情に棹させば霊が来る
霊が現れ、声が聞こえる。
そういう話は大昔からあったが、時代ごとにその意味は変わっていった。
ちょっとした権力欲や金銭欲があれば、亡くなった人々の権威や、それに対する畏敬の念を利用しようと思うものだ。
そうしたことが大真面目に受け止められて、国家の政治に影響していたうちはまだ良かったが、霊が非科学的なものだとされていくに従い、世の中では霊は「ありえないもの」として扱われるようになった。
すると今度は「霊を信じてしまう哀れな人々」が発生した。つまり福祉や救済の必要が出てきたのだった。
さて、これらが単に詐欺や人の弱さの話なら簡単だったが、ここで重大な疑問が生じてくる。
もし霊が本当にいるなら?
霊に取り憑かれた対象や周辺の人々を、特に強大な偉人の霊から守る。実のところ、これはどこの国でも秘密裏に行われていた。
これについて現代科学からアプローチした最初の国はソビエト連邦だったというが、ソ連が崩壊した今となっては不明である。
では日本の場合はどうか。やり方はごくごくシンプルで、しかも効果的である。
霊が見える人間に頑張ってもらう、だ。
「ただ面倒ごと押し付けてるだけじゃん!!」
佐藤正四は自分が置かれてる状況に、とにかく腹が立っていた。それに腹も減っていた。
彼女が水戸光圀の監視に特殊な家系の中から『抜擢』されたのは、取り憑かれた対象の野口美哉と同い年だったからだ。
大体、霊に取り憑かれるのは、偉人の子孫だとか、祀られてる神社やお寺の関係者だとか、ある程度限られてくる。
例外的に、病気で弱っているときにたまたまとかがあり、美哉と光圀の場合もこのパターンに当たった。
光圀自体の危険性は低いとされていたから、正四の父親は「黄門様のおかげでランクの高い学校にタダで通えるようになった」と喜んでいたが、正四にしてみればいい迷惑だった。
それまでの友達とは離れ離れになったし、子供の頃から祖母によく連れて行ってもらっていたお蕎麦屋さんも、遠くなってしまった。
祖母はいつも『おばあちゃん、こんなに食べられないからね。まーちゃん、ちょっと手伝ってね』と、お蕎麦の天ぷらを半分くれたものだった。
その祖母が亡くなって、二年が経つ。
大好きだった祖母の霊は全然見えないのに、ただ生前に偉かったというだけのお爺さんのために、どうして生活をかき乱されなきゃならないのか。
きっと霊に取り憑かれるなんて、だらしない人間に違いない。
うまく取り入って、監視がてらに意地悪してやろう。
そう思うことで自分を納得させた正四が見た、野口美哉という女の子は……とても良い子だった。
顔が綺麗なのに、私はあの人よりかわいいとか、比べなかった。
勉強も、嫌な顔一つせずに教えてくれた。
気に入った動画を見せると、一緒に笑ってくれたのだ。
それなのに……どうしてあんなお爺さんに取り憑かれてしまったんだろう?
美哉の隣にはいつも光圀がいて、正四が見えてるかどうか試すこともせず、ただじっとその場で目を閉じていることが多かった。
ただし、お弁当を食べるときだけ、美哉の弁当の中身を物珍しそうに眺めていた。
光圀の食い道楽ぶりは正四も予習はしていたが、それでも死んでなお食事に興味を示す姿に、つい考えてしまうことがあった。
おばあちゃんも、そうなんだろうか。
美哉を蕎麦屋に連れ出そうとして、しかし中に入る前に事に及んだのは、正四なりに蕎麦屋にこだわりが残っていたからかもしれない。
でも……と、正四は思った。
だからって、美哉を傷付けて良いわけじゃないよ。
本当なら正体を明かした勢いで、強引にでも『目的』に協力してもらうつもりだった。
それぐらい今迫っている脅威は重大なものなのだ。
しかしまだ中学生の正四に、友達の泣き顔を見続ける痛みは、耐えられなかった。
美哉の前から去った正四は、竹刀を素振りしながら文句を垂れるという、昔からのストレス発散方法を実践していた。
下宿先は父方の叔母の家で、叔母は一人で民宿をやっている。
その叔母も恐らく霊は見えるはずだったが……今回のことを正四は相談はしていない。
友達とご飯を食べると行って出たのに、早くに帰って来た姪っ子のことを、叔母は怪しがることもせずに、平日で誰もいない客室の整理をしている。
こうなったら、一人でも美哉を守ってみせる。
光圀のことなんてどうでもいい。これは自分なりのけじめなんだから。
「来るなら、いつでも! 来なさい!」
正四は最後の素振りを終えてから、光圀に接触せんと現世の人間に取り付いた輩の名前を口にした。
奥州独眼竜・伊達政宗。
それが『敵』の正体だった。