。忘れ物なんてよくある、よくあ……あ?」
「やっぱり騎士失格だ……っ!」
「ちょ、ちょっと待ってハンクス。ハンクス?」
俺は思わず身を乗り出して、彼の腕を掴んだ。
「どうした?」
「いやぁなんか、聞き逃しちゃいけないことを聞いたような気がしたんだよな。……剣を、忘れてきた、って?」
ハンクスは『今すぐ消えてしまいたい』と殴り書きした顔になって、頷いた。
「ああ。忘れてきたんだ。王宮に」
「……マジで?」
「マジで」
剣って何はともあれ真っ先に持つものなんじゃないだろうか、なんて思ったのだが、それを口にする資格が俺にあるとは思えなかった。というかあんまり言ったらマジでハンクスは消えてしまう。
ハンクスはうつむいたまま、ぼそぼそと続けた。
「あれくらいの雑魚なら、素手でもある程度は退けられる……けど、一掃するのは難しいから……いざとなったら俺が囮になるから、逃げてくれ。たとえ命に代えても、お前だけは絶対に守るから……」
「駄目だ」
俺はハッキリと否定した。
「囮とか命に代えるとかそういうのは全部却下だ、却下。ハンクス、お前は何があっても、俺と一緒に来るんだ」
「いや、だけど……」
「だけどじゃない!」
思わず出してしまった大声に、ハンクスはびくりと肩を震わせた。
「そりゃ、そりゃお前だって嫌だよな? こんな野郎のお守りなんて、やってられないっていうの、スゲーよくわかるよ。どうせ旅するなら、こんなさ、泣いてばっかの情けない野郎じゃなくてさ、可愛い女の子ときゃいきゃい行きたいよな、めっちゃわかる。野郎と女の子じゃ守る時のモチベーションが違うもんなぁ」
「いやそんなこと……」
「ないとは言えないだろ」
追及すると、ハンクスはふいを目を逸らした。わかりやすいやつ! 人のこと言えないけどな!
「……実は俺さ、まだ世界を救うとかそういうの、ピンと来てないんだ」
いやマジで。本当に。さっきもアッサリ諦めようとしたし。
ここまで関わっておいてあれだけど、まだどこか他人事で、絵空事のような気がしている。実感がまるで湧かない。もともとそんな献身的な人間じゃないし。世界より自分の方がずっと大事だって思っている。
――たぶんそう思うのは、異世界だからとかいう理由じゃない。たとえばここが俺の生まれた世界だったとしても、そんなに変わらないんじゃないかって気がする。
「だからさ、俺がこの先も危険な目に遭いながら、それでも頑張ろうって思うとしたら、それはたぶん、ハンクスのためだと思う」
「……は?」
「ハンクスは本当に、この世界のこととか、騎士団のみんなを守りたいって思ってるだろ? ……俺はそういうことを本気で思えるほど、良い人間じゃないからさ」
「……」
「だから――わがままばっかり言ってごめん。嫌かもしれないけど……」
俺は想像力が足りないから、遠くの誰かが苦しむことなんて想像できない。
俺は自己中心的だから、知らない誰かのために命を懸けるなんてことはできない。
でも、身近な誰かのためだったら、頑張れるような気がする。誰かの本気に乗っかるくらいなら、俺にだって出来ると思うんだ。
消極的? なんとでも言ってくれ。情けなくても、これが俺だ。
「俺が頑張る理由になってくれ、ハンクス。そんで、ちゃんと最後まで俺を守ってくれよ。頼む」
ハンクスの緑の瞳が真っ直ぐに俺を見ていた。なんだかすごく久しぶりに見たような気がする。だからだろう、ちょっと潤んでいるように見えたのだが、きっとそれは見間違いだ。
俺は意識的に笑った。空気が重たいのは精神衛生上よろしくない。
「それにさぁ……ぶっちゃけ、童貞捨てる前に死ねるか?」
ふっ、とハンクスは鼻で笑った。それから顔をほころばせた。
「……死ねないな」
「だよな。俺もさっき死にかけたとき、真っ先に“あー童貞のまま死ぬのかぁ”って思ったもん。ヤダよなぁ!」
「ああ。嫌だな。……というかちょっと待て、どうして俺がまだだって知って……」
「いやだってお前、魅了耐性がないにも程があるだろ……? あんなあっさり沈んだやつが経験済みとは思えねぇよ……」
「そうか……そうだよな……」
「まぁ安心しろって。ハンクスならすぐ卒業できるよ」
「……二十四までにはさすがにな」
「おぉ? 喧嘩か? 買ってやるぞ?」
「圧勝できる喧嘩に興味はない。それより――」
ぐい、とハンクスに腕を引かれて俺は再び抱き上げられた。
直後、俺がさっきまでいた場所にべしゃりと液体が落ちて、白煙がもうもうと上がる。
「キャシャアッ!」
「ギャシャシャアッ!」
「とりあえず、森を出る!」
ハンクスの宣言に、自力で走るわけでない俺は何とも言えなくて、とりあえず「よろしく!」と言っておいた。
うーむ……やっぱり情けないよな、俺……。




