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13-2



 ケイネス・クライスラー。


 そのように呼ばれた仮面の男は、静かに黒髪の女を見つめ返した。反して、動いたのは彼の部下たちのほうだった。閉じ込めているはずの女が目の前にいることへの驚いた彼らは、とっさに、彼女を捕えなければという使命に駆られたらしい。


 けれども意外なことに、飛び出そうとした部下たちを仮面の男は止めた。


「やめておけ。女と侮ると痛い目を見る相手だ」


 仮面の男の言葉に、シェイラは驚いた。どうやら彼は、女のことを知っているらしい。


 そうこうしているうちに、男は仮面に手を伸ばし、外した。すると、30代も後半にさしかかったほどの男の顔が現れる。


 ハンサムと言って過言ではない造りをしているが、男の顔色はすこぶる悪い。青白い頬に微笑みを浮かべ、男は黒髪の女に話しかけた。


「失礼、レディ。私の認識では、君はいま、わが屋敷の客間で淑やかにお待ちいただいているはずのものだと思っていたんだけど」


「お生憎様。私を閉じ込めておきたいなら、鉄の鎖と炎の扉を用意しなさい。あれぐらいの枷じゃ、どうぞ外に出てくださいと頭を下げるようなものよ」


 澄ました顔で、女がひらりと手を振る。シェイラが連れ出されたときは確かに固く縛られていたはずのロープが、その腕にはない。


 あれを自分でほどき、鍵を開けて出てきたというのか。そのようにシェイラが驚いていると、車椅子の男はクツクツと笑いを漏らした。


「シェイラ・クラークと共に君を捕えたと聞いたとき、まさかと耳を疑ったよ。けれども、こうして目の前にして納得した。やはり私は、君に泳がされていたんだね」


「ずいぶんと余裕そうね。マスクで隠していた顔をさらすことになったのに」


「はじめから正体を隠し通すつもりもなかったからね。あのラウル・オズボーンを敵に回すんだ。遠からずバレるものだろうと思っていたよ」


「つまり正体を暴かれても、目的を達成することに支障はないと」


「その通り」


 にっこりと頷いた男に、シェイラは混乱して首を振った。


「待ってよ。あなたはあの人が言う通り、ケイネス・クライスラーさんなの?」


「うん。そうだよ。正真正銘、私はケイネス・クライスラーだ」


 あっさりと頷いて、男――ケイネス・クライスラーが答える。


 ケイネス・クライスラー。その名前をシェイラは直接には知らないが、クライスラーという響きなら覚えがある。オズボーン家に次いで勢力を持つ家柄で、多くの文官を政治の場に送り込む一方、ファボックという王都最大の銀行も保有している。


「じゃあ、さっきその人が言っていた、事故で亡くなった奥さんと娘さんって」


「そうだよ。私が君に見つけてもらいたかったのは、8年前に事故で死んだ私の妻と娘だ」


 シェイラの思考を先回りしたように、ケイネスが告げる。途端、背後にある扉の奥の、ドレスを着せられた2体のトルソーの姿が、シェイラの瞼の裏に浮かんだ。


 黙り込んでしまったシェイラだが、「不要よ」と黒髪の女がすげなく言った。


「その男にあなたが同情してやる必要はない。さっき話した通りよ、シェイラちゃん。その男は、あなたを利用しようとしているの」


「利用?」


 困惑を深めて、シェイラはケイネス・クライスラーを見た。


 この誘拐は、シェイラをエサにラウル・オズボーンに交渉を持ち掛けるために行われたのではないだろうか。黒髪の女は、そのように推測していた。


 だが、彼がケイネス・クライスラーであり、彼の妻と娘のゴーストに会うために動いているのだとしたら、いったい何をラウルに要求するというのだろう。


 そんなシェイラの考えを見越したように、黒髪の女が何かを掲げる。そこには、木の実ほどはあろうかという大きな宝石をはめた、豪奢な指輪が摘み上げられていた。


「〝女神の涙〟。そう呼ばれる宝石がはめられたこの指輪は、10数年前に王家の宝物庫から盗まれたものよ」


「……」


 ピンと弾かれた指輪が、弧を描いて宙を飛ぶ。目の前に飛んできたそれを無言でキャッチするケイネスに、黒髪の女はつづけた。


「あなたたちの後ろをつけさせてもらうほかにも、屋敷を調べさせてもらったわ。そして、隠し扉に続く部屋で、これを見つけた。ほかにも国宝級の秘宝がわんさか見つかったわ。一般的には『行方不明』とされている宝物がね」


「どうしてそんなものを、ケイネスさんが……」


 言いかけて、シェイラははっとした。


 盗品や、借金のカタなどで奪われた金品の類。そうした、表の市場では取り扱えない財宝をやり取りする、隠された裏世界のオークション。


「ケイネスさんが、闇市場の関係者?」


 ぽつりとつぶやくと、黒髪の女は満足そうに微笑んだ。


「そう。闇市場にかかわる人間の多くは、憲兵隊がおさえたわ。だけど、今の闇市場の仕組みを固め、闇市場中で最大規模のオークションを主催する人物――通称『オーナー』と呼ばれる人物の行方が、まだわかっていなかったの」


「そこまで見破られてしまえば、もう言い逃れはできないね」


 ふうとため息をついたケイネスは、仕方なさそうに苦笑を浮かべ女を見上げた。


「いかにも。私が『オーナー』だよ。君が見たのは、オークションに出品予定だった品々だ。どれも上玉ばかりだからね。機を見て出すつもりだったんだけど、憲兵隊のがさ入れが入ってしまった。だから、私が預かって逃げたんだよ」


「なら、ラウルさんに要求したいことって……」


「想像した通りさ。闇市場に関する捜査を打ち切り、かつ、今後の闇市場の開催を憲兵隊として黙認すること。この二つをラウル・オズボーンに確約させるために、君を攫った」


 淡々と答えるケイネスに、うそを言っている様子はない。先ほど自分でも言っていたように、真実をシェイラたちに知られたことで何の問題もないと判断したのだろう。


「少し、昔話をしよう」


 そう言ったケイネスは、軋んだ音を立てて車椅子をわずかにシェイラたちに近づけた。


「8年前のあの日、私はすべてを失った。愛しい妻。幼い娘。そして、社会的地位も」


 忌々しげに吐き出すと、ケイネスはぎゅっと手のひらを握りしめた。


「当時、私はファボック銀行の経営に携わっていたが、事故の後遺症でそれも難しくなった。だから私は、銀行からは手を引いて妻と子の思い出の残るこの屋敷に引きこもった。幸い、金は腐るほどあったからね。ただ生きているだけなら、困りもしなかった」


 けれども空っぽの屋敷で過ごす日々は、とてつもなく空虚なものだったという。


「あの頃の毎日は、色彩のない、行く果てのない枯れ木の道を歩いているような日々だった。何を見ても、何を口にしても心が動かない、空っぽの毎日。私は生きながら死んでいるのだと、そう思っていた」


 闇オークションのことを知ったのはちょうどその頃だった。事故により第一線を退いたものの、いまだ資産家であるケイネスを、誘った人物がいたのだ。


 当時の闇オークションは散発的であり、個々の〝主催者〟が自身の屋敷に5、6組ほどの参加者を招き、細々と行う程度であった。


 後ろ暗い集まりであることは当然理解していた。しかし、すっぽりと何かが欠け落ちた心を抱え、家族の思い出の残る屋敷に引きこもるばかりだったケイネスに、今更に失うものなどない。どうとでもなれという、半ば自暴自棄な思いで、誘われたそれに参加した。


 そこでケイネスは、運命的な出会いをした。


〝こちらは呪われた仮面、『マリスのデスマスク』です〟


 そういって〝主催者〟は仮面を参加者の前に出した。


 それは数100年も前に作られた、他国の貴族のものだった。すっかり没落したその家が、困窮を凌ぐために手放した財のなかにあったもので、巡りめぐって闇市場へと流れついたのだという。


〝当主ジュリウスは、領内の年若い娘マリスを気に入り、妾として側に置きました。しかしマリスは、彼女に嫉妬をする領主の妻に毒殺されてしまいます〟


 マリスの死を悼んだジュリウスは、愛する美しい女の姿を残すことを望んだ。しかし絵画や彫刻では妻に悟られ、妨害されてしまう。そこで領主は密かに職人に命じ、永遠の眠りについたマリスの顔を元に仮面を作らせた。


 それこそが、ケイネスが身に着けていた白い仮面だという。


「亡き人をしのび、領主は仮面を肌身離さず身に着けた。だが、死者の顔を象った仮面は、あらゆる死者たち――ゴーストを引き寄せてしまった。屋敷には夜な夜な奇妙な隣人たちが現れ、気を病んだ領主の妻は体調を崩して帰らぬひととなり、領主自身も、ある夜に首を吊って死んだ。一説には、領主はゴーストたちの招きに応じ、自ら命を絶ったともいわれているよ」


 そういって、ケイネスは白い仮面を撫でた。


「それを聞いて、私がどう思ったと思う? ……救いだと思ったよ。この仮面があれば、また妻と娘に会える。あの子たちのゴーストを、この屋敷に呼び戻すことが出来ると」


 それがすべての始まりだった。


 彼はすぐさま仮面を落札し、自身の屋敷に置いた。だが、それだけでは足らないと感じた。


 愛しいふたりのために、もっとたくさんのコレクションが必要だ。彼女たちが帰ってきてくれるように、彼女たちが屋敷に住まわってくれるように、ゴーストたちに心地よい空間を整えなければならない。


 しかし彼が求めるような曰く品は、表の市場はおろか、闇市場であっても滅多に流れてこない。だからケイネスは、闇市場の基礎を築き、それまでとは比較にならない大規模なオークションが開催できる土壌を育て上げた。


 後ろ暗い取引であろうと、仕組みは通常と同じだ。魅力的な品が集めれば、コレクターたちは金を落とす。金が動けば、より大きな組織が興味を示す。そうしてまた、新たなルートが生まれ、目の肥えた客人たちを唸らせる品々がオークションの場に並ぶ。


 海の向こうの部族が使う仮面も、死者の国への門を象った像も、遠い島国のゴースト絵も、すべてそうやって手に入れた。飾っていないものも合わせれば、10点もの選りすぐりのオカルトコレクション。ケイネスの、長き探求の賜物だ。


 それでもまだ足りない。空っぽの部屋が、それを証明してしまった。他ならぬ、シェイラの手によって。


「わかるでしょう、シェイラ・クラーク。君ほどの『勘』持ちが、霊感令嬢の君が、あの子達を見つけられなかった。――妻は慎重だったからね。きっとあの子達にとってこの屋敷は、まだ快適ではないんだ。だから私の元に帰ってきてくれないんだよ」


「……ケイネスさん、それは」


「私には闇市場が必要なんだ! あの子たちとまたこの屋敷で暮らせるようになるその日まで、闇市場を奪われるわけにはいかないんだよ!」


 首を振ったシェイラを遮るように、ケイネスが叫んだ。


 そのとき、ふわりと風が吹いた。それに呼応するように、仮面から青白い光が煙のように立ち上り、ケイネスの周りをぐるりと囲んだ。


 なんだろう、これは。シェイラはたじろぎ、目を奪われた。


 先ほどまでとは比べ物にならない強いゴーストの気配が、仮面から漂っている。まるで、今までは敢えて気配を隠し、シェイラの目を逃れていたかのような。


 その間にも、青白い光はもくもくと膨れ上がる。ふいに光が割れたとき、中から漆黒の霞が漏れ出す。その中心に現れた存在に、シェイラは大きく目を瞠った。


(まさか……、そんな!)


 流れるような真っ黒のローブに、そこから覗く白い細い腕。深く被られたフードの奥には、ほの暗い闇をたたえた二つの穴が、静かにこちらを見つめている。


 死神。そうとしか言いようのない存在が、そこに浮かんでいた。


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