バラ園で、通じ合う心 1
バラ園の見える噴水のへりに2人で並んで腰掛け、エリザベートはシリルの様子がいつもと少しだけ違うことに気づいていた。
「シリル様、どうかしましたか?」
「いや……なんでもない」
「なんでもないならそんな顔はしないと思いますわ」
エリザベートがそう言うと、シリルはしばらく間を置いてから、観念したように口を開いた。
「……あの男は、恋人なのか?」
「最初に一緒にいた方のことですか?」
「そうだ」
「あの方は……私の婚約者です」
「婚約者……エリザベートには婚約者がいたのか」
シリルは何かが抜け落ちたような、呆然といった顔をした。
「でも、私の叔父が決めたんです。それに彼は他のご令嬢に夢中で、私も彼のことは理解できなくて……」
シリルの様子を見て、エリザベートがした説明は、なぜかとても言い訳がましいものだった。
「そうか。じゃあ恋人はいないんだな」
「ええ、まあ……婚約者がいる身でありながら恋人なんて作れませんから」
「じゃあ君の婚約者はどうなる?」
「たしかにそうですわ」
思わず自嘲めいた笑みが出てしまう。シリルの指摘は的確で、エリザベートがいる場でありながら他のご令嬢と堂々と逢い引きするジャックの方がどうかしているのだと実感できた。
「エリザベートはあの男とは結婚したくないんだろう」
「そりゃあ……しなくてもいいなら本当はしたくありませんけれど……」
彼もああですし、と言うとシリルは勿体ない、とぼそりと呟く。確かにジャックのような好条件の方との結婚を嫌がるなんて勿体ないのかもしれない。やっぱり私もおかしいんだわ、と思ってエリザベートは自棄になり。
「確かにあの方との結婚を嫌がるなんて、私は勿体ないことをしているのかもしれませんね」
「…………?」
エリザベートが言うなりシリルは怪訝な顔でこちらを見る。
「どうかなさいました?」
「……君は、なんだか自己肯定感が低いみたいだな」
「っな!どういうことです!?」
勢いづいてエリザベートは身を乗り出す。それをシリルはどうどう、とおさめた。
「さぁ、どういうことだろうな」
「シリル様……!」
からかわれているような気分になったエリザベートはシリルを睨む。けれど、彼は睨まれてなお、楽しそうに笑っていた。
「なあ。家に決められた婚約を覆すには、何をするのが最善だと思う?」
「何を、する……?ええと、私が結婚できないような状態になれば……例えば大きな怪我をするとか」
「なんで君はそう卑屈なんだ」
エリザベートの解答を聞いたシリルは大きなため息をつく。思ったより重症みたいだ。
「もっといい方法があるだろう」
「私が家を出れば……」
「だからなんでまたそう……ああ、もういい。答えは至ってシンプルだ。さらに上位の貴族の男で上書きすればいいだけの話だ」
至極簡単だろう?そう言うシリルはさも名案を思いついたといった顔をしていた。
「そんなこと……」
簡単に上位の貴族、だなんて言われてもそもそも出会えないのに。そう思っていると。
「……俺にするのはどうだ?」
「え……」
突然そんなことを言われてエリザベートは固まる。そして、言葉の意味をちゃんと理解して再び困惑する。シリルにする、ということはつまり婚約してそのまま……ということで。しかも、この話の流れからすると、シリルは少なくとも自分や婚約者であるジャックの属する、伯爵よりも上の身分だ。
「あいつは伯爵家の息子だったか?」
「ええ」
「俺の家は、あいつよりは上だ」
エリザベートの懸念を読み取ってくれたらしく、シリルは言う。
「ブラッドリー公爵家。聞いたことぐらいはあるか?」
「ブラッドリー……ええっ!?」
理解したエリザベートは、慌てて立ち上がりシリルに向かい合って姿勢を直した。
ブラッドリー公爵家。数ある公爵家の中でもきわめて異色を放つ家だった。その家は昔から新しいもの好きで、国内の多岐にわたる産業を発展させるきっかけになった家だ。そして何十年も、似た姿の歳若い当主が治め続けていてそれは同一人物だ、とかヴァンパイア、だとか噂され社交界にもあまり出てこず、さらには王家すらうかつに手出しできないとか噂を聞いたことがあり、とどのつまり謎に包まれていた。
貴族位としては同等の伯爵か、ひとつ上の侯爵あたりだと思っていたのに。まさか王家とも関係のあるかもしれない、雲の上のような人といままで馴れ馴れしく関わってしまっていたことに気づいたエリザベートは急に目眩に襲われたような感覚になった。
「俺の本名はシリル・ヴァレリアン・ド・ブラッドリーだ。隠してたみたいになって、すまない。返事は今日じゃなくてもいいから」
そう言いながら立ち上がったシリルと向かい合う。彼の青い瞳には、エリザベートだけが映しだされていた。
「エリザベート。いつの間にか、君が俺の心から離れなくなっていたみたいなんだ」
視線が絡み合う。シリルの瞳からは彼の本気さが見て取れた。
「……あと、勘違いしてるみたいだから言っておくが。勿体ないと言うのは、あの男がエリザベートのような方を放っておくのが勿体ないということだ」
こちらに向かって歩いて来たシリルに、すれ違いざまにそう囁かれる。噴水の水の音に紛れ込みそうなほど小さいけれど確かに聞こえた声に、エリザベートは顔から火が出そうになった。
「また会いたい。愛している」
一方的に言って、エリザベートの返事を待たずシリルは会場内へと戻っていく。エリザベートは熱くなった頬を夜風で冷ましてからようやく会場に入って、それからシリルを探した。
けれど、特徴的な黒髪はもうどこにも見あたらなかったのだった。
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