婚約者(仮)と、降り止まない雨
「エリザベート、今日は会えて嬉しいです」
いかにも事務的で棒読みなセリフを吐く、目の前の人物は婚約者であるジャックだ。今日は、街へ買い物に行く約束をしていた。けれどそれは楽しいものではなく、ただ双方の親に対して、婚約者同士の仲が良いと印象づけるためだけのものだ。晴れた空の清々しさと相反して、エリザベートの気持ちは重かった。
「ええ……こちらこそお誘い頂きありがとうございます、ジャック様」
一応嫌々ながらも我が家まで迎えに来てくれて、エスコートをしてくれる辺りは、まだ常識があるのだろう。
同じ馬車に乗って無言でしばらく揺られていると、エリザベートは彼から漂う女物の香水の匂いに気づいた。
ああ、この人はまた私と会う前にどこかのご令嬢とよろしくやってきたんだわ。そのご令嬢も、この人が私と会うことを分かっていて、あえて痕跡を残したんだわ。
陳腐な香水の匂いに、エリザベートはこっそりと嘲笑した。
この国では、貴族にとって街へ買い物に行くのは戯れの一つで、庶民の生活の観察をしに行くようなものとされていた。なにせ服やアクセサリーは家にデザイナーや商人が来るものであるし、料理だって専属の料理人がいるのだ。本当は、貴族がわざわざ街へ出向く必要などどこにもないのだ。
けれど、エリザベートは街にそこそこよく来ていた。活気のある様子を見ると、その間だけは自分の立場や叔父のことを忘れられる気がするからだ。それに、この街には、父が愛したバラ窓の教会があって、そこに通っているのだ。
「ジャック様、露店でも見ませんか?」
馬車から降りたエリザベートが提案すると、ジャックは気分の乗らない様子ではあったが黙って付いてきてくれる。この男は、不遜な態度ではあるが最低限、エリザベートのことを婚約者として尊重しようとしてくれてはいるのかもしれない。
活気のある露店では、歩きながら食べられるような軽食や工芸品が並んでいる。エリザベートは隣にいるのがジャックであることを半分忘れながらうきうきと見て回っていた。
「そこのお嬢さん」
露店を一通り見終わる頃。ふいに声をかけられ、エリザベートは振り向く。けれど、後ろには誰もいなかった。
「お嬢さん」
視線をさ迷わせていると再び呼びとめられ、それで声のした場所がやっと分かった。
そこは、ちょうど建物の影になっている小さなスペースだった。フードを被った、いかにも怪しそうな女がいた。声から推測するに、歳の頃は、初老ぐらいであった。
「私をお呼びでしょうか?」
「ああ、そうさ。どうだい少し見ていかないかい?」
彼女が指したそこには、ガラス細工が並べられていた。
ジャックに視線を遣ると、勝手にしろとでも言いたげな態度だったため、ありがたく勝手に寄り道させてもらうことにした。
「まあ……綺麗」
透き通ったガラスで動物や花、果物が象られている。巧緻なそれらは、今の技術で作るにはとても苦労のいるもののはずだ。
テーブルを一通り眺めてエリザベートは、少しばかり隠されるようにして陳列された「それ」が気になった。
「これはどうだい?お嬢さんの赤い瞳にそっくりだ」
同時に彼女が「それ」を指差す。それは、血のように真っ赤な、大輪のバラをかたどったものだった。
「これ……いただくわ」
エリザベートは、思わずそう口にしていた。
「毎度あり」
クオリティに見合った、安くはない代金を支払って箱に入れられた品物を受け取る。そしてジャックと再び歩き出して。
少し胸に引っかかるものがあり、ふと振り向いたエリザベートが目にしたのは、彼女の暗いフードの下の、赤い瞳だった。
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