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「エリザベート。帰りましょうか」
「ええ」
その日の終わりを知らせる鐘が鳴り終わるとジャックに声をかけられる。シリルに言われた言葉を反芻していたエリザベートはぼんやりとしていて反応が遅れ、それを見たジャックは訝しげに眉を顰める。ジャックはいつも一緒にいるご令嬢とはもう別れてきたようだった。事務的に差し出された腕に手を添えて、エリザベートは馬車に乗り込んだ。
「最近、夜会で会場内に居ないようですが、どこに行かれているのですか?」
「え?」
普段は無言の道中なのに、急にそう聞かれてエリザベートは困惑した。目を見開いた自分を見てか、怪しむような視線が痛い。
「……バラ園に、行っております」
たどたどしく答えたそれは、紛れもない事実だった。誰と会っているかなんて口が裂けても言えないのだけれど。
「1人で?」
「ええ……」
「そうですか。誰かと逢い引きしている、とかでないのならいいのです」
ジャックだってエリザベートの目の前で堂々と逢い引きしているのだからそんなことを言われる筋合いはないんじゃないか、とも思ったけれど。淑女として男性に言い返すことなんてはしたなく、そもそもジャックと言い合うような関係を築けていないエリザベートは押し黙った。
「私たちは結婚して、期待された通りの夫婦とならなければいけないのですから」
「そう……ですね」
期待のため。その口振りで、ああこの人には私に向ける愛などないのだなと痛感する。
バラの咲き乱れる時期、それは夜風もそう冷え込まない筈で。腕や肩の露出するドレスを着ていても寒さなど感じたことはなかったのに、なぜかこの時ばかりは肌寒いような気がしたエリザベートは、ストールの合わせを手でぎゅっと握り、ふるりと身体を震わせた。
「はぁ……」
バラの花が散らされ、さらに香油が垂らされた湯に浸かったエリザベートは、ひたすらに考え込んでいた。あの夜会から数日。ジャックに言われたこととシリルからの求婚まがいの文言がずっと頭の中でせめぎあっていた。
もし、仮にシリルの提案を受けるとして、あの叔父が許すのだろうか。ジャックの家とはなにか並々ならない取引をしている雰囲気だったから、それを覆すことなんて出来るのだろうか、という懸念があった。
「一体どうすれば……」
小さく呟いた言葉は、湯気とともに消えていった。