13-3
陶器のように白い骸骨の体に、その細い体を覆い隠す漆黒のローブ。角ばった指を絡めて掴むのは鈍く光る大鎌で、振るわれたそれは死の淵にある人の魂を無情に刈り取る。
古からそのように言い伝えられ、恐れられてきた死神という存在。
シェイラとて、幼い日に読み聞かされた絵物語や伝承のなかで、彼らのことを聞き、頭に思い描いたことはある。だが、実際にこうして目の前にするのは初めてだ。
どうしてこんなものが、仮面のなかに。唖然とするシェイラに、ケイネスは独り言のように続けた。
「もっとだ。もっとたくさんのコレクションが、私には必要だ。そのために闇市場を守らなければ。闇オークションを続けなければ」
己に言い聞かせるように呟くケイネスは、まるで何かに取り憑かれたようだ。
そんな彼の肩に、死神が長い指を添える。仄暗い目の窪みのなかに青白い光をたたえて、死神がくわりと白い顎を開く。まるで獲物に喰らいつこうと涎を垂らす、獰猛な獣のようだ。
シェイラは背筋を寒いものが走るのを感じた。
『マリスのデスマスク』。先ほど聞いた逸話が、耳に蘇る。
死者の顔から作られた仮面はゴーストを魅了し、呼び寄せる。だが、問題はそこじゃない。
仮面の持ち主だった男の妻は衰弱して死に、男もまた自ら命を絶った。仮面が呼び寄せたゴースト達の列に、仲間入りをするように。
それこそが、この仮面の本質ではないだろうか。仮面は死者たちを引き寄せると共に、新たな人間をも死者に加える。そうして魂を刈り取るうちに、仮面は『死神』という形を得た。
目の前で起きていることが、何よりも証拠だ。つい先ほどまでは無害なゴーストたちの気で満ちていた屋敷のなかは、死神の出現と共に禍々しく重苦しい気配で満ち満ちている。すべてのゴーストが、王として君臨する死神のもとに集い、捕らわれている。
仮面に魅入られた人間は魂を喰われる。白き仮面の真の所有者となった、飢えた死神によって。
「その仮面を捨てて!」
シェイラは叫んだ。
「あなたは操られているんです。その仮面に憑く、死神に!」
「死神? 突然何を言い出すかと思えば……」
「本当なのよ。死神はあなたの心につけこんで、多くの彷徨えるゴーストたちをこの屋敷に集めさせた。そして今、ついにあなたの魂も奪おうとしているわ!」
シェイラの剣幕に、部下の男たちがたじろいで一歩下がり、ケイネスが辺りに首を巡らす。どうやらシェイラが本気であることは伝わったようだ。
だが、次にシェイラを見たとき、ケイネスの瞳は固い決意を光らせていた。その肩には、死神の鋭い爪が音もなく食い込んでいた。
「そうだとしても、あの子たちに会いたいというこの願いは、まぎれもなく私のものだ」
「だけど、このままじゃ……!」
「死神に魂を喰われるといったね。それでゴーストとなり、この屋敷に囚われるというのなら、それもまた本望だ。あの子たちが帰ってきたなら、永遠に、共にいられるのだから」
ケイネスの言葉に、シェイラは息をのみ、目をそらした。
どう彼に伝えればいい。どうすれば、彼を傷つけずに伝えられる。
けれども、そんなシェイラの気遣いを一蹴するかの如く、黒髪の女がばっさりと告げた。
「はっきり言ってあげたら、シェイラちゃん。どれだけ屋敷にゴーストを呼び込もうが、あなたが妻と娘と会えることはないって」
「出鱈目を言うな!」
強く抗議しながらも、ケイネスの目に若干の怯えが走る。
縋るような瞳に射抜かれ、シェイラは意を決して口を開いた。
「事故からもう、八年も経つんです。もし本当に二人がゴーストとしてこの世に留まっているなら、とっくにこの屋敷に現れているはずだわ」
この屋敷に縁もゆかりもない人々のゴーストが、こんなにもたくさん、この屋敷にひきつけられたのだ。だというのに、誰よりも深くこの場所に繋がっているはずのケイネスの妻と娘が、いまだに現れないのはおかしい。
そう。ふたりがまだ、ゴーストとしてこちら側の世界にいるのなら。
「君は……、君はまさか、あの子たちが私を置いてあの世に去ったなどと、そんなことを言うつもりなのか!」
シェイラの言う意味を察したらしいケイネスが、顔面を蒼白にして叫ぶ。
だが、一度口を開いたからには、引き下がるわけにはいかない。シェイラは必死に、ケイネスに訴えた。
「それは決して、嘆くようなことじゃない。――私も、ゴーストたちのことを全部わかっているわけじゃないわ。だけど、この世にゴーストとして留まることなく逝けることができたなら、それはそれで、幸せと言えるんじゃないかしら」
深い後悔や、強い憎しみ。胸を締め付ける心残りや、離れがたいほどの願い。事情がなんであれ、ゴーストたちがこの世に残るのには、何かしらの理由がある。
その想いの強さによって、すぐに満足してあちら側に旅立つ者もいれば、いつまでもこの世に残り続ける者もいる。残る者のなかには、抱えた想いの大きさに歪められ、生前の姿とは異質な、おぞましい存在へと変貌してしまう者もいる。
ゴーストとして長くこの世に残る。それは、理由が未練であれ願いであれ、満たされない想いを抱え続けるということなのだ。
「奥さんと娘さんがすぐに旅立ったのか、少しはこっちに残ったのか、今となってはわからない。だけど、いまいないということは、自分たちの死を受け入れて納得して逝くことができたということなんだと、私は思うんです」
〝あちら側の世界〟のことは、それこそシェイラは専門外だ。だけども、これまでも数多の人々が言い伝えてきたことを信じるならば。
「奥さんと娘さんは、天国でケイネスさんを見守っている。そう、考えてみませんか」
ケイネスは黙り込んでいた。俯いた姿からは、いま彼がどんな表情を浮かべているのかを窺うことはできない。
重苦しい沈黙が、シェイラたちの合間を包み込む。ややあって、ケイネスは細く息を吐きだした。
「そんな風に」
ケイネスがゆっくり顔を上げる。その顔には、疲れたような笑みが浮かんでいた。
「そんな風に納得することができたなら、どんなにか幸せなんだろうな」
「ケイネスさん!」
「彼女たちを閉じ込めておけ。ラウル・オズボーンにコンタクトをする」
ふたりの部下たちにそう指示を出し、ケイネスが後ろに下がろうとする。
そのときだった。
それまで静かになり行きを見守っていた黒髪の女が、自らを捕まえようとした強面の男の手を掻い潜り、ケイネスへと向けて地を蹴る。まるで一匹の黒猫のようなしなやかさでケイネスの懐へと飛び込むと、彼女は素早く白い仮面を取り上げ、勢いよく地に叩きつけた。
身の毛もよだつような叫び声を上げて、死神がシェイラにしか見えない腕で女につかみかかろうとする。だがその手が届くよりも先に、女は容赦なく足を振り下ろし、尖ったヒールで仮面の額を穿った。
ピシリと、ヒールの先が刺さった箇所を起点に、まっすぐにヒビが入る。次の瞬間、白い仮面は真っ二つにきれいに割れてしまった。
途端、依り代を失った死神は、灰のように固まり、霧散した。
「貴様……っ!!」
激昂した様子で、強面の男が女へととびかかる。それを再びひらりとかわし、女は赤い唇をつりあげて艶やかにほほ笑んだ。
「あなた程度が私を捕らえようなど、100年早いわ。この『疾風のビアンカ』を捕まえたければ、憲兵隊第一部隊でも差しむけることね!」
「疾風の、ビアンカ?」
どこかで聞いたことのあるフレーズに、シェイラははたと考え込んだ。つい最近、誰かが同じ言葉を口にした気がする。
と、ふいにシェイラの頭の中に、先日ラウルの家族と食事を共にしたときのことが蘇った。
〝娘が増えて嬉しいわ。しかも、こんな可愛らしい子で〟
頰に手を当て、ほわほわと微笑みながらそう話したのは、ラウルの母・ミシェル夫人だった。
〝うちにも娘がいるのだけど、あの子は娘というより息子みたいな子で。仲間うちでは、『疾風のビアンカ』なんて異名まで持っているみたいなの〟
そうだ。『疾風のビアンカ』。オズボーン家の長女で、5年前に憲兵隊第一部隊の現隊長であるカミーユ・レイズと結婚。自身も第一部隊に所属しカミーユの右腕として活躍していたが、昨年第2子を出産したあとは第一線を退いてバックアップメインで働いている。
つまり、彼女は。
「ラウルさんの、お姉さん!?!?」
「走って、シェイラちゃん!」
仰天するシェイラもなんのその、黒髪の女、もといビアンカ・レイズがシェイラを急かす。
彼女はふたたび襲いかかってきた強面の男の腕を受け流し、続いて足を払い、ほれぼれするような鮮やかさで男を拘束する。そうやって男を縛り上げながら、尚もビアンカはシェイラに叫んだ。
「早く! まっすぐ行って!」
その一言に、シェイラは慌てて走りだした。ちょうど、相方があっさりとやられたショックから立ち直ったらしい大男が、シェイラのほうを見たからである。
だが。
(走ってって言われたって!!)
シェイラの手は縛られたままだ。速く走ろうとすると、バランスを崩してしまいそうになる。
それでも必死に地を蹴り、シェイラは逃げた。廊下の先には階段がある。あれを降りれば、出口へ行けるはずだ。
けれどもダメだ。振り返る余裕はないが、大男がすぐ後ろに迫っているのを感じる。
いっそのこと、どこかの部屋に飛び込んでしまおうか。いや、そこまでの余裕はない。足を止めれば確実に捕まってしまう。だけどこのままじゃ――。
そう、シェイラがとある部屋の前を駆け抜けたときだった。
唐突に激しい音を立てて、廊下の右側の扉が弾かれたように開く。ちょうどその部屋の前を走ろうとしていた大男が勢いよく扉にぶつかり、跳ね飛ばされるようにして後ろに倒れこんだ。
思わず足を止めたシェイラは、唖然として振り返った。その視線の先で、扉を蹴り開けたらしい長い脚がゆっくりと地に戻される。
その人物は、悠然と部屋から歩み出た。
まるで彫刻のようにバランスの取れた肢体に、鍛えた広い背中。身にまとうのは憲兵隊の印である黒の制服で、手に持つ剣がさらなる威圧感を与える。
そうやって現れたラウル・オズボーンは、額を押さえてうずくまる大男を見下ろし、恐ろしい気迫と共に吐き捨てた。
「次はこの剣を抜く。死にたいならかかってこい。この俺が相手をしてやる」
鞘に込められた剣を掲げ、そのようにすごんだラウルであるが。
うずくまる大男はもとより、ビアンカに拘束された男、そして車椅子の上で呆気にとられるケイネスの誰も、『超・鬼神モード』のラウルに挑もうとする者はいないのであった。