エピローグ
「やっていられませんよ私は!」
出迎えてそうそう、ぎゃあすと叫んだのは美貌の剣士、ユアンである。美しい容姿に似合わず取り乱す彼に、シェイラは若干、いや、かなり気圧されていた。
憲兵隊から迎えの車がきたのは昼過ぎのこと。
結婚式のあと、シェイラたちは宿舎として与えられる小さな屋敷――もちろん、ふたりで住むには十分すぎるほどだ――へと移った。周囲にはほかにも隊員が住まう家があり、隊の車はこの短い間でもかなり見慣れたものだが、まさか自分の前に止まるとは思わずかなり驚いた。
車に乗せられ向かうこと数十分。どういうわけか城のなかに連れていかれ緊張していたところ、ようやく見知った顔に会ってホッとしたのもつかの間、ユアンにくわりと泣きつかれた次第である。
几帳面で冷静。そんな普段の印象とは違って、げんなりと顔を引きつらせたユアンに、確認のためシェイラは慎重に口を開いた。
「あー、ユアンさん? その、本当なんですか。お城の中に、ゴーストが出るって」
「嘘なら良かったのですが。ええ。今まさに、私もそう思っていますよ」
投げやりに返したユアンに、シェイラはあいまいに笑った。
ユアンによると、ゴーストが出たのは数日前のこと。最初に見たのは城勤めの女官だったが、翌日に文官が続き、侍女が続き、気が付けば城内のあちこちで目撃情報が乱立しててんやわんやの騒ぎになっているとのことである。
とまあ、それだけのことであれば、わざわざ憲兵隊が動くまでもなかった。問題は一週間後に建国記念日があり、諸外国から賓客を招いた大きなセレモニーが催されるということである。
「式典までになんとしてもゴーストを排除しろと上は躍起になるし。隊長は下見の段階で泡を吹いて倒れるし。どの伝手を使ったのか、あのうさん臭い記者が城をウロウロしているし。もう、私にどうしろって話ですよ、まったく!」
ぷりぷり怒りながら、ユアンが先導する。連れていかれたのはとある小部屋。開かれた扉の先にいたのは、シェイラには見慣れたふたりの姿だ。
「悪い、シェイラ。午後は実家に行くって言っていたのに、来てもらっちまって」
ソファに身を横たえたまま、力なく片手をあげたのはラウルだ。相も変わらずの光景に、シェイラは思わず腕組をする。
「家にはいつでも行けるから大丈夫。それより。また無理をしたの、ラウルさん?」
「まさか、いきなりゴーストに出くわすとは思わなかったんだよ……」
敗北感を滲ませて、ラウルが肩を落とす。結婚して一緒にいる時間が長くなったからわかったことだが、ラウルはやたらとゴーストとの遭遇率が高い。そういうところは素直にかわいそうだと思う。
そしてもう一人、ひらひらと手を振ってアピールするのは、新聞記者エディだ。
「こんにちは、シェイラさん。先週ぶり、いえ、4日ぶりでしょうか。何はともあれ、今日もお元気そうでなによりです」
「あなたは何でここにいるのよ」
「気にしないでくださいな。愉快な匂いが、あたしをここに呼んだ。それだけの話です」
飄々と肩を竦めて、エディが長い前髪の下でにいと笑う。シェイラが聞きたかったのは「なぜ一介の新聞記者であるエディが城の中にやすやすと潜り込んでいるのか」であったのだが、どうやら今日も、その理由は聞けなそうだ。
「しかし、隊長のこんなお姿は、さすがのあたしも予想外ですねえ。まさかこんなとっておきの特ダネが、足元にころりと転がっているなんて」
青い顔をしたラウルを、エディがしげしげと覗き込む。むっと唇を尖らせるラウルをよそに、エディは小さな手帳にさらさらと書き込んだ。
「タイトルはそうですねえ。『魅惑の鬼隊長は、ゴーストがお嫌い。』、と」
途端、エディは両側から――前からはラウルにペンを持つ右手を、後ろからはユアンとシェイラから両肩を、それぞれに勢いよく摑まれた。
「おい。記事にしたら分かっているだろうな」
「来週の取材約束、うっかり忘れちゃってもいいんですよ?」
「そういえばあなた、この場においては部外者なうえ不審者でしたね。仕方がありません。ここは物理的に排除させていただくしか……」
「書きませんよ、書きませんって! いやですねえ、皆さん揃いも揃って。ちょいとしたジョークですよ、もう」
愛嬌があっていいと思うんですけどねえ、と。エディが残念そうにペンをしまう。それが問題なのだと、シェイラは内心で深くうなずく。
だって、内緒にしたいじゃないか。最高にかっこよくて頼りになる、街のヒーローのラウル・オズボーン。そんな彼に、こんなにも可愛くて意外なギャップがあるだなんて、バラしてしまうのはもったいなさすぎる。
「いいですよ、このネタはお蔵入りさせます。そのかわり、今日はお二方をみっちり取材させていただきますからね」
「仕方がないな」
言いながらラウルが立ち上がる。軽口を叩いたせいか、顔色は幾分かマシになっている。
彼の手をさりげなく掴んで、シェイラもふふんと微笑んでみせる。
「特別ですよ。私たちとエディさんの仲ですもんね」
そんなふたりに、やれやれとユアンが肩を竦める。
男女ともに高い人気を誇る魅惑の鬼隊長と、新聞の連載コラムでじわじわと支持を集めるお手柄霊感令嬢。ふたりのオズボーンが繰り広げる冒険譚は、読者たちに諸手を挙げて歓迎されることになるだろう。
――そのとき、空気の温度がわずかに下がり、青い蝶がシェイラの目の前を舞った。
シェイラとラウルはどちらともなく顔を合わせ、しっかりと手を繋いで頷きあう。足りない部分は、こうやって支えあえばいい。そうやって出会ったふたりなのだから。
さあ。ゴースト捜索の時間である!