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36 気を付けなはれや! マジでな!


「はっ、はぁっ、はぁっ、はっ……っ!」


 一斉に襲い掛かってきたのを躱せたのは奇跡。

 そのあと一度も転んでいないのは奇跡中の奇跡。


「キシャシャッ! コロス!」

「シャーッ! シャーッ! シネ!」


 怪物たちの笑い声は、紙やすりをこすり合わせたみたいに耳障りだ。その音もどんどん近付いてくる。追い付かれるのは時間の問題だ。


 俺は垂れてきた鼻水をすすった。いやもう、息が限界。足も上がらない。許されるのならばうずくまって泣きじゃくりたい。

 でもそういうわけにもいかないのだ。いやヒジリオとしての義務とかそういうのじゃなくて。こんな緊急事態にそんなん知るかよどうでもいいわ。


 ただ単純に――死にたくない。


「ひぐっ、うっ、はぁ、はっ……うわっ!」


 その時、ふいに足に鈍い痛みが走った。とうてい耐え切れず転ぶ。

 びりびりと火傷みたいな痛み。


「いっ、てぇ……」


 咄嗟に手をやると、触った指先の手袋が溶けた。さっきの涎っていうか唾っていうか、そういうのだろう。皮膚がただれているのが感じられた。痛い。痛い……!


「キシャシャ……セイジョ、コロス……」

「コロス……コロス……」


 はたと気が付くと、周りを完全に囲まれていた。


(……あ。駄目だ、これ)


 俺はもう立ち上がる気にもなれなくて、冷たい地面に横たわったままぼんやりとした。


(嫌だな……死ぬのか。嫌だなぁ。本当に嫌だ。死にたくない……)


 視界がぼやける。怪物の笑い声が四方八方から押し寄せてくる。地面の冷たさも足の痛みも、なんだか遠いことのように思えた。あーあ、童貞のまま死ぬのか、俺。しかも異世界で。最悪だ。向こうじゃ失踪扱いだろう。親に申し訳ないな。親友にも迷惑がかかりそうだ。この世界はどうなるんだろう。まぁどうでもいいか。元々俺とは関係のない世界なんだし――


 ――と思った瞬間。

 ピット、ベスター、ハンクス、それに騎士団の人たちの顔が浮かんできた。温かくて優しい人たち。パッシブスキルだろうがなんだろうが、ともかく、俺のために動いてくれた人たち。


 ごめんな。ごめん。

 やっぱり俺、救世主なんかじゃなかったみたいだ。

 俺に世界は重すぎる。


 こんなふうに軽率なことをして、しかも殺すなら出来るだけ痛みが少ない感じで頼みたいなんて我が儘を思ってる俺を、どうか許してくれ――


「――……ウサギ?」


 ふいに、ぴょこん、と、目の前に白いウサギが現れた。

 半透明のウサギ。なんか幽霊みたい。そいつはぴこぴこと鼻を動かして、ぴょんと跳ねた。


 次の瞬間、バンッ! と音を立ててウサギが弾け飛んだ。


「おわっ!」

「ギャンッ!」

「ヒギャアアアッ!」


 迸った閃光に目を焼かれる。すっげー、強烈なフラッシュ。テレビだったら『ご注意ください』ってテロップが流れるやつだ。瞼の裏にチカチカと光の残滓がまたたいた。


 びっくりしたまま固まっていると、唐突に体が宙に浮いた。


「えっ、あっ、はっ? はぁっ?!」


 俺は一瞬でパニックに陥った。だって視界が潰されててこんな怪物がいる森の中で持ち上げられてみろよ、しかもすげースピードで動いているのが分かるんだぜ、怖すぎる!


「ちょ、あのっ――」

「落ち着け、俺だ」

「いや俺って、俺……」


 ようやく目が元通りになってきた。

 死を目前にして麻痺していたいろいろな感覚も戻ってくる。


 耳に馴染んだ声。人のぬくもり。夜闇に沈んでも綺麗だと分かる金髪――


 ――畜生、笑わば笑え! 情けないと笑え! でも人間死にかけたところを助けられたら誰だって号泣しながら抱き付くだろう?!


 それがこの世界でもっとも信頼している人だったらなおさら!


「遅くなって悪かった、セイリュウ」

「……ハンクス……っ!」


 もはや恥も外聞もあったもんじゃない。俺は泣きながらハンクスにしがみついた。


 ……くそっ、なんだこのたくましい胸板! 年下とは思えない安心感!

 俺は思わず心の中で『惚れてまうやろーっ!』と叫んだ。笑えねぇ……。




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