仮面に隠して 1
開け放した窓から吹き込む風が心地の良い昼下がり、エリザベートは夜会やお茶会の招待状への返事を書くことに勤しんでいた。叔父の(有無を言わぬ)勧めで社交界に頻繁に出るようになってから、文章上での交流が増え、なかなかに大変だった。
ある程度きりをつけたエリザベートが羽根ペンを置き、ふう、と一息ついてそろそろお茶にしようかしら、と思ったその時。
「お嬢様、招待状が届いております。それに、大きなお荷物も一緒に!」
ノックして主の返事を聞くか聞かないかのタイミングで、エリザベート付きのメイドであるリタが部屋に飛び込んでくる。彼女はとても高揚しているみたいで、頬が赤く染まっていた。
「リタ、落ち着いて」
「落ち着いてなんて居られませんよ、早く開けましょう!」
「そ、そうね……」
リタの剣幕に引きながら、エリザベートはリタに引き続いてメイドたちが置いていく箱を見る。渡された招待状には差出人が書かれていなかった。怪訝な顔で裏返すと、真っ赤な封蝋にバラの印が押されていた。
「もしかして」
バラを見て思い当たる人は1人しかいない。エリザベートは頬がにやけそうになるのを必死で隠しながら封筒を開ける。入っていたのは、仮面舞踏会の招待状だった。中身すら無記名だったけれど、もう、差出人は分かっていた。
「リタ、箱も開けてちょうだい」
「そうですね」
美しい厚紙で作られた箱は、王室御用達の店のものだった。蓋を開けると艶やかな色がすぐさま飛び込んできて、エリザベートとリタは感嘆のため息をついた。
「素晴らしいドレスだわ……」
エリザベートの瞳とおなじ深紅色のドレスはふんだんに生地を使った贅を尽くしたものだった。たくさんのタックによって、上から見るとバラを伏せたような形になっている。そして、それに合わせてバラをモチーフにした意匠のアクセサリーと、蔦の絡まったデザインの仮面。
あまりにも調和の取れた完璧なそれは、日の目を見ることが楽しみだとばかりに輝いて見えた。
馬車に乗りながらエリザベートは、1人で向かう夜会がこんなにも気が楽なものなのだと実感していた。この国での社交界は基本的に女性は男性のエスコートありきなのだけれど、仮面舞踏会については別だった。素性を隠した貴族が身分を気にせず夜会を楽しむ、という大義名分の裏に、一夜だけの男女の恋を楽しむ名目がある仮面舞踏会は、単身で来る貴族が多かった。
「ようこそいらっしゃいました」
煌びやかな扉をくぐり抜けたエリザベートが音楽隊の奏でるワルツと喧騒に身を委ねていると背後から低くしっとりとした声に呼ばれる。振り返った先に居たのは、彼だった。金髪のウィッグで髪色を隠してはいたけれど、エリザベートはすぐに分かった。
「大輪のバラが咲いているように見えたのですが、貴女でしたか」
わざとらしく言うシリルは、相変わらず黒のジャケットに黒のパンツを身に纏っていた。ジャケットの刺繍は黒いバラ、カフスボタンは真っ赤なバラの形のものがあしらわれている。自分のものとあきらかに対になっていることに気づいたエリザベートは頬が赤く熱を持ち始めているような気がした。
「ご令嬢。貴方と踊ることが出来る栄光を、僕に授けて下さいませんか」
「……喜んで」
歯がゆい台詞がかけられ数秒間見つめあい、エリザベートは差し出された手を迷いなく取る。ダンスホールの真ん中で踊る男女に混ざると、腰に回された手から伝わってくる熱にどきどきと心臓が早鐘を打ちはじめた。
ワルツの音楽に合わせてくるりくるりと回転する。互いの息遣いが分かるほど接近しては離れるのを繰り返し、目が合っては微笑み合う。
「……夢のようだわ」
「ああ。エリザベート……リジー。そのドレス、とても似合っている」
「ありがとうございます。本当に素晴らしいドレスを頂けて、感謝しております」
「俺からだって、分かったのか」
「ええ、もちろん。すぐに」
その言葉を聞いたシリルは、嬉しそうに微笑んだ。美しいワルツの調べは鼓動の速さを少しだけ落ち着けてくれるような気がした。
「シリル様……私、貴方のご提案を受けたいと思うのです」
「それは本当か」
「ええ。叔父がなんと言おうと。私は、貴方のことを愛してしまっているようなのです」
「嬉しい。リジー、俺のリジー」
エリザベートを何度も呼ぶシリルは、慈しむような顔をしていた。美しい湖のような青の瞳に捕らわれそうになっていると整った顔が近づいてきて、エリザベートはそっと瞳を閉じる。
ダンスホールの真ん中、仮面を被って一夜だけの関係を楽しむ男女の群れに混ざって口付けを交わす。本当に夢のような心地で、触れ合う場所から互いの鼓動まで伝わって来る気がした。
エリザベートとシリルは酔いしれたように、何度も何度も口付けを交わし、気持ちを確かめあった。
……それを遠くから見ている者がいることなど、知りもせずに。
ぎりぎりの時間まで会場でシリルとの逢瀬を楽しみ、惜しみながら帰宅したエリザベートは夜着に着替えてベッドに倒れ込む。シーツに頬を寄せると上質なシルクの冷たさが火照った頬に心地良い。
高揚した体は思ったよりも疲れていたみたいだった。エリザベートは満足気にひとつため息をついて、ゆっくりと瞳を閉じた。
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