14-1
さて、なぜケイネス・クライスラーの屋敷にラウルが現れたのか。
それを説明するためには、シェイラの兄、キース・クラークがラウルのもとへと駆け込んだところにまで話を戻さなくてはならない。
シェイラが大男に連れられて現場を立ち去ったあと、キースは襲撃を受けた人通りの少ない小径でひとり目を覚ました。
彼は痛む身体を起こすとともに、胸のうえに投げ捨てられていた、誘拐犯たちからのメッセージに気が付いた。
〝シェイラ・クラークは預かった。憲兵隊を動かさずに大人しく待っていてくれたなら、彼女の安全は責任をもって保障しよう。またこちらから連絡する。親愛なるラウル・オズボーンへ、オーナーより敬意を込めて“
目を通したキースは仰天した。そして、なにはともあれ手紙に名を記されていたラウル・オズボーンのもとに、手紙を握りしめて飛び込んだのである。
「一体全体、なにがどうしてこうなったんだ!」
憲兵隊詰所、第二部隊の隊長室に通されたキースは、忙しなく室内を歩き回りながら頭を抱える。その横では、難しい顔で手紙を睨むラウルと、キースのただならぬ様子に同席を申し出たユアンのふたりがいた。
「オズボーン様。手紙には、あなたの名前が書いてあった。オーナーっていうのは誰なんです? どうしてそいつに、シェイラがさらわれたっていうんですか!?」
余裕をなくした様子で、キースがラウルに詰め寄る。だが、手紙に目を通してからというもの、ラウルは険しい顔で黙り込んだままだ。
ラウルをチラリと見てから、ユアンは気遣わしげに口を開いた。
「オーナーというのは、我々憲兵隊が追っている男の通称です」
「追っている……? そいつに、何かの容疑がかかっているんですか?」
「はい。シェイラさんの協力のおかげで明らかになった闇市場。その中でも、最大規模のオークションを主催していた男が、オーナーと呼ばれているんです」
キースは絶句し、絶望に顔を青ざめさせた。
「待ってください。じゃあシェイラは、闇市場を暴くのに一役買ったことを逆恨みされて、そのオーナーって奴に攫われたんじゃないですか!?」
「それはまだわかりません。というより、その可能性は低いでしょう」
「どうして! シェイラが憲兵隊に協力したことは、新聞にだって載ってるんですよ!?」
「手紙をご覧になったでしょう。先方は手紙の中でラウルを指名している。おそらくシェイラさんをエサに、我々に何か要求をしたいのでしょう。しかもオーナーは、出来るだけ事を荒立てたくはない。キースさんが軽傷で済んでいるのが何よりの証拠です。憲兵隊が動かない限り、シェイラさんの身の安全は保障される。そこは、信じてもいいでしょう」
「だけど……、そんな、だって……」
うろうろと目を彷徨わせ、キースがよろめく。仕方のないことだと、ユアンは内心で頷く。自分やラウルのように数々の死線を潜り抜けてきたならいざ知らず、いち一般市民にすぎないキースが、このような事態に巻き込まれて落ち着いていられるわけもない。
――とはいえ、この男も本当の意味で、落ち着いていると言えるのだろうか。友を盗み見て、ユアンはそのように眉根を寄せる。
第二部隊に所属する者は皆、それぞれにウィークポイントを抱えている。いまのラウルにとってそれは、間違いなくシェイラ・クラークという存在だ。
そうした存在は、得てして標的に選ばれやすい。とりわけ憲兵隊の捜査が佳境に入ったときには。
ここしばらく、第二部隊はオーナーの足取りを追い、その包囲網を狭めていた。当然そうした動きはオーナーにも伝わり、危機が近づいていることを勘付かせていただろう。
だからこそ、ラウルが連日シェイラのもとへ、それもクラーク家まで足を運んでいたことをユアンは知っている。
ラウルほどの存在となれば、彼が頻繁に足を運んでいるという事実はむしろ、良からぬことを企む者たちへの牽制となる。彼女や、彼女が大切に思う者に手を出すことは許さない。そういう明確なメッセージとなる。
事実これまでは上手くいっていた。ラウルがシェイラと親交を深めるようになってから、第二部隊が大きな山を越えたのは一度や二度ではない。その間、今回のような形でシェイラ・クラークが事件に巻き込まれることはなかった。
だが、事件は起きてしまった。
表面的には平静を装ってみえる友の横顔を、ユアンは黙って見つめる。いまラウルは、その仮面の下で何を考えているのだろう。
そのときだった。
「……僕は反対だったんだ。憲兵隊に協力することも、新聞の仕事を受けることも。オズボーン様、あなたと結婚することも」
地の底から響くような声音で、キースが呻く。つられてユアンが顔を向けると、キースは涙をためた瞳でまっすぐにラウルを睨んでいた。
「だってそうじゃないか。僕らクラークは、ちょっと血筋に『勘持ち』が多かっただけの、しがない商家だ。オズボーン様みたいに町の平和なんか守ったこともないし、手堅く商売を続けているのが性に合っている」
なのに、とキースは声を詰まらせた。
「オズボーン様に会ってから、おかしくなったんだ。シェイラは次々に厄介ごとに巻き込まれるし、これまでにないくらい注目を浴びるし。……そりゃ、あいつのしたことがたくさんのひとに認められるのは、兄として誇らしかったさ。だけど、その結果がコレだ。やっぱり、あの子を変に目立たせるべきじゃなかったんだ」
「……義兄上、それは」
「僕を義兄と呼ぶな!」
ドンと鈍い音と共に、キースがラウルの胸倉を掴んだ。紅い双眼が静かに見下ろすなか、キースは表情をゆがめてさらにまくしたてた。
「それでも、シェイラが幸せならと思ったんだ! あんたなら――街の英雄、ラウル・オズボーンなら、あいつを守ってくれると信じていたから! なのに、なんで……なんでこうなるんだよ! シェイラが好きならちゃんと守れよ!」
「キースさん、もうその辺で……」
「どうしてそんなに落ち着いていられるんだよ! なんとか言えよ、なあ!?」
胸倉を掴むキースの手に力がこもるが、ラウルの鍛えた体はぴくりとも動かない。それどころか、観察するような双眼も、険しいだけの表情も、少しも変わらないままだ。
くっとキースが奥歯を噛みしめる。ユアンがあっと思ったときには遅かった。キースは拳をかため、落ち着き払ったラウルの顔面目掛けて手を振り上げた。
だが。
ぱしりと音がして、キースの拳がラウルの大きな手に受け止められる。キースが目を見開き、何かを叫ぼうとする。けれども、それを遮ったのは鬼隊長と恐れられる男だった。
「殴りたければ殴ればいい!」
追撃をしようとしていたキースも、止めに入ろうと手を伸ばしたユアンも、思わず動きを止めた。それほどに、ラウルの叫びの中には強い意志が燃えていた。
「あなたが言う通りだ。シェイラが攫われたのは、俺に関わったせいだ。どれほど謝罪の言葉を並べても足りないし、こうなることを防げなかった自分に心底吐き気がする。だが、膝をつくときは今じゃない。――俺はまだ、あいつを取り戻していない」
「取り、戻す?」
「ああ、そうだ!!」
真っ赤な瞳に決意の火をともし、ラウルが吼えた。
「どんな手を使ってでもシェイラを無事に救い出す! それまでは、絶望して嘆いている暇はないんだよ!!」
ああ、なるほど。安心すると同時に、ユアンは自然と笑みを浮かべていた。
ラウルが落ち着いて見えたのはこのためだったのだ。鬼神隊の絶対的リーダーは、取り乱す暇などないほど真剣に、大切な宝を取り戻す算段を練っていたのだ。
「そう……か。いや、でも。取り戻すなんて、いったいどうやって」
少し頭が冷えたらしいキースが、気まずげにラウルの襟元から手を離す。それでも、ラウルの啖呵には半信半疑のようだ。
ソファに座るようキースを促しながら、ユアンは優しく切り出した。
「大丈夫ですよ。ラウルとて闇雲に、暑苦しく吠えているわけじゃありません」
「言い方」
顔をしかめつつ、ラウルが襟元を正す。
「まあ、いい。現状わかっているのは3つだ。ひとつめは、ユアンの言う通りだ。オーナーに、積極的に事を荒立てる意志はない。ふたつめは、俺との交渉にはオーナーが直接臨む可能性が高い。おそらく奴は、ある程度俺たちがオーナーの正体を絞りつつあることに気づいている。だったらこそこそ隠れて部下に任せるより、俺と直接交渉をしたほうが確実だからな」
そして、とラウルは三本目の指を立てた。
「みっつめは、オーナーが潜伏するのはそう遠くない場所、おそらくは街の中だ。憲兵隊の動向を見張り、かつ俺と接触する意思があるなら、遠くに隠れるのは得策じゃない。もし、そうだとしたら」
「オーナーと疑わしき人物が身を隠しそうな場所。その目星は、いくつか絞り込めます」
ラウルのあとを引き継いで、なおも不安そうなキースにユアンは頷いてみせる。
「もちろん、もう少し特定のための材料が欲しい。オーナーの手の者がどこで見張っているかわからない以上、慎重に動くべきでしょう」
「で、でも! 手紙には、連絡をするまで動くなって!」
「奴が書いたのは『憲兵隊を動かすな』だ。『俺』に動くなとは言っていない」
「もちろん、私も『個人的に』お手伝いします」
「そんな無茶苦茶な……」
呆れたようにキースが呟く。そこには先ほどまでの焦燥はない。ただただ、目の前で繰り広げられるやり取りに唖然としているだけだ。
キースの戸惑いもなんのその、鬼神隊の鬼隊長は拳を作った手を打ち合わせて、まさに鬼神の如く不敵に笑った。
「シェイラに手を出したことを後悔させてやる。もう二度と、同じ手を使おうとする馬鹿が出てこないように、完膚なきまでにぶちのめしてな」
「気合を入れるのは結構ですが、冷静に、ですよ。ラウル、冷静に。あと、あなたが完膚なきまでにぶちのめすのはおススメしません、相手の命の危機的な意味で」
猛獣を宥めるように、ユアンがどうどうと手を振る。
「さて、時間もないことですし、候補を絞るとしましょう。容疑者のうち、今回の手段を取りそうな者というと、やはりKでしょうか」
「そうだな。だが、裏付けが欲しいな。義兄上。気を失う前のことを、もう少し詳しく教えてくれませんか」
「え!? いや、でもな。事の次第は、さっき話した通りだし」
「どんな細かいことでもいいんです。さあ、もう一度!」
「ええ……?」
ふたりの憲兵隊に詰め寄られ、キースは困ったように眉尻を下げた。
けれども、襲われたときのことを思い出そうとキースが視線を宙に彷徨わせたそのとき、その場の空気が一変した。
びくんとラウルの背筋が伸び、ぎょっとしたように窓のほうを見る。何事かとつられて窓を見るユアンとキースに反して、ラウルはすぐに顔をさっと背けると、恐ろしい気迫を放ちながらじりじりと後退を始めた。
「あの、オズボーン様……?」
突然、仇敵でも前にしたような緊張感と共に後退を始めたラウルに、キースはびくびくと恐れながらもとりあえず窓から遠ざかる。だが、どんなに目を凝らしても、魅惑の鬼隊長がここまで警戒をするような『敵』の姿は見つけられない。
そうこうしているうちに、ラウルはまるでユアンで窓を隠そうとするように、ユアンのそばに立つ。頑なに窓を視界から外そうとする横顔。そして無駄に迫力満点な、全身からほとばしる圧迫感。
それで、ユアンはぴんときた。
「そこの窓、何かいるんですか?」
「何か? 何かって、何ですか? オーナーの仲間とか?」
「そういうんじゃない」
目をぎゅっと閉じたまま、喘ぐようにラウルがなんとか答える。
先ほどまでの啖呵もなんのその、いつの間にかすっかり顔色を悪くしたラウルは、深呼吸に失敗したかのように胸を上下させながら続けた。
「いるんだ。そこに。窓のところに。その、シェイラが得意な、アレが」
「ゴースト!? ていうか、その反応、ええ!?」
目を剥いて、キースがラウルを見る。ちなみに、ラウルが『勘』持ちであることも、実は彼が大のゴースト嫌いであることも、シェイラはきちんと兄に秘密にしていたのである。
「もしかして、オズボーン様、めちゃくちゃゴースト嫌いなんですか!? というか、ものすごく怖がってる!?」
「ええ、そうなんです。どうかこのことはご内密に……。さ、ラウル。気絶して倒れる前にそこに座って。さあ」
「あ、ああ……。いや、待ってくれ。この感じ、何かに似ている」
「似ているも何も、あなたの大嫌いなゴーストがそこにいて、今にも倒れそうっていう、いつもの奴ですよ」
「いや、違う。そうだけど、そうじゃなくて」
表情をますます険しくさせながら、ラウルは何かを必死で思い出そうとしている様子。
ひとしきり呻いたところで、ふと彼は呟いた。
「……フェイリス?」
「え??」
「何ですって??」
「そうか。フェイリスの気配か、これは!」
首をかしげる二人を置き去りに、ラウルは興奮気味に叫ぶ。
――ユアンとキースには確かめようがないことだが、果たして、窓の中からつぶらな瞳でラウルを見つめるのは、彼の母・ミシェル夫人が王宮時代に可愛がっていた愛犬フェイリスのゴーストであった。
とはいえ、なぜフェイリスのゴーストがここにいるんだ。ゴーストへの生理的な悪寒で散漫になってしまいそうな思考をなんとかかき集めて、ラウルは必死に考えた。
フェイリスは母の指輪に宿る、ごくごく弱い力しかもたないゴーストのはずだ。それが、わざわざ自分の前に現れたということは、何か意味があるに違いない。
と、そこでラウルは、思い出した。
弱い力ではあるが、オズボーン家の者を見守る守護霊のような存在。あの日、シェイラはフェイリスのことをそのように説明していた。
ならば、このタイミングでフェイリスが自分の前に現れた意味は。
深呼吸をひとつしてから、ラウルは決死の覚悟で窓に顔を向けなおした。
「決めた。俺はあのゴーストに触れる」
「……はい!?」
「え!? いやいやいやいや、やめたほうがいいですって」
ユアンだけではなく、キースまでもが目を剥く。それでも、ラウルは主張した。
「あのゴーストはたぶん、シェイラのことで何かを俺に伝えにきたんだ。前回、シェイラと一緒にあのゴーストに触れたとき、俺にもあのゴーストのことが色々と見えた。今回もアレに触ったら、あいつが伝えようとしていることが見えるかもしれない」
「ですが……」
「な、なあ?」
半信半疑の様子で、ユアンとキースは顔を見合わせる。ユアンにいたっては「そんなことしたら速攻でぶっ倒れるに決まっています」とはっきりと顔に書いてある始末だ。
その隙に、ラウルはせっかく離れた窓の前に立つ。――窓を直視することはできない。正体がふわふわで上品な犬だとわかっていても、すぐそばにゴーストがいるというだけで全身の肌がぞわぞわと粟立ちそうになる。
「うぐっ」と呻くラウルの顔をのぞきこんで、ユアンは顔をしかめた。
「正気なんですか?」
「ああ」
暗に「やめとけ」と言うユアンを無視して、ラウルはきっぱりと頷いた。
「どんなことをしても、シェイラを取り戻すと言った」
「……っ! ああ、もう! わかった! わかりましたよ!」
先に折れたのはキースだった。頭をがしがしと掻いてからキースはヤケになったようにズンズンとラウルの近くまで来ると、がしりと肩に手を置いた。
「あんたがシェイラを想う気持ちは本物だ! 頼みましたよ、オズボーン様!」
「……仕方がありませんね。気絶をしたら、私が受け止めてあげます。その代わり、すぐにたたき起こして差し上げますから、その辺は恨みっこなしでお願いしますよ」
「頼む」
奥歯を噛み締めたまま、ラウルは答える。
今からゴーストに触れる。そう考えただけで気が遠くなりそうだ。けれども、シェイラを無事に救い出すためには背に腹は変えられない。
まぶたの裏に無邪気なシェイラの笑顔を思い浮かべ、深く息を吐き出す。
それからカッと目を見開き、彼は勢いよく右手を突き出したのだった――。