02 異世界召喚は犯罪です。
「火の神フレイオーン、水の神アクエラ、風の神ウィンディア、雷の神ライラ、土の神クエイゴ、闇の神ダークノア、光の神ラトリア————以上七名を、エルデランド救済実行の人員とする。各々最善を尽くすように」
神がの住まう天界。
ラトリアは最高神からの命令を受け、感極まっていた。
(まさかこんな機会をいただけるなんて……っ!)
現在魔王の危機に晒されているエルデランドと言う世界。
その世界を救うため、天界は神を派遣し魔王の力を鎮めることを決定した。
ラトリアはその人員——いや、神員の一人に選ばれたのである。
これはまだ若い神であるラトリアにとっては、天界に貢献できる最大の好機だ。
下界の窮地を喜んでしまうようで苦しい部分もあったが、彼女は誰かの役に立つことを何よりも喜びと感じる光と善の神。
必ず世界を救ってみせると決意し、ラトリアは最高神の間を後にする。
(そうと決まれば早く勇者を召喚しなくてはなりませんね)
ふんすっ、と鼻から息を吐き、ラトリアは下界へと降臨する準備を整える。
神が下界に降りるには、それなりの手続きが必要だ。
どの世界にどの神が降臨しているかは常に監視され、有事の際は伝令が飛ぶ。
そして基本、神自身が自らの手でその世界に干渉することは許されない。
それを破れば、神ですら嫌がる重い罰が待ち受けている。
故に勇者と言う手足が必要となるのだ。
「光の神ラトリアです。下界、エルデランドへの降臨を希望します」
「はい、ラトリア様ですね。すでに伝令は届いております。どうかお気をつけて」
「ありがとうございます」
下界へと続くゴンドラの前にいる管理者に行き先を伝え、ラトリアはそれに乗り込む。
するとゴンドラは急降下を開始。あっという間に雲を突き破り地上が見えてきた。
「これがエルデランド……」
手すりに身を乗せて、ラトリアは下界の景色を眺めた。
広大で、そして美しい世界だった。
これが滅ぼされてしまうと思うと、彼女の胸はどうしても苦しくなる。
早く救い出さねば——決意は深まるばかりだ。
「この辺りだと良さそうですね……」
彼女は上空から人気のなさそうな森を見つけ、ゴンドラを操作。
目的地をその森へと定め、ついに降臨を果たす。
「他の神々ももう降臨しているでしょうし、私も遅れを取らないようにしなければ……っ!」
そう意気込む彼女は知らない。
他の救済実行者たちはまだ天界でだらけていることを。
下界の人間を救うことに意気込む神などそうそういない。
実は自分が天界でも浮いている存在であったことを彼女が知るのは、もう少し先の話である。
「まずは血を出して……」
ラトリアは自分の左手首を指でなぞる。
すると刃もないのにすっと切れ込みが入り、そこから鮮やかな血液が溢れ出した。
もちろん、神である彼女が失血死で死ぬことはない。
あくまでこれは勇者召喚に必要な素材というだけである。
「合って……ますよね?」
彼女は自身の豊かな胸元から羊皮紙を取り出し、血液で描いた魔法陣と紙に描かれた魔法陣を見比べる。
そして隅々まで合っていることを確認し、一つ頷いた。
「よし————おいでませ、おいでませ、異界の勇者様。どうかこの世界をお救いくださいっ」
ラトリアは両腕を広げ、魔法陣へと呼びかける。
すると魔法陣は光を放ち始め、森の一角を鮮やかな鮮血の色で照らした。
そしてやがて光が晴れる。
魔法陣はどこかへと消え失せ、代わりに魔法陣の中心だった場所に学制服を着た一人の男が立っていた。
「……ここは」
「や、やりました! 成功です! 成功ですっ!」
異世界召喚など一度もしたことがなかったラトリアは、無邪気に喜ぶ。
対する男は何が起きたか分からないと言った様子で、周囲を見渡していた。
「あ、失礼いたしました! ようこそエルデランドへ! あなたの来訪をお待ちしておりました! 勇者様!」
「……俺をここに連れてきたのは、あんたか?」
「はい! 光の神ラトリアと申します! 突然お呼び出しして申し訳ございません。ですがどうしても聞いていただきたい話がありまして——」
——パンっ!
そうラトリアが言葉を続けようとした時、突然乾いた音が森に響き渡る。
音の発生源である目の前の男を見て、ラトリアは目を見開いた。
「な、何しているんですか⁉︎」
「……痛みはある。夢じゃないんだな」
自分の手で自分の頬を叩いた彼は、ポツリとそう呟く。
そしてふらふらと近くの木の根元に寄って膝をつくと、何かを確認し始めた。
「あ、あの……何をなさっているのでしょうか?」
「確か、ラトリアと言ったな」
「え、む、無視……? は、はい、ラトリアです」
「すぐに元の世界に返してくれ。このままじゃせっかく無欠席で過ごしていた高校生活が水の泡になる」
立ち上がった彼は、まっすぐラトリアの目を見つめてそう告げる。
彼女は一瞬何を言われているか分からなかった。
「な、なぜここが異世界だと……」
「初めはエルデランドなどと言われてどこかの夢の国を想像したが、誘拐されたにしては時間が進んでいない」
彼はラトリアに向け腕時計を見せた。
そこに表示されている時刻のことを言いたいらしい。
「そしてこの植生、明らかに地球上には存在しないものだ。似たものはあるが、木の皮の質がまったく違う」
「そ、それを確認していたんですか……」
「これが地球上のどこかなのであれば、むしろ大発見だろうな。で、答え合わせをしてくれ。ここは本当に異世界なのか?」
「っ! はい! その通りです! 第40698番目の世界、エルデランドです。ちなみにあなたの住んでいた地球は2650番目の世界でした」
「……そうか」
彼はそうつぶやく。
そして突然、ラトリアの胸ぐらを掴み上げた。
「へ⁉︎ な、何をなさるんですか⁉︎」
「刑法224条! 未成年者略取及び誘拐罪! 決定刑は三ヶ月以上七年以下の懲役だ! 神だか何だかんだ知らないが、自分が犯罪を犯したということをしっかりと自覚しろ!」
「え、えぇええぇぇぇ⁉︎」
ラトリアからすれば、生身の人間に触れる初めての機会であった。
そんな初めての相手に予期していなかった行動をされ、彼女の決して賢くはない頭はすでに混乱してしまっている。
さらに善の神である自分が罪を犯したと告げられた。
これがどれほど彼女の心にショックを与えたか、言うまでもないないだろう。
「わた、私が……光と善の神である私が……罪を犯して……」
「ああ、光と善の神であるお前が罪を犯したんだ」
「はうっ!」
「しかし……罪となる前に、示談にするという手がある」
「じ、示談?」
彼はラトリアの胸ぐらから手を離す。
支えを失い地面に倒れ込んだ彼女は、すがるような目で彼を見つめた。
彼女に対し、男はそっと手を差し出す。
「金目の物を何か差し出せ。それで今回のことは不問にしてもいい」
「ほ、本当ですか⁉︎ ちょっと待ってください!」
ラトリアは体を弄り、自分の持ち物を確認する。
ああじゃないこうじゃないと自分自身との掛け合いを繰り返し、ついに彼女は一つのネックレスを男へ差し出した。
「こ、これ! 私の加護を封じ込めたネックレスです! どうぞ!」
「……まあ、そんなものか。いいだろう。示談成立だ」
男はラトリアからネックレスを受け取ると、首にかけず制服の懐へしまう。
そして一息つくと、再び手を彼女へ向け差し出した。
「————俺は阿久津アキラ。日本で高校生をやっている。光の神ラトリア、示談も済んだところで、俺を日本に返してくれないか?」
「アキラさん……! 分かりました。この度は大変失礼いたしました。今すぐあなたを帰還させますね」
「ああ、頼む」
「勇者アキラよ! 元の世界へお戻りください!」
アキラの体が光に包まれる。
そして足先から徐々に光の粒子となり、彼は天へと吸い込まれるようにして消えた。
こうして彼は、自分のいた世界へと戻ったのだ————。
「————あれ?」
ラトリアが何かがおかしいと気づいたのは、これから10秒後のことである。