第2話 私に会計を教えてください
主人公は生徒会の会計の指示で図書室に向かう。
俺は、途中ですれ違った先生に図書室の場所を聞いて、無事に目的地にたどり着いた。
図書室の場所を聞かれた先生は呆れた様子でこう言った。
「お前、そのうち、教室も忘れそうだな」
失礼な話だ。図書室には一度も行った事が無いだけだ。忘れたわけじゃない。
俺は拓哉から渡されたメモに書いてある名前を見ながら思う。
えっと。図書委員の会計の責任者は、神崎葵さんか。知らない子だなあ。
間違いを指摘するという立場上、知らない人というのは気まずい。そもそも、何が間違っていたのか、俺は理解していなかった。
一応、拓哉は説明してくれたのだが……
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「損益計算書の収支の金額と、現金の期中の増減が一致していない。部署別で分析すると図書委員の会計帳簿と現金の期首・期末残高に差額がある。だから、行って確認してこい」
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なんて、俺に理解できるわけがない。日本語なのに、知らない外国語のように、頭が理解することを拒否した。
俺が理解したのは「行って確認してこい」と言うフレーズだけだ。
初めて訪れた図書室は、校舎の2階の端にあった。やはり、一度も行った事などなかった。そもそも、本って苦手なんだよな。開いただけですぐに寝れる。
図書室の扉を開いて中に入ると、本のかび臭い匂いが鼻に入る。小学生ぶりのその香りに懐かしさを覚えた。
扉を入ると、すぐ左側にカウンターがあり、真面目そうな黒髪の女の子が座って本を読んでいた。色白で化粧っ気のない地味な子だ。
彼女は『騎士のアリア』という本を読んでいた。
扉が開く音に気付いてか、彼女は顔をこちらに向けた。彼女に探している人の居場所を尋ねることにした。
「こんにちは、神崎葵さんっているかな?」
彼女は驚いたような、疑問に思うような表情をした。その動揺を表すように、ボブカットの黒髪が少し揺れる。
「私が神崎です」
神崎さんは俺の顔をじっと見て、戸惑ったようにしている。
「え、えっと?」
ああ。そう言うことね。
生徒会は学生の代表だ。俺も選挙を経て生徒会に入ったのに、特に女子生徒からはよくこんな反応をされる。男子生徒はみんな覚えてくれているんだけどな。
最初はいちいち落ち込んでいたが、今はもう気にしていない。
「あ、ごめん。俺は生徒会副会長の中井です」
生徒会副会長という言葉にはっとした彼女は、立ち上がってペコペコし始めた。
「あ、すみません!」
思った以上に申し訳なさそうにしている彼女を落ち着けるため、両手を胸の前に持ってきて、小さく前後に動かす。
「いや、本当に大丈夫! 俺、歴代の校長より知名度低いから。ほら、桜並木の銅像」
俺は自嘲気味にそう言う。いつもスベるが、俺の中では定番の自虐ネタだ。うちの高校の正門から校舎までの並木道には、校長の銅像があるのだ。多くの生徒は、風景の一部としか思わず、誰のことも知らないだろう。
案の定、彼女はぽかんとした表情をする。しかし、手を口元に持ってくると、堪えきれないように笑った。
「ふ、ふふふ」
まさかウケると思っていなかったので、内心でたじろいだが、笑っている彼女を見て、少し良い気分になった。彼女は笑いが収まると、少し潤んだ目を手で拭うようにして、こう言った。
「そんなことはありません。歴代の校長の顔なんて思い出せませんよ。でも中井先輩の顔は覚えていました」
そう言って、はっとしたように目を開いて続けた。
「はっ。それも失礼ですね。名前を憶えていないなんて」
あの自虐ネタに本気でフォローされたのも初めてで何と反応すれば良いか分からず、何だか微妙な反応をしてしまう。
「これを機会に覚えてくれたら、俺はハッピーだよ」
神崎さんはその言葉を真に受けたように頷いて応じた。そして、思い出したように、はっと表情を変えると俺に尋ねてきた。
「それで、中井先輩。今日はどうされたんですか?」
すっかり調子を狂わされてしまった。正直、このまま帰りそうになっていた。
「ああ、そうだった。実は、生徒会の会計が図書委員会の帳簿が合わないから確認してきてってさ」
神崎さんに金額を伝えようとしたところで、拓哉に言われた金額を忘れてしまっていることに気付いた。
「えーと」
気を取り直して、人差し指を立てるとこう聞いた。
「千円くらいなんだけど、心当たりとか無いよね?」
まあ、大した金額じゃないんだけどね、と神崎さんに無駄なプレッシャーを掛けないようにフォローする。
しかし、神崎さんは首をひねりながら本気で考えている。
「うーん。しっかり領収書と対応させて、帳簿は付けていますからね。間違っていない自信はあります」
その言葉を聞いて、俺は笑顔で応じた。
「そっか。そうだよね。疑う感じになっちゃってごめんね」
じゃあ、と生徒会室に戻ろうとしたときに、神崎さんは所在なさげに両手の指を絡めながら、おずおずと質問してきた。
「あ、あの、生徒会の会計になるにはどうすれば良いでしょうか」
俺は反射的に疑問を返す。
「え? どうしてまた?」
神崎さんは少し動揺したように、目線を揺らしながら答えた。
「あ、いや、その……会計って何かカッコ良いなって」
会計がカッコ良い?
俺は拓哉の姿を思い浮かべて、あれは会計じゃなくて拓哉がカッコいいんだよなと思う。
せっかく生徒会に興味を持ってくれているので答えてあげたいが、そんなことを言われても、俺はそもそも会計みたいな細かいこと苦手だしなあ。そう思った時、だいぶ前に拓哉から借りていた会計の参考書を思い出した。
タイトル、何だったっけな? 簿記だったよな。
「えっと、簿記とか勉強しておけばいいと思う」
うろ覚えだったが、多分間違っていないはずだ。
神崎さんは真剣な表情でそれを聞くと、小さな声で簿記という言葉を反芻する。結局は心当たりが無かったようで、さらに質問を重ねてきた。
「もしかして、中井先輩、簿記のこと、いや、会計のことを分かっていたりしますか?」
そして、ぐいっと距離を詰めながら彼女は真剣な表情で尋ねてくる。
「ぜひ、私に会計を教えてください!」
身を乗り出してそう言う神崎さんを見て、俺の心臓はとくんと跳ねた。近くでみる彼女の黒い瞳が美しくて、思わず、少し見惚れてしまった。
俺は、咄嗟に、いらない見栄とよこしまな期待を込めてこう答えていた。
「良いよ! 来週の放課後とかどう?」