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この男とあの男とその男の交差点

 父親はもう、この家の鍵を持っていない。今この場で美哉が居留守を使えば、父親は帰るしか無い。

 美哉は少しだけ迷ったが、じきにマイク越しに声をかけた。

「今、開けるから」

 言葉通りに玄関で鍵を開けてやると、外では父親が笑顔で待っていた。

 上にはスーツジャケットを着たままで、ここに来るためにわざわざ仕事を早上がりしたのかもしれなかった。

「ちょっと早いが、一緒にめし食おう! な! お父さん、材料買ってきたからさ!」

「えっ」

「どうした? やっぱりまだ食べられないのか? 一昨日、お母さんに電話したら、今は食べられるようになったって聞いたぞ?」

 美哉が困ってしまって、ちらりと後ろの光圀を見たが、彼は腕組みをして昼寝でもしてるかのように斜めに浮いているだけだった。

 そんな彼女の様子に、父親はあることを嗅ぎ取った。

「おっ、この匂い……そうか、カップ麺か何か食べたんだ! 凄いなあ! 本当に食べられるようになったんだな!」

「う、うん。そう、なんだ。でも、だから、今はお腹が減ってなくて……その……」

「ああ、いいよ、いい、いいっ。そんなの気にすんな。お父さんも急に来て悪かったな。でも、ミャーがご飯食べられるようになったんだ。それで十分だから。じゃっ、お母さんと鉢合わせしないうちに行くから」

 言うだけ言って、父親は買い物袋を美哉に渡すと、そのまま走り去っていった。



 野口大介、三十七歳。一応、まだ、なんとか、妻帯者である。

 どうして今みたいになったのか、全然わからない。

 ブラックな会社で家に帰れなかったわけじゃない。貯金だってあるし、無駄遣いもしない。タバコも全然だ。酒はちょっとだけ飲む。SNSで炎上したことはない。

 高級住宅というわけでもないが、一軒家だって買った。今の世の中なら、人に羨ましがられたってバチは当たらないはずだ。


 なのにどうして、妻や娘とまともに喋れないのだろう。


 多分、答えなんてないのだろうが……先が見えない今の生活は、大介には新卒での就職活動を思い出させるぐらいに辛かった。

 別居にあたって、妻とは一つだけ約束をしていた。


 美哉のことは毎日、メッセージアプリでいいから、教えて欲しい。


 こざっぱりした性格の妻らしく、毎日届くのは『食べた。味噌汁』『ゴミ箱に栄養食品の箱。食べてはいる』など簡潔な文ばかり。

 あの約束は失敗だったかもしれない。摩耗していく自分に気付いて、大介は後悔した。

 そんなある日、妻からのメッセージに変化があった。


『お弁当を作って欲しいと言われた』


『今日のお弁当、半分ぐらい食べられていた。また作ろうと思う』


『スーパーに連れて行くと、よく食品をキョロキョロと眺めている』


 妻も嬉しかったのだろう、明らかにメッセージの回数も、文章量も増えていた。

 時期を考えると、自分がキャンプに連れて行った後ぐらいからのことなのだが……それは大介の側からは触れなかった。

 現に、美哉の弁当を作るのも報告してくれるのも、妻なのだ。

 強引にでも、預かるといえば美哉を自分の借りたアパートで一緒に住ませることだってできたのに、自分は妻に美哉を任せてしまっている。

 娘の生活を考えてといえば聞こえは良いが、要は半端なだけだ。


 よし! 思い切って俺も、美哉にめしを作ってみよう!


 ……そう決心したのに、結果はどうだ。

 美哉の気持ちを先回りして、勝手に戸惑って、買い物袋だけ押し付けて、一人寂しく道を歩いている。自分の心臓まで置いてきてしまったような気さえしていた。

 夕方の早上がり。若い頃なら酒でも飲んで、なんて自分は贅沢なんだろう、と缶詰をつついてるだけでも幸せになれた時間帯だ。


 どうして今みたいになったのか。やっぱりわからない。


 ぐるぐる回る思考のままに、横断歩道の赤信号でぼけっと突っ立っていたら、通りがかった女性が興奮しながら声をかけてきた。

「あなた、ぼうっとしてるけど! さっきこの交差点で、女の子が自転車に轢かれそうになって! いえね、自転車の方がすっ転んで、女の子にぼこぼこにされちゃって! その運転手はさらわれちゃったんだけど! とにかく危なかったんだから! 気を付けなさいね!」

「は、はあ……? どうも、ご親切に」

 半分も内容がわからなかったが、とりあえず女の子は無事だったようである。

 もうどこかに行ってしまった女性の様子からすると、とにかく誰かに喋りたくて仕方なかったのだろう。

 それにしても喧嘩沙汰で勝つとは、どんなにガタイの良い子だろうか。武術でも習っているのかもしれない。


 でもまあ……うちの美哉ほどかわいくはないだろう。


 全く根拠のないことを思いながら、大介は青信号になった横断歩道を渡った。

 交差点の脇の電柱には、誰のものかわからない自転車が立てかけられていた。


 その自転車の持ち主である男は、東北の山奥へと連れ去られていた。

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