第3話 どういう風の吹き回し?
主人公は後輩に教えるために簿記の勉強をする。
次の日の朝、俺は、机の奥にしまっていた簿記の参考書を取り出すと、通学バッグに突っ込んで家を出た。
地元の駅に着くと、ホームのべンチに腰を掛ける。周りに同じ学校の制服を着た生徒がいないことを確認し、拓哉から借りた参考書を取り出した。
表紙には『日商簿記3級の教科書』と書かれている。
その一ページ目を開いて読み始めると、すぐに眠気が襲ってきた。資産、負債、純資産、費用、収益……何やら分かるような、分からないような言葉が並んでいる。
「やべえな、わっかんねえ」
そうボヤいた時に、ベンチの隣から声を掛けられた。
「それ、簿記でしょ。レオが勉強なんて珍しいね」
隣に人がいることに気付いていなかった俺はビクっと大きな反応をしてしまった。
「うわ、なんだ千尋かよ!」
声のする方を見ると、そこには女の子が座っていた。俺の通う片瀬高校の制服を着ている。俺もよく知っている杉浦千尋だ。
千尋は俺の幼馴染だ。家が近所だったこともあり、小さい頃はよく一緒に遊んでいた。幼稚園を卒園するかしないかくらいの時に、お父さんの転勤でアメリカに行ってしまったのだが、高校入学のタイミングで日本に戻って来ていた。
生まれつきの強気な性格で、自分の感情に素直に生きているタイプだ。いつも明るく笑っていて、俺は昔から振り回されてばっかりだった気がする。
運動神経抜群だが、勉強は俺と同じで苦手だ。
そんな千尋は不満げな表情をして言う。
「うわって何よ。人を怪物みたいに」
そして俺が手に持っている参考書を指さして言う。
「それ、簿記の教科書でしょ。どういう風の吹き回し?」
俺は頭を掻きながら答えた。
「ああ。ちょっと勉強しようと思ってさ」
千尋は、ふーん、と言うと俺の顔を覗き込む。
そして、思わぬことを言った。
「実は私も勉強したことあるんだよね」
「え、お前そんなタイプじゃないだろ?」
千尋が怒りそうな言葉が口をついて出た。ただ、千尋が自主的に勉強するなんて考えられなかったのだ。
「うるさい。ほんっと失礼だよね!」
千尋は少し不貞腐れたような表情で、俺の肩に拳をぶつけながら言った。生まれつきの暗い茶色い髪をなびかせながら、千尋は向こうを向いてぼそっと言う。
「あんたこそ、ずっと勉強せずにいたんでしょ?」
その言葉に、心の中を見透かされたような気分になって慌てて尋ねる。
「なんで知ってんの?」
千尋ははっとしてこちらを振り向くと、ちょっと動揺したような表情をしてから、取り繕うように言った。
「あ、いや、石川君に借りているのを偶然見たの」
「ああ、そう言うことね!」
俺は得心が言って胸をなでおろす。千尋は参考書を指さしながら、こう言った。
「で、何が分からないのよ」
俺は正直に答える。
「ぜんぶです」
「は?」
「最初からまったく分かりません」
千尋はやれやれという表情を浮かべる。
「仕方ないわね。教えてあげる!」
その救いの言葉に、心から感謝して言う。
「よろしく頼む!」
千尋は俺の肩を殴りながら言う。
「何でえらそうなのよ」
幼稚園の時から知っているからだろうか。ちょっと理由があって、女子と話すのが苦手な俺だが、千尋とはいつもの調子で話せる。
千尋は人差し指を上に向けて、俺に問いかけてくる。さながら先生のようだ。
「良い、家計簿は分かる?」
学校に着くまで、千尋は色んなたとえ話を使って説明してくれた。一番分かりやすかったのは、RPGに例えた薬草とゴールドの話だった。
意識が飛びそうになる俺の頬をぺちぺち叩きながら、学校の正門をくぐるまでに、簿記の全体像を教えて貰った。
簿記では、左右がバランスするということはちょっとだけ分かった。
あと、家計簿が何かははっきりと分かった。




