武士は死んでも飯が食いたい
殺人を犯した人間は、死後にどうなるのか。
古今東西の人間が、ときに遊び半分で、ときに裁判制度のために大真面目に考えてきたことだが、その参考になりそうなものと、この物語の主人公である美哉は不運にも出会ってしまった。
野口美哉はまだ中学二年生で、その出会ったものというのは……かの水戸のご老公・水戸光圀の霊であった。
『いやあ、今日の昼飯は美味かったな』
学校からの帰り道、美哉の頭の中で声がする。
彼女が精神の病である可能性をできるだけ排除して原因を答えるならば、これは霊体と呼称すべき状態でふわふわとストーキングをし続けている爺さん……水戸光圀、またの名を……まあそれは沢山あるので割愛する……とにかくこの光圀のせいであった。
『やはり当世の卵焼きは香辛料を利かせた方が、卵の味が引き立って良い。昔はもっとふわふわ、あまあまとしたのが流行ったが、あれは卵自体が貴重だったからだしなあ』
この光圀、自称は六十歳過ぎだが、見た目はもっと若々しい。髪は黒々、長めの毛をポニテ風に後ろで結わえてあり、シワは顔を損なうどころか目鼻立ちの良さを引き立て、下手に生きてる人間より生き生きとしている。
格好はワイシャツ姿にビシッとベストを着て前でボタンを留めており、ビジネススーツやアンティークのお店でずっと働いてきたような、紳士としての貫禄がある。
そのベストには家紋が両胸に穿たれていて、それこそ水戸徳川家の三つ葵に他ならない。
この自称・水戸光圀と話したいときは声に出さずとも良い。顎に指をそえたときだけ美哉の考えを光圀は読むことができる。このおかげで、独り言を周りに心配されずに済む。
そう、この光圀は美哉にしか見えない……はずである。何せこんな目立つ爺さんが学校にまでついて来るわけで、他の誰かにも見えてたらどうしようという心配は、いやでもしてしまうのだった。
美哉が自分の顎に指をそえると、光圀は胡座で浮いたような格好になって、美哉の斜め前方に移った。
美哉は自覚が無いが、彼女はセミロングのボリュームのある髪に、少し眠そうだが整った目鼻、少し赤みを帯びたほっぺと、美少女の部類に入る。
そんな彼女の目をしっかりと見ながら、光圀は喋った。
『慣れた帰り道とはいえ、歩きながら話すのは注意散漫ではないかな?』
『先に話しかけてきたのはそっちでしょう。それより、その格好。なんで着物姿じゃないの?』
『この霊体だと、洋装の方がひらひらしなくて便利なんだ。まあ、お前が気に入らないなら着替えるのもやぶさかではないが……』
『いい、そのままでいいから』
お年寄りのファッションチェックをする趣味はないのである。
それに、目の前の交差点の赤信号が青信号になれば、後は自宅まですぐだった。
ねえ、なんで私なの? どうして私を選んだの?
美哉が本当に聞きたいのはいつもそのことだったが、光圀は気付いていない。あるいは知らないふりをしているのか。
光圀が実際にどれぐらい深くまで美哉の思考を読み取れるのかは、彼の言っていることを信用するしかない。いずれにしろ、言いふらされる心配が無い点だけは救いだろうか。
と、美哉が半端な注意力で青信号になったばかりの横断歩道に足を踏み出した途端、横から猛スピードで自転車が突っ込んできた。
それを見ていた通りの反対側の女性が悲鳴をあげる。
しかし、ひっくり返ったのは自転車だけだった。
光圀が美哉の体に重なり、溶け込んだかと思えば、美哉は自転車の右ハンドル側に体をかわし、そのまま運転手の右脇腹を掌底で軽く突いた。
左右の力加減が極端に狂ったために自転車がひっくり返った。何が起こったかわかったのは、光圀と美哉だけで、運転手はよろよろと立ち上がると、興奮と混乱のままに怒鳴った。
「んだーってめえ! あぶねえだろが!」
自転車は交差点のど真ん中に放置して、運転手の二十歳ぐらいの男性が美哉に詰め寄る。
心配そうに通りの向こう側で見ている女性に、美哉は笑顔で手を振った。
「大丈夫ですよ〜!」
「はあ!? 舐めてんのか! ガキだからってなあ!」
「腰に刀が無いことを感謝しろ」
「えっ」
美哉……いや光圀は一呼吸の合間に男性の胸の人中を拳で突き、息が止まった所で顎に頭突きをかました。
痛みで叫ぼうにも息が出来ず、男はひっくり返って呻くだけ。そんな交差点にちょうど真っ黒なバンが差し掛かって、邪魔な自転車の前で急停車した。
中から三人の、作業着姿のよく似合うガタイの良い男性たちが出てきた。
「お嬢ちゃん! あのチャリ、この坊主のか!?」
「ああ、はい、そうなんですよ。勝手に転んじゃって、助けようとしたら、なんか急におびえ始めて」
「何ぃ〜? こんなお嬢ちゃん相手に情けないやっちゃのう。おい、お前! 迷惑ついでに俺らがちょっと教育したるわ! 来いや!」
反論しようにも口をきける状態ではない哀れな男性は、そのままバンに放り込まれて、自転車だけを残してどこかに行ってしまった。
「ああいうのも、流行りの異世界転生とかいうやつなのか?」
そう独り言ちる、少女の体の光圀であった。
敬老の日を機会に、これまでやりたかったネタで連載を始めることにしました。自分が好きなめしもの、時代劇の要素をいろいろと詰め込んで、読者の方々と一緒に楽しめるものを作っていきたいと思います。