03 出発
「だ、騙しましたね⁉︎」
「騙した? 人聞きの悪いことを言うな。正当な要求だっただろ」
「確かにそうですけど!」
あれからすぐに、アキラは再召喚された。
流れで帰還できると思っていた彼の顔には落胆の色があり、それを見てラトリアは複雑そうな表情を浮かべる。
「……お願いします。どうしてもあなたの力が必要なんです」
「何をそこまで。俺はしがない学生でしかない。女神に頼られる要素などないはずだが」
「そんなことはありません! あなたは選ばれたのですから!」
ラトリアはなぜ自分がアキラのことを召喚したか、その経緯を話し出す。
黙って話を聞いていた彼の表情は、あまり変わらない。
「——なるほど。つまりこの世界が滅ぼされる前に、俺を含めた七人の勇者の誰かが魔王を倒さなければならないということだな」
「その通りです!」
「ではその魔王はどうやって倒す?」
「よくぞ聞いてくださいました! まずはこれをお受け取りください!」
ラトリアは自身の胸の谷間へ手を突っ込む。
どうやって収納していたのか——彼女はそこから鞘に入った全長1メートルほどの剣を取り出した。
(下品だ……)
そう思ったアキラであったが、口には出さない。
話の腰を折ってしまえば、聞きたい話がさらに遠ざかるからだ。
「これは勇者にのみ扱える聖剣です。強い退魔の力がありまして、魔物や魔王への有効打となるでしょう」
「……こんな物があるなら、この世界にいる人間に渡せばいいだろ。わざわざ俺を呼ぶ必要はあったのか?」
「残念ながら、この剣は誰にでも使えるというものではありません。女神によって呼び出された勇者にのみ扱うことができるのです。そうしなければ、この力を悪用しようとする者が現れてしまいかねませんから」
アキラは納得する。
つまり神の管理下でしか、この剣を振るうことは許されないというわけだ。
「私は、この美しい世界と何の罪もない人々が滅んでいくことが許せません……! どうか……どうかっ! この世界を救ってください!」
自分自身ではどうしようもなく、人に頼らざるを得ない歯痒さを噛み締めて、彼女は聖剣を差し出しながら頭を下げる。
しばらくの沈黙の後、アキラの口から一つのため息が漏れた。
「……事情は理解した。放っておけば、この世界は滅んでしまうわけだ」
「っ、それでは——へぶっ⁉︎」
理解してくれた喜びに顔を綻ばせ、ラトリアは顔を上げた。
しかし、その顔にぺシャリと何かがぶつかる。
重力に従い地面に落ちたそれを見てみれば、それは日本ならどこにでもあるようなノートであった。
「こ、これは……?」
「俺の大学ノートだ。そこにこの世界を救うことによって神から与えられる報酬を全て書き出せ」
「え?」
「理解できなかったか? 俺があんたに協力することで発生するメリットを全て教えろと言ったんだ。富や力、立場などいくらでもあるだろ」
「え、その……あの……世界を救った先に待つ達成感————とか」
「話にならないな。ふざけているとしか思えない」
アキラはラトリアに冷ややかな目を向ける。
それによって背筋が冷えた錯覚を覚えたラトリアは、思わず身震いをした。
「いいか、あんたは俺に命をかけて関係ない世界を救えと言っている。俺の人生に一切関わることがなかったであろう世界をだ。ボランティア精神は結構だが、それを押し付ける人間は善でも何でもない。ただの悪だ。報酬がないのであれば他を当たってくれ。それか、他に六人もいるんだろ? その連中をサポートすればいい」
「あ……悪……」
ラトリアはショックのあまり膝をつく。
彼女の心は、罪の意識に襲われていた。
どんな者に対してでも誠意を持って頼み込めば聞いてくれるという考えが、ラトリアの中にあったのである。
「純粋なのは結構だが、すべての人間が同じ考えを持っているとは思わないことだな。……分かったのなら、しっかりと報酬を提示しろ。それが無理なら、俺を元の世界へ戻してくれ」
「——わ、分かりました」
ラトリアが力強く頷いたのを見て、アキラはほっとしたように息を吐いた。
実のところ、アキラはわざと彼女がショックを受けるように言い回しを考えて発言している。
そうすることで、多少なりとも自分が優位となるよう牽制していたのだ。
最終的な目標としては、今この場で元の世界に戻してもらうこと。
そのためならば、かなりの無理難題を叩きつけてやるつもり――だった。
「魔王討伐を果たしたあかつきには、私が何でも一つだけ願いを叶えます! それでどうでしょうか!」
「……できるのか? そんなことが」
「仮にも私は女神です! それで世界が救えるなら、人ひとりの願いなど訳ありません!」
アキラは考え込む。
悪い条件ではない。
と言うより、それ以上の条件は存在し得なかった。
強いて条件を厳しくするならば――、とアキラは考え、口を開く。
「三つだ。叶える願いを三つに変えてくれ。万が一にでも、元の世界へ帰るという目標さえその願いの内に入れられてしまえば目も当てられないからな」
「そ、そんなことはしませんよ! 魔王が倒された時点で、勇者様方には元の世界へお帰りいただきます」
「どうだかな。あんたの口ぶりからすれば、神様は何でもできるんだろう?」
約束を反故にして、一方的に帰還させてしまうことだってできるはず。
そういった疑いの意味を込めて、アキラは目を細めてラトリアを見た。
「心外です! 私は光の神。悪の行いを憎みます! ……ですが、いいでしょう。叶えられる願いを三つにします。その代わり――」
ラトリアはアキラの方へずいっと体を近づけ、真っ直ぐその目を見つめる。
ここまでほとんど動じていなかったアキラも、さすがに眉がぴくりと動いた。
「良心的な願いに限ります! 例えば誰かを傷つけたり、支配したり。歪んだ方向性の願いは控えていただきます! その条件を呑んでいただけるのであれば、三つだって叶えましょう!」
「……その言葉、忘れるなよ」
「へ?」
アキラは小さく笑い、制服の懐から携帯を取り出した。
画面には、録音アプリが表示されている。
さらに赤いマークがチカチカと点滅しており、現在録音中であることが示されていた。
『その条件を呑んでいただけるのであれば、三つだって叶えましょう!』
「よく撮れているだろ? これで言質は取ったからな」
「卑怯じゃないですか⁉」
「何だ? あんたがこの約束を守ればいい話だろう」
「そ、そうですが! こう……とにかくよくありません!」
アキラは彼女の言葉に、まるで理解できないと言った様子で首を振る。
「ともかく、この条件下であれば受けてもいい」
「え、何を……?」
「今まで何の話をしていたかもう忘れたのか? 魔王討伐だ。勇者として働いてやると言っている」
「本当ですか⁉ 嬉しいです! ありがとうございます!」
ラトリアは途端に表情を明るくすると、無邪気な子供のように飛び跳ねる。
アキラはそんな彼女から、聖剣をひったくった。
「魔王なんて大層な名前をしているが、そいつを倒すだけで一生分の生活が保障されるわけだ。やらない道理はないな」
アキラが望むことは、健康、富、そしてもう一つは自由枠として考えていた。
この先の人生が保障されるのであれば、彼としてはある程度の労働は意に介さない。
「倒すだけって……魔王はとても強いんですよ? 気は引き締めていかないと――」
「命がかかっていることくらい理解している。ただ……どんな手を使ってでも、世界が救えればいいんだろう?」
アキラは笑みを浮かべる。
ラトリアはそんな彼を見て、背中に悪寒が走った。
(何か……とても嫌な予感がします)
自分はとんでもない人を召喚してしまったのではないか――そんな後悔はほんの一瞬。
ラトリアはすぐに自身の頭を振って、気を取り直した。
神である自分が人の子を疑ってはいけない。
「よし、ならばまず近場の町へ案内してくれ。この世界の文化を見ておきたい」
「わ、分かりました! えっと……」
「どうした?」
アキラは目を泳がせるラトリアへ声をかける。
ラトリアはしばしの沈黙の後、首を傾げた。
「町は……どっちでしょう?」
「……今後、あんたを頼ってはいけないということは分かったよ」
こうして、前途多難な二人の旅が始まった。
——始まった?