14-2
「……それで、私がいる場所がわかったんですか?」
話を聞き終わったシェイラは、にわかには信じがたい気持ちでラウルを覗き込む。それに頷いてから、ラウルは疲れたように続けた。
「それだけじゃない。フェイリスの奴、しばらく俺の中にいてな。ケイネスの動きや、連中の屋敷内の配置、シェイラの置かれている状況。それらを逐一俺に教えてくれたんだ。おかげで忍び込んで身を隠すのも容易かったよ。もう二度と、同じ手は使いたくないがな」
ぶるりと逞しい身体を震わせて、ラウルが肩にかけるブランケットに包まり直す。大方、ゴーストと繋がっていたときのことを思い出したのだろう。
そのげんなりとした横顔を眺め、シェイラの胸はほっこりと暖かくなる。
大のゴースト嫌いなラウルのことだ。ここに到着してすぐに、屋敷中に満ちるゴーストの異様な気配に気づいて、回れ右をして帰りたくなったに違いない。
それでもラウルは迷わずシェイラを助けに来てくれた。……いや。本当はものすごく尻込みして、散々に迷ったかもしれない。だとしても。
なんというか。
(愛されてる、かな)
自分でその言葉を思い浮かべたくせに、シェイラは背中がちょっぴりむず痒くなる。
背中を丸めて座る彼の隣でちょこんと姿勢を正し、シェイラはクライスラーの屋敷へと視線を向けた。
ふたりはいま、屋敷の外の木陰にあるベンチに並んで座っている。
クライスラー一味は憲兵隊の詰所へと連行され、代わって屋敷内を検分するのはユアンが率いる第二部隊だ。犯人側にラウルの潜入が気取られないように、遅れて到着する手はずで整えていたらしい。
ちなみに部下たちに犯人を引き渡してすぐ、ラウルはギブアップをしてシェイラを連れて屋敷の外に出た。それからふたりは、テキパキと出入りしている隊員たちをなんとなしに眺めてぼんやりと休んでいる。
――ケイネス・クライスラーが憲兵隊の車に乗せられたときも、シェイラは同じ場所に座ってそれを見ていた。
まだ幼い我が子と最愛の妻を、ある日突然喪った痛みは計り知れない。だからこそ、ケイネスの車椅子が視界に映ったとき、シェイラはわずかに緊張をした。
しかし、妻と子のゴーストを取り戻すという夢が潰えたにもかかわらず、ケイネスは意外にも落ち着いていた。憑き物が落ちたような表情を浮かべていたと言ってもいい。もしかしたら仮面が割れたとき、彼も呪縛から解き放たれたのかもしれない。
答えはわからない。だけど叶うならば、そんな奇跡のひとつやふたつ、起きてもいいじゃないかとシェイラは願う。
「ケイネスさんはこれから、どうなるんでしょうか。厳しく、裁かれてしまうのでしょうか」
思わずラウルにそう問うて、シェイラはすぐに後悔をした。
ケイネス・クライスラーは闇市場の件と今回の誘拐の件、ふたつの事件にかかわる犯罪者だ。事情がどうであれ、憲兵隊がとらえるべき相手だ。
しかもシェイラはケイネスに囚われ、救い出してもらった立場だ。それなのにケイネスの肩を持つような発言をするなど、憲兵隊に――ラウルに失礼というものだ。
けれどもラウルは、軽く「さあな」と肩を竦めただけだった。
「俺たち憲兵隊は、罪を犯した人間を捕まえるだけだ。その先を決めるのは、俺たちじゃない。だが奴を裁くのも、同じ人間だ。最愛の者を亡くした痛みを、わからん相手じゃないだろうよ」
そう言ってラウルは屋敷を見上げた。風が髪を揺らし、赤い瞳が見え隠れする横顔に、シェイラはつい見惚れてしまう。
「ゴーストでかまわないから、もう一度会いたい、か。お前に先立たれてしまえば、俺も同じことを願ってしまうかもしれないな」
「ラウルさん……きゃっ!?」
「だからこそ、お前には長く隣で生きてほしいと、切に願うよ」
ばさりと毛布を広げ、ラウルがシェイラを包み込む。同じ毛布の下で身を寄せ合うのはやはり狭くて、いつもより近くに彼の体温を感じる。なにより首筋より漂う彼の香りに、シェイラはくらくらと眩暈がする。
このまま彼に溺れてしまいたい。そんな欲望が鎌首をもたげるが、いかんせんここは外。それも、ふたりが居るのは彼の部下たちから丸見えの場所だ。
厚い胸板を押そうとシェイラが身じろぎしたそのとき、ラウルがぽつりとつぶやいた。
「恐かったか?」
彼の表情は見えない。けれども声に微かに滲む怯えの色に、シェイラは抵抗するのをやめた。
ああ、そうかと。シェイラはひとり納得をした。彼の問いの奥には、様々な想いが秘められているのだ。
巻き込んでしまってごめん。もっと早く助けに来られなくてごめん。恐い思いをさせてごめん。――本当に、ごめん。
オズボーン家という王国きっての名家に生まれ、憲兵隊内でも強い影響力を誇るラウル。その伴侶となる者にもそれ相応の覚悟が求められるということを、今回のことでシェイラは初めて実感した。きっとそれは、ラウルも同じのはずだ。
頭でわかっているというのと、実際に体験するのとではまた違う。自分のせいで、シェイラを事件に巻き込んでしまうかもしれない。その恐れが現実となって突きつけられたことで、少なからずラウルもショックを受け、戸惑っているのだろう。
おそらく彼はいま自分を責めている。そういう人だと、シェイラにはよく知っている。
どうしようもなく胸が締め付けられる心地がした。だから――。
だからシェイラは、強く強く、自分から彼にしがみついた。
「驚きましたよ。誘拐なんて初めてされましたし」
しがみつく強さとは反対に、あっけらかんとシェイラは答える。そうやってシェイラは「大丈夫ですよ」と何度も胸のなかで繰り返しながら、ラウルをまっすぐに見上げた。
「けど、恐くはありませんでした。ラウルさんが助けてくれるって信じていたから。――だから、この先のことも恐くないです。ラウルさんは絶対に、私を見捨てないでしょ?」
照れくさくて、シェイラは頬を染めてはにかんだ。見つめる瞳はどこまでも澄んで、きらきらと輝いていた。
その視線の先で、ラウルは息を呑んだ。彼は甘く目を細め――シェイラの顎に手を添え、くいと上向かせた。
「当たり前だろ。俺は、お前を――――、むぐ」
「ラウルさん、ダメです」
今にも触れそうな唇を辛くも塞ぎ、シェイラは真っ赤になって睨む。顔の下半分を覆われてぐいぐいと押されながら、ラウルは不満そうに眉根を寄せた。
「なんでダメなんだ」
「当たり前でしょ! ここ外ですし! 見られちゃうし!」
「別に構わん。どうせユアンに小言を言われるくらいだ」
「私は構うんです!」
キスをしたいラウルと絶対に防ぎたいシェイラの、無益で阿呆な争いがここに勃発する。とはいえ、その攻防は長くは続かなかった。
「へえ。部下には仕事させといて、ずいぶん楽しそうじゃない。真昼間から、可愛い恋人といちゃついちゃって」
「ビアンカさん!」
「姉上」
むっと目を細め、ラウルがシェイラから離れる。といっても、しっかと腕のなかにシェイラを捕えたままだ。
ラウルの姉だと判明した黒髪の美女、ビアンカ・レイズ。ふたりを見下ろして艶美にほほ笑む彼女に、ラウルは口をへの字にした。
「まだいたのか。とっくに車に乗って、詰所のほうに行ったかと思ったが」
「ひっどーい。私だって連中に捕まっていたのよ。被害者なのよ」
「なにが被害者だ。自発的に捕まったくせに」
「え、そうなんですか??」
「当然だ。じゃなかったら、姉上があの程度の連中に捕まるもんか」
言われてみればその通りだ。強面の男をひとりで沈めたさまから想像して、彼女にとって今回の犯人たちはこれといって敵になるような相手ではなかったはずだ。
けれども、どうしてわざと捕まるなんてことを。そう思ってビアンカを見れば、彼女はちろりと赤い舌をのぞかせた。
「ごめんね、シェイラちゃん。実をいうと私ね、シェイラちゃんが連中に絡まれるよりずっと前から、あなたのことをつけていたのよ」
「え!? つけていた!?」
「ほら、この間シェイラちゃんがうちに来てくれたとき、私だけ会えなかったでしょ? だからね、顔だけでも見られたらいいなと思って家を訪ねてみたのよ」
ビアンカによると、今日は非番で、たまたまクラーク家の屋敷の近くに用があったそうだ。それで急遽思いつき、帰りに足を延ばして来てみたのだという。
そしたら。
「なーんか、こわーい顔をした大男が、物陰からじっとシェイラちゃんの家を見張っているわけ。これはおかしいなと思っていたら、ちょうどシェイラちゃんとお兄さんが出てきちゃうでしょ。大男もあとを付いていくし、これはまずいって、私も後を追いかけたわけ」
つまりシェイラたちが家を出てからすぐ、誘拐犯とビアンカが、ずっと後ろを付いてきていたことになる。これっぽっちも気づかなかった。
「じゃあ、兄が襲われたときも……?」
少しだけ恨めしい気持ちになって、シェイラはじっとりとビアンカを見る。彼女ほどの実力者であれば、大男ひとりすぐに倒せたはずだ。すぐに助けに入ってくれれば、キースが痛い思いをすることも、シェイラが攫われることもなかったのに。
そんな無言の抗議が伝わったのだろう。ビアンカがぱちりと両手を合わせた。
「だから、ごめんって! ほら。シェイラちゃんたち、あのカフェで結構のんびりしていたでしょ。大男に見つからないように私も店の奥にこっそり陣取ってコーヒーを飲んでいたのよ。でね、あの店ちょっと寒かったじゃない?」
そこでビアンカは、すまなそうに眉を八の字に下げた。
「……お花、摘みに行きたくなっちゃってね?」
「ああ……」
それは仕方ない、とシェイラは深く納得をした。その間も、ビアンカは黒い髪を揺らしてふりふりと首を振る。
「席に戻ったら、シェイラちゃんもお兄さんもいないんだもの。慌てて店を出て追いかけたら、お兄さんがノックアウトされて倒れているし。もう、私の馬鹿、バカ!」
キースの上に残されていた手紙で状況を理解したビアンカは、連れ去られたシェイラを追った。普段の経験から、犯人たちが小径を抜けて、どこかで車に乗ろうとするだとうと彼女は踏んだのだ。
結果、車に乗せられる直前のところで、辛くも追いついたのだという。
「ま、あそこで助けてもよかったんだけど、あの場所は狭すぎてシェイラちゃんを巻き込んじゃうかもしれなかったし。それに、ここまできたらわざと捕まって、黒幕の顔も拝んでやろうと思って。それで作戦を変更して、一緒に捕まってみたってわけ。シェイラちゃんを近くで守れるし一石二鳥でしょ?」
「は、はあ」
ぱちりとウィンクをするビアンカに、シェイラは頷くことしかできなかった。なんにせよ、彼女がいたおかげで大男から逃げ出すことが出来たのだ。
そこでシェイラは、もうひとつ気になることを思い出した。
「ラウルさんは、ビアンカさんも一緒に捕まっていることを知っていたんですか?」
「ああ。フェイリスを通して見ていたからな。姉上が屋敷にいることや……勝手に拘束を解いて、屋敷のなかを自由に動き回っていることなんかを」
「びっくりしたのよ。ある部屋を調べていたら、外からラウルが窓をノックしてくるんだもの。いそいで鍵を開けて入れてあげたけど、あれはなかなか心臓に悪かったわ」
「焦ったのはこっちだ。あんた、一瞬叫ぼうとしただろ」
「ちゃんと飲み込んだでしょ!? そっちを褒めてほしいわね」
ぷんすかとやり取りをする姿は、本当にふたりが姉弟なのだと教えてくれる。ふたりが並んだときに感じる「しっくり感」も、姉弟としての気安さや共に憲兵隊所属という共通点が成せる技なのだろう。
そのようにシェイラが観察していると、ふとビアンカがこちらを見てラウルそっくりににっと笑ってみせた。
「ま、そんなわけで大分行き当たりばったりな初対面になっちゃったけど、色々とシェイラちゃんのことを知れてよかったわ。普通に出会っただけじゃ知れなかったような一面も、見せてもらえたし」
「ん? ふたりで何を話したんだ?」
「だめよ。私たちだけのひ・み・つ。けど、そうね。少しだけ教えてあげるなら……ラウル。あんた、とてもいい子を捕まえたわね。手、放すんじゃないわよ」
そういってビアンカはウィンクをした。だが直後、彼女は悪魔の笑みを浮かべる。
「意外な一面といえば、あんた、シェイラちゃんに浮気を疑われていたみたいよ。そんな風に女の子を不安にさせちゃうなんて、案外あんたもだめだめねー?」
「は??」
「わ、ちょ、ビアンカさん!?」
慌てて止めに入ったが、時すでに遅し。剣呑な視線が、隣からビシバシと飛んでくる。
「シェイラ。この俺が浮気とは、どういうことだ?」
「じゃあねー、シェイラちゃん。がんばってー」
「ま、待って!」
ひらひらと手を振って去っていく背中に追いすがろうとするが、包み込む腕がそれを許してくれない。むしろ逃げようとしたところを巧みに腕を引かれ、ラウルにぐいと正面から顔を覗き込まれてしまう。
恐る恐るシェイラが見上げれば、怒りに頬をぴくぴくとさせつつ、ラウルが満面の笑みでシェイラを見下ろしていた。
「なるほどな。ここ最近、どうにも俺は避けられていたようだが、原因はコレだったのか」
「!?」
思わず目をまん丸にしてシェイラはラウルを見た。執事のブラナーは「具合が悪くて会えない」と彼に説明してくれていたはずだ。いつの間にばれていたのだろう。
そんな風に動揺するシェイラに、ラウルはさらにずいと身を乗り出した。
「俺はこれまで、お前に十分に愛を囁いてきたつもりだった。が、まったくもって伝わっていなかったようだな。まさかそんな疑いを掛けられるとは」
「ま、待って、ラウルさん、そういうわけじゃ」
「今すぐ連れて帰って、俺の愛を存分にわからせてやろうか?」
獲物を追い詰める獣の目をして、ラウルが色気たっぷりに囁く。逃げ場をなくした哀れなシェイラは、腕のなかで「ひっ」と震えた。
なんというか、ラウルの目が本気だ。よほど彼を怒らせてしまったらしい。
「ち、違うんです! ラウルさんが信じられないとか、私のことをす、好きでいてくれているのを疑ったとか、そういうことじゃなくて」
どうしよう、どうしよう。視線を彷徨わせながら、シェイラは必死に次の言葉を探す。だから彼女は、その言葉が持つ威力を考えずに、頭に浮かんだままに口走った。
「私が勝手に、ヤキモチを焼いちゃったんです!」
じっとシェイラを睨んでいたラウルが、虚を突かれたように瞬きをする。それすら気づかず、シェイラは口早に続けた。
「街で偶然、ラウルさんとビアンカさんが一緒にいるところを見かけて、まさかお姉さんとは思わなくて……。私、すごく嫌だって思っちゃったんです! ほかの女、それもあんな綺麗なひとと仲良さそうに歩いているラウルさん、見たくないって。わかってましたよ、ラウルさんは浮気なんかしないって! でも思い出すと頭にくるし、悲しいし、顔をみたら何言っちゃうかわかんないし、だから私、」
「わかった、わかった」
ぽふんとラウルの胸に抱きこまれ、シェイラはきょとんと口を閉じた。頭の上から振ってきた声に、先ほどまでの怒りはもう滲んでいない。というより、その声はどことなく降参したような――それでいて嬉しそうだ。
急にどうしたのだろうか。そう思って身じろぎをしたシェイラを、軽く抑えるようにしてラウルがシェイラの頭に顎を乗せる。
そのまま彼は、ぼそりと何やら呟いた。
「だめだ。顔がにやける」
「え?」
「こっちの話。――ごめんな、不安にさせて」
シェイラの問いには答えず、ラウルがぽんぽんと頭を撫でる。内心首を傾げながらシェイラが頷くと、彼は「次の週末、」と続けた。
「空いているか?」
「空いていますけど、何ですか?」
「そのまま空けておけよ」
迎えにいくから、と。
それだけを告げたラウルは己の腕でシェイラを隠したまま、こっそりとキスをひとつ、額に落としていったのであった。