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失敗と血と、出会い

財力を誇張するような中庭はバラで溢れかえっている。一流の庭師が整備しているであろうバラたちは自分が一番美しいのよ、と言わんばかりに咲き誇っている。歩きながらそれらを見て感心していたエリザベートは、ひときわ目立つ大輪が目に留まり足を止めた。インクを垂らしたような鮮やかな青をたたえているそれは、月の光の下、スポットライトを浴びているかのようにひときわ目立っている。

「綺麗……」

初めて見るそれに思わず感嘆のため息が零れる。性に合わないことは分かってはいるが、エリザベートはバラが好きだった。昔、父が存命していた頃は自分専用の小さなバラ園を敷地の一角に設えてもらい毎日世話をしていたものだ。それに、父がいつも訪れていた教会には大きなバラ窓があり、昔はよく、一緒に連れていってとねだったものだ。頻度こそ減ったが、それは今もなお時間を見つけては見に行っている。

父の思い出に浸りながらひとしきり観察していると、くん、とドレスが引っ張られる。足元を見ると、裾のレースに蔦が引っ掛かってしまっていた。

「あ、」

繊細なレースは無理な力がかかると破れてしまう。安いものではないため、もし破ったとしたら叔父が黙ってはいないだろう。仕方なくその場にしゃがみこむ。蔦に生えた棘はがっちりと絡み付いてしまっているようで軽く引っ張っただけでは外れてくれない。おまけに宵闇で視界が悪くほぼ手探り状態だ。月の仄かな光を頼りにしばらく格闘してようやく外れたと思った時。

「いたっ……」

解放感と相対して、指にちくりとした痛みが走った。ふくりと浮かぶ大粒の赤を見たエリザベートはああやってしまった、と激しく後悔した。


持ち合わせていたハンカチで急いで指を押さえるが、赤はじわじわと広がっていき、止まる気配は全く無い。思ったよりも深く刺してしまっていたようだ。エリザベートは自分の軽率な行動を後悔していた。


エリザベートはもともと生まれた時から血が止まりにくい体質だった。些細な怪我でもなかなか塞がらないため、日常生活でも気をつけなければならないことが多く、月のものも長く続いて貧血になることがままある。この体質は父方の遺伝で、先祖の中にも稀にそういう人が産まれていたらしい。そういう人たちは揃って短命で、自分もそうなることが分かっているエリザベートは、父の件が起きて以降、どこか自分の人生を傍観しているきらいがあった。



周囲を見渡すと仄明かりに照らされて真っ白なガゼボが浮かび上がって見えた。指を押さえながら近づいていき、誰もいないことを確認すると大理石のベンチに座る。圧迫していたハンカチを一度取って、傷口を薄光に照らして見てみると、期待に反してふたたび血液が丸い玉を作る。

「久しぶりにやってしまったわ……」

ため息混じりに呟いて、ふと指から視線を外すと、視界の端に人影が見えた。驚いてばっ、と顔を上げると薄暗い闇の中で揺らぐ深い青の瞳とかち合った。ミディアム丈の黒髪に、軍服をモチーフにした漆黒のジャケットを身につけているせいで暗闇に溶け込みそうな彼は無表情でこちらを見下ろしている。恐ろしく整ったその顔からは何を考えているのか読めず、ただ瞳孔の開いた瞳だけが闇の中で幾度か瞬きをしていた。

「あ、あの…?」

幼なじみや婚約者以外の、年の近い男性と話したことのないエリザベートはこういった時にどうすべきかが分からず、戸惑った。それに、目の前の男からはどことなく野生じみた何かを感じて、思わず身構えてしまう。

「大丈夫か」

「へ……?」

発せられた声は、想像していたよりも柔らかかった。思わず拍子抜けして間抜けな反応をしてしまった。

「血の匂いが、したから」

「こうしていればそのうち止まるので……大丈夫です」

そう言いながらも、血の匂いが分かるだなんてまるで獣のようだわ、と思う。

「…………」

「……あの?」

こちらを見つめる男は無言で何かを考えているようだった。沈黙が気まずくなったエリザベートは再び指からハンカチを外し、その瞬間赤い玉が出来るのを見て顔を顰めた。

「貸してみろ」

「えっ……」

男から声が掛かると同時に少々強引に手をとられ、抵抗する間もなく指を口に含まれる。驚いたエリザベートが固まっていると、一瞬青の瞳がとろりと赤みを帯びたように見えた。

温かい舌がぬるりと指を這うと引き攣れるような小さな痛みが走ったけれど、次第にそれがなくなっていく。ほんの十数秒後、男が口を離すとそこにはもう傷なんてなかった。

「え……」

「秘密な」

絶句するエリザベートに男は淡々と言う。

「あの、あなたは」

上手く働かない頭で男に問う。聞きたいことは山ほどあるけれど、まずは素性について、だ。

「シリルだ。貴女は?」

「エリザベート、です……」

ファーストネームのみ教えられたため、エリザベートもそれに倣う。いかにも混乱した様子のエリザベートを後目に、シリルは今しがた知ったばかりの名前を小さく復唱して満足げな笑みを浮かべた。

「そうか。じゃあ、また」

そう言って、彼は会場とは正反対の灯りもない方に歩いていき、暗闇に溶け込んでいったのだった。

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