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「あの、教会に行ってもいいでしょうか」
幾許か街を歩いて、エリザベートは、助けを求めるようにジャックに乞うた。
ジャックとは、上手く会話が成立しない。互いに、あまり互いのことを知ろうと思っていないため興味が湧かないのだろうと、エリザベートは推測していた。それはそれでいいのだと思っていたけれど、こうも長時間一緒にいるのにまともな会話ができていないのは辛いところがあった。そして出てきたのが上記の発言だった。
「教会?なんでまたそんな所に」
ジャックは怪訝そうな顔をする。
そんな所、だなんて。彼にとって、教会とは寄付金を積んで貴族としてのステータスをあげる場所としか思っていないのだろう。つくづくこの人とは反りが合わない。そう思ったエリザベートは、心の中で盛大なため息をついた。
目的地に着いたエリザベートは早速、バラ窓を見上げて祈りを捧げる。石造りの教会の、ひんやりとして清らかな空気が心地良い。
「ふん、よくあるステンドグラスだな」
気が乗らないながらも婚約者としての義務でエリザベートに付いてきたジャックが、そう言って鼻で笑うのが聞こえた。
たしかに王城や大聖堂に行けばもっと素晴らしいものが見れるのかもしれない。けれど、ステンドグラスにひとつとして同じものはないし、エリザベートにとっては父との思い出のあるこの教会のものが特別だった。
ああやはり彼には良さは分かって貰えないんだな、その事実に、エリザベートは悲しい気分になった。
隣で待つジャックを気にもとめず満足のいくまでバラ窓を眺めて。そして、やっとエリザベートが外へ出ると、ぱらぱらと雨が降り始めていた。
「……帰りましょうか」
彼にとっては、この雨が都合の良い理由になったみたいだ。
「そうですわね」
ジャックの提案を甘んじて受け入れ、エリザベートは帰途についたのだった。
降り止まない雨は次第に勢いを増していた。少しでも濡れないようにと急いでオレリアン邸の重厚な扉をくぐり屋敷の中へと足を踏み入れる。使用人に出迎えられて、エリザベートが自室へと向かおうとした、その時。
「お嬢様、当主様がお待ちです」
声をかけてきたのは執事のヴィクターだった。白髪混じりの茶髪を後ろに流したような髪型の彼は、エリザベートの父が存命の頃からオレリアン家に仕えてくれている。昔はよく会話など交わしたものだ。当主が、叔父に代わる前までは。
「叔父様が……?」
なにか含みのあるような顔をしたヴィクターと、その後ろに怯えたようなリタを見つけたエリザベートは心がざわつき始めていた。
「エリザベート。来たか」
「なんのご用事でしょうか」
他人行儀なカーテシーをしてから、エリザベートは叔父・ジュストに向き合う。そんなエリザベートの、飄々とした様子を見てジュストは、僅かに眉をひそめた。
「用事がなくては呼び出してはいけないのか?私はお前の父親でもあるのだぞ。娘と交流を持とうとして何が悪い?」
まくし立てるようにして、ジュストは白々しいセリフを吐く。
「そう……かもしれませんね、失礼しました」
エリザベートが形ばかりの謝罪をすると、ジュストは、満足そうに鼻を鳴らした。まるで、女は大人しくしていろ、とでもいいたげであった。
「エリザベート、お前に聞かねばならないことがある」
「……何でしょうか」
本題に入ろうとするジュストの表情は険しく見え、エリザベートは僅かに首を傾げる。彼に聞かれなければいけないようなことが、思い当たらなかったのだ……たった一つ、彼のことを覗いては。
「……これは、お前のものではないな?」
「それは……!」
ジュストが取り出したのは、銀のナイフだった。とっさにエリザベートは悲鳴にも似た声を上げてしまう。その反応が、予想通りだったらしく。ジュストは憎々しげに顔を歪める。
「どうやっているのかは知らないが、まだあの男と通じているようだな。お前が結婚式を控えているというのに刃物を贈ってくるなどとんでもない」
「違います、それは私のものです!」
「ふむ、たしかに今はお前のものなのかもしれないな。過去の所有者が誰であれ、な」
ジュストは、エリザベートを睨めつける。
「結婚ももうすぐなのにこんなことじゃ向こうの方たちに示しがつかないだろう。これからは見張りをつけさせてもらうからな」
そう吐き捨てて、ジュストは部屋を後にする。後ろ姿が見えなくなってから、エリザベートはその場に崩れ落ちた。
「そんな……叔父様……」
ぽた、ぽた、と瞳から次々流れる雫は、絨毯の赤をより濃く染めていったのだった。




