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14-3



 それから。


 念のため体に異常がないか憲兵隊の詰所で医者に見てもらったあと、待合室のひとつに連れていかれると、クラーク家の家族全員に迎えられた。


 父と母、そして兄嫁に順番に抱きしめられ、シェイラは目を白黒とさせた。やはりというか、かなり心配させてしまっていたらしい。


 意外だったのは兄キースで、ほっとした顔をしつつ、どこか余裕のある様子で椅子に腰かけている。兄の怪我も大したことがなさそうなのに安心しつつ、シェイラが声を掛けると、キースは軽く肩を竦めてこういった。


「お前が無事でよかったよ。ま、オズボ……ラウルさんが、お前を無事に連れ帰ってくるって、わかっていたけどな」


 おやと思いつつ、シェイラは嬉しくなった。自分のいない間にラウルと兄の間でどんなやり取りがあったのかわからない。けれども、いい変化が生まれたのは確かだ。


 詳しく聞いてみようかもと思ったが、やめておいた。ふたりが何を話し何を思ったのかを聞くのは野暮というものだし、きっと聞いてもはぐらかされるだけだろう。


 シェイラにとって大事なのは、大好きで大切なふたりの距離が少しだけ近くなったということ。それはとても喜ばしく、幸せなことだ。




 そして、約束の日がきた。




「シェイラ―!」


 黄色い歓声と共に、何かが胸に飛び込んでくる。けふりとせき込みながら受け止めれば、それは王立劇場の歌姫ナンバーツー、エイミー・ダーエであった。


「会いたかったわ! 元気にしていた?? 手紙では色々と聞いていたけど……、あん、待って。素敵なドレス! すっごく似合っているわ!」


「そんなに一気に言われたら答えられないわよ」


 シェイラは苦笑をして、きらきらと目を輝かせる歌姫を宥めた。そんなふたりを、やれやれと肩を竦めてラウルが眺めている。


 ここは王立劇場のエイミー・ダーエの控室だ。


 今日の演目は、王立劇場で毎年人気を博しているエンド・オブ・イヤーズコンサート。毎年年の瀬に開催をしているオーケストラ中心のコンサートで、その年の演目から代表曲を中心にいくつかピックアップをして奏でられる。エイミーたち役者も、曲によっては歌い手として出演するのだ。


「アイリーンさんとグウェンさんも、お久しぶりです」


 エイミーに抱き着かれたままそちらを見れば、アイリーンは美しく微笑み、グウェンはにっと笑って「よっ!」と片手をあげる。反対の手は、ぴたりと寄り添うようにアイリーンの腰に回されている。


「今日は観に来てくれて嬉しいわ。少し、いえ。かなり、この組み合わせは驚いたけれども」


「まさかお嬢ちゃんが、あの鬼隊長のフィアンセとはね。というか、もしかしなくても、あの怪人事件がお嬢ちゃんたちの恋のキューピットになったのかな」


「ふふん。甘いわね、ふたりとも。私は二人が付き合ってること、ずっと前から知っていたんだから」


「あら、そうなの」


「水臭いな。教えてくれればよかったのに」


「バカね、私とシェイラは親友よ。親友との内緒話を、ぺらぺら言いふらすわけないじゃない」


「ね?」と、エイミーは得意げに胸を張る。


 ちなみにエイミーがシェイラたちのことを知っているのは、手紙で何度も「で、オズボーン様とはどうなの!?」とせっつかれ、根負けしたシェイラが告白したからである。


 ラウルと婚約したことを告げた途端、エイミーはすぐに、劇場裏にある団員たちが懇意にしているカフェにシェイラを呼び出した。そしてケーキをいくつも頼んで、盛大にシェイラを祝福した。


 彼女によると、怪人事件が終わった日、ラウルがもの言いたげな視線を何度もシェイラに向けていたのだという。


「オズボーン様は、絶対シェイラに惚れていると思ったの」と、彼女は何度もうなずいていた。当時はそんなことに少しも気が付かなかったシェイラは、驚くやら照れくさいやらで小さく縮こまることしかできなかった。


「おふたりの大切な時間に、私たちのコンサートを聞きにきてくれて嬉しいわ。最後まで楽しませると約束するわ。素敵な夜を過ごしていってね」


 劇場を背負う看板歌姫らしくそう言って、アイリーンは颯爽と去っていく。もちろんグウェンも一緒だ。仲睦まじく寄り添う背中にシェイラがおやと思っていると、エイミーが顔を近づけて囁いた。


「あの二人も婚約したのよ。年が明けたらすぐに発表するの。ここだけの秘密よ」


「そうなのね! 素敵ね、おめでとう!」


 言ってから、シェイラは困った顔をした。そういえばエイミーは、グウェンに失恋をしていたのだった。だが、エイミーはあっけらかんと首を振った。


「いやよ、シェイラ。私、いつまでも過去を引きずるような女じゃないわ。ライバルの女に惚れこんでいる男なんて、こっちから願い下げよ」


 それにね、とエイミーは頬を紅潮させてはにかんだ。


「私ね、オケのコンマスとイイ感じなの。彼ね、とってもクールなのよ。今夜も一緒にディナーに行くの。だから、今日のステージも頑張らなくちゃ」


 幸せいっぱいの笑みで、エイミーはそう宣言した。


 そろそろ準備をしなければならないというエイミーを残し、シェイラたちは楽屋を後にした。関係者エリアから一般の観客エリアに戻ると、劇場に到着したときよりも客の姿が増えている。それでも開演までは十分時間があることから、ふたりはラウンジに向かうことにした。


 途中、入り口へと続く豪奢な階段――かつて、ラウルと初めて会った階段に差し掛かった。


「どうした?」


 くすりと笑ったシェイラを見逃さず、ラウルが小首をかしげる。いつかの夜と同じように、その耳にきらりとピアスが輝く。色はシェイラの瞳と同じ、明るい緑。そんな変化をこそばゆく思いながら、シェイラは「いえ」と首を振った。


「昔の自分に教えたら驚くだろうなと思って。階段に飛び込んできた恐い顔をした男の人が、将来自分のフィアンセになるだなんて」


「恐い顔? そんな風に見えたのか?」


「見えましたよ! あの時のラウルさん、すっごくぴりぴりしていましたもん。なんだろうこの人って、びっくりしちゃいました」


「ま……あの時は、ゴーストの気配がして、気が気じゃなかったからな」


 きまり悪そうに首の後ろをかいて、ラウルが階段を見下ろす。けれども次の瞬間、彼はふっと目を細めてほほ笑んだ。


「初恋に堕ちたときのことを、はっきりと覚えているか?」


「え?」


 あまりに脈絡のない問いに、シェイラは目を丸くする。だがラウルは気にした様子もなく、すらすらと先を続ける。


「俺は覚えている。彼女と出会ったのもこの場所だった。まだガキのときだ」


 それは幼い日の微笑ましい思い出だ。――で、あるはずなのに、まるで焦がれる相手の名を呼ぶように、ラウルの声は甘く狂おしい。


 少し迷ってから、シェイラはつい尋ねてしまった。


「そんなにその子を好きだったんですか」


「気になる?」


 その時のラウルの目を――いたずらが成功したときのような愉快気な瞳を見て、シェイラは自分がからかわれたのだと知った。


 憤慨したシェイラは、ぷいとそっぽを向いた。


「ひとをからかって遊ぶようなひとには、嫉妬なんかしてあげません」


「怒るな、怒るな。ほら、席に行こう。大分、ロビーも混んできたからな」


 笑みを含んだ声で、ラウルがシェイラを促す。


 途中、ご機嫌伺いのつもりなのか、ラウルがバーカウンターでシャンパンを受け取りシェイラにも勧める。それを受け取りつつも、シェイラはツンと澄ましてみせた。もちろん本気で怒っているわけではない。けれども、これくらいのお灸は必要なのである。


 その傍、シェイラは考える。彼はどんな子供だったのだろう。精悍で大人の色気に満ちた彼のことだから、子供の頃もさぞ美少年であったことだろう。


 と、そのとき、瞼の裏に微かな光景がちらついた。浮かんだのは、階段の上段に仁王立ちする男の子。逃げ出したそうに顔を引き攣らせながら、必死にこちらを見つめる姿。


 けれども一瞬だけ浮かんだ光景は、すぐに記憶のなかへと溶けていってしまう。困惑しつつ、シェイラは頭を振った。いま確かに、何かを思い出せそうだったのに。


「前に話したな。シュタット城の一件があってから、俺はゴーストがダメになった。彼女に会ったのは、俺がトラウマのドン底にいた時だ」


 ラウルの声で、シェイラは我に返った。いつのまにかふたりは劇場二階の個室席にいて、柔らかなソファの上に座っていた。


 ラウルはこれから始まる演奏に期待に胸を高鳴らせる人々によりざわつく豪奢なホールを見下ろし、寛いだ様子で足を組んでいる。けれどもシャンデリアのオレンジの光に照らされた横顔は、ここではないどこかを見つめているかのようだ。


 どうやら彼は、初恋の思い出話の続きを語っているらしい。黙って続きを待っていると、ラウルは懐かしそうに顔を綻ばせた。


「あの頃は情けなくてさ。ほんの少しゴーストの気配がしただけでガタガタ震え上がって、いつも暗闇に怯えていた。そんな自分がショックだったし、腹立たしくもあった。毎日イライラしていたな」


 そんな彼を励まそうとしたのだろう。ある日、両親が彼を連れ出した。いく先はこの王立劇場だった。


「演目はドン・ジョバンニ。ファミリー向けの演目だと謳うだけあって、愉快な内容だった。といっても、俺はとても楽しめた気分じゃなかった」


 えっと、シェイラは声を上げそうになった。己を伝説の勇者だと思い込んだ男が繰り広げる、軽快で痛快な冒険ファンタジー。


 奇しくもそれは、シェイラが幼い日に家族で観にきたのと同じ演目であった。


「最悪だったのは、そのあとだ。休憩に立った途端、俺は背筋が震えたよ。なんせ、ゴーストの気配がしたんだから」


 真剣に話に聞き入るシェイラの視線の先で、ラウルが足を組み替える。衣擦れの音が、やけに大きく響いた気がした。


「よほど逃げてしまおうかと思った。実際、逃げ出す寸前だったんだ。――俺よりも小さな女の子が、階段を下りていくのを見ていなければ」


 星が瞬くように、瞼の裏に眠っていた記憶が呼び覚まされる。

 

 階段の上に仁王立ちしてシェイラを見下ろす、真っ赤な瞳の男の子。怯えた表情に反して、その瞳に燃え上がるのは固い決意の色。


 そして彼は走り出す。シェイラを攫う、小さなナイトとして。


 目を見開くシェイラに、ラウルがゆっくりとこちらを向く。目の縁を赤く染めて、彼は優しく、大切にその一言を告げた。


「そうやって俺は君に出会った。シェイラ。君が俺の、初恋だ」


〝お、おい!〟


 今よりずっと高い、少年の声が耳に蘇る。それだけじゃない。階段を駆け下り、後ろに流れていく景色。しゃがみこんで震える背中。シェイラがお礼を言ったときに見せた、まん丸の瞳とその輝き。


 そうか。忘れていた、思い出せなかったあの男の子の正体は。


 驚いたやら可笑しいやらで、シェイラは笑い、ちょっぴり泣く。そんな彼女を引き寄せたラウルは、滲んだ涙を親指でぬぐい、困ったように微笑んだ。


「何も知らずに、俺はまたここでお前に出会い、恋をした。そして、あの日の少女がお前だと知った。……すごいよな。どうやら俺は、何度でもお前に惚れちまう運命らしい」


「ずるいですよ、ラウルさん。こんなとっておきの殺し文句を、これまで隠していたなんて」


「たまには格好つけるのも悪くないだろ?」


 そんな風にほほ笑みながら、ラウルが跪く。目を丸くする彼女の前で、ラウルは小さな赤い箱を胸元から取り出す。開かれたそれの中にあったのは、宝石の輝く細いリングであった。


「どうか誓わせてくれ」


 まっすぐに真摯に見上げる瞳に、泣き笑いを浮かべた自分の姿が映る。階下のさざめきも、微かに響く調律の音も、何もかが遠くに感じる。まるで世界中に、ラウルとふたりきりになったかのようだ。


「これから先どんなことがあろうと、俺はお前の手を離さない。例えば涙に暮れる夜があったとしても、共に寄り添い、愛を伝え、最後はお前を笑顔にすると約束する。――一緒に生きよう、シェイラ。支えあい、補いあって。俺たちなら、それができる」


 指先に添えられた手から、愛という熱が伝わってくる。返事をしようとして、シェイラはしゃくり上げた。頬をつたう滴こそ、どんな言葉にも勝る彼女の答えだ。


 軽く笑って、ラウルがシェイラの薬指に指輪を通す。細い指にそっと口付けてから、ラウルは小首をかしげてシェイラの顔を覗き込んだ。


「幸せになろう。ふたりで一緒に」


「……はい!」


 こつりと額を合わせ、シェイラは精一杯の笑顔で答えた。そうして祈った。どれだけ言葉を並べても十分に言い表すことのできない喜びを、この胸にあふれる想いのすべてを、彼に伝えることが出来ますようにと。


 ホールに、開演を告げるブザーが響く。

 いつの間にかあたりは薄暗くなり、人々の期待が静かなホールに満ちる。


「始まるな」


 席に座りなおし、舞台に視線をやってラウルが言う。その右手は、指輪の光るシェイラの左手と固く結ばれている。


 大きな手だと、シェイラは思った。暖かくて、力強い。

 ふたりで手を繋いでいれば、きっと、どんな未来へだって飛んでいける。


「ええ!」


 明るい瞳でまっすぐに前を見つめ、シェイラは頷いた。


「すごく、楽しみです!」





 どこかで、かちりと時計の針が進み。


 ――新たな幕が、いま開いた。




次回、エピローグです。

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