お茶会と夜会、そして再び
「リジー。リジー……エリザベート!」
「……っは!」
名前を呼ばれたエリザベートは我に返る。目の前で訝しげな顔をしているのは、幼なじみのミレーナだった。ミレーナの本名はミレーナ・ファミエラ・シュリーゲンであり、シュリーゲン伯爵令嬢だ。社交シーズンに貴族たちが滞在することとなっている、別宅が近いことから友人となった経緯がある。エリザベートのことをリジーと愛称で呼んでくれる数少ない友人だ。ミレーナは父のことがあってからもとても良くしてくれて、エリザベートは今日もお茶会に誘われてこうしてシュリーゲン邸を訪ねてきていたのだった。
「今日は初めからずっと様子がおかしいわ。どうかしましたの?」
もしかして、恋とか。栗色の豊かな巻き毛を揺らしながらそう言うミレーナはいかにも楽しそうだった。
「恋、だなんてーー」
そもそも私には婚約者がいるのですから、と口先でまず否定から入りながらも、エリザベートには思い当たる節があった。
あの謎の黒い男と出会ってから、自分の様子がおかしいのには気づいていた。彼のことをなぜかやたらと思い出してしまったり物思いに耽ってみたり、彼に『また』と言われた言葉がどうにも気になってみたり。まるで今流行りのロマンス小説の主人公みたいだ。小説に嵌まって恋に恋をしている同年代のお嬢様方の気持ちも分からないでもない、ような気がして。
「リジーが恋、ねぇ……」
ミレーナは急に黙り込んで考え込むエリザベートを見ながら、ふぅん、と含み笑いをした。
***
馬車が走る。毎日のように繰り返される夜会に悉く招待されて、伯爵令嬢という身分上、出席せざるを得ないエリザベートは密かにため息をつく。けれど、今日は少しばかり心情に変化があった。その理由はもちろん、あの夜に出会った黒い彼だった。
会場内に入ると、いつだって変わり映えのない光景が待っていた。相変わらず婚約者は最初だけ一緒にいて、そのうちに離れていってしまった。彼の横に侍っている、毎度同じ令嬢は勝ち誇ったような笑みをこちらに向けていて、目が合ってしまったエリザベートは嫌悪感に似たようなものを感じて思わず視線を逸らした。なんだか負けたような気分で、不愉快だった。
逃げるように壁際に寄ってから、気を取り直そうと『彼』を探す。特徴的な漆黒の髪は容易に見つけられると思ったのだけれど、いくら探しても見つけられなかった。そこそこ大きな貴族であるこの屋敷の主が、彼のことを招待していないなんて有り得るのだろうか。招待されていないということは、対立している貴族なのか、平民なのか(以前会った時の格好からしてそうではないと分かっているけれど)、それとももっと上の階級であるのかーー。
「私ったら、何を考えているの」
また物思いに耽ってしまっている自分に気づいて、エリザベートはぶんぶん頭を振った。そして、そんな自分に向けられた、周囲からの好奇の視線を感じて。
エリザベートは息苦しさから逃げるように、人気の少ない外に出たのだった。
プライドの高い貴族など皆考えることは同じで、ここにも立派な庭園があり、そこにはバラの生垣がある。血を浴びたように真っ赤なバラを見て、なんとなくシリルを思い出したエリザベートは思わず、それに手を伸ばしていた。
「……そんなことしなくても、ここにいる」
「っ!!」
背後から静かに声をかけられ、エリザベートはびくりと跳ねる。振り返ると期待通りの、その人がいた。
相変わらず黒い軍服のような、けれど前とは少し違う趣向のそれを着込んでいた。
「シリル様……」
相手の身分をまだ知らないエリザベートは、ドレスの裾を軽くつまみ背筋を伸ばしたまま腰を落とす挨拶である、カーテシーを丁寧に行った。
「そんなに改まった挨拶をされると反応に困るな」
そして普通に話してくれて構わない、と言われたエリザベートはシリルに笑みを向けた。
「会えてよかった」
「ええ……貴方の姿が無かったから、今日は来ていないのかと思いました」
貴方のような黒い髪の方はなかなかいないでしょう?と言うとシリルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あら、髪の話はやめた方が良かったですか?」
「いや……いい。君は意外とさばさばとしているな」
「そうでしょうか……」
そんなことを言われたのは初めてで、エリザベートは少々困惑した。
「エリザベートは……夜会はあまり好きじゃないのか?」
前も庭にいたのは何故だ、と聞かれたエリザベートは言葉に詰まった。
「人が集まる場所はあまり好きではなくて……」
婚約者に酷い扱いを受けているから、なんて口が裂けても言えなかった。
「……そうか。バラが、好きなのか」
シリルはエリザベートの態度を見てか、話題を変えてくれた。気遣ってくれたのは良いのだけれど、あからさますぎて、彼は少しばかり不器用なんじゃないかと心配になってしまった。
「昔は家の庭の一角に私専用のバラ園を設えてもらって育てていたこともあります」
「それは素晴らしいな」
「私の行きつけの教会にバラ窓があって、小さい頃からそれを見るために通っていたりもします」
「教会、か……」
その名を聞いたシリルの顔がわずかに引き攣った。それを疑問に思ったエリザベートがどうかしましたか、と聞こうとしたその瞬間、重く響く鐘の音が聞こえた。毎晩この時間になると決まって打ち鳴らされる鐘は、その日の夜会の終わりをあらわしていた。
「……また会いたい」
鐘の音の合間にシリルが言う。
「わ、私も…」
「じゃあ次はシュリーゲンの家の夜会で」
「はい」
シュリーゲンの家、とはつまりミレーナの実家だ。もちろん招待されているエリザベートは了解の返事をし、それを聞いたシリルは満足そうに微笑み、そして暗闇へと向かい消えていった。また彼の素性を聞くのを忘れていたのにも気付かず、エリザベートは鐘の音が鳴り止むまでシリルの消えた暗闇を見つめていたのだった。
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